第18話

 薄暗い中、視界がチラチラと輝いて、それが落ち着いた時に僕の足は硬い岩肌の上にあった。靴底が感じるのは、森の柔らかな土や草とは違う厳しさだ。


 辺りは暗いはずだけど、火の気配があった。その火が不穏なものだって師匠は気づいたんだろう。僕の動きを手で制すると、岩陰から出ようとしなかった。師匠が見たこともないほど厳しい面持ちで一点を見つめる。

 僕もなんとかしてその先を見た。そして見たものは――。


「君たちは行商人などではないはずだ。我が国の国境を侵し、何を探らんとする?」


 ライニールさんはヘルトさんの他にも五、六人の部下を連れていた。毅然と対峙する相手は、どちらかというと汚い、くたびれた雑巾っぽい色の服を着た男たちだった。驢馬ろばに荷を牽かせながら山を越えようとしていたように見える。

 人数はそう多くない。ライニールさんたちと同じくらいかやや少ないくらいだ。


「い、いえ、わたくしどもは所属を持たぬしがない商人でございます。こちらのフェルデ王国でも商っておりますが、許可はございます。――ほら、この通り」


 頭に布を巻いた男が何かの紙切れを松明の炎と共にライニールさんに向ける。

 ライニールさんは静かにそれを見ると、ゆっくりとうなずいた。


「それが本物であるのなら、疚しいことなどないだろう。私たちに従い、しばらく滞在すればいい。疑いが晴れればすぐに解放されるのだから、大人しくついてくるべきだ」


 男たちは顔を見合わせた。そうして、クスリと薄く笑う。そこに恐れの色は微塵もなかった。

 目の前には武装した騎士がいるのに、不安がないなんて。襤褸を纏ったような旅人が、騎士に気後れしていないって……。

 何かがおかしい。何かが不穏だと僕ですら思った。


「先ほど申しましたように、わたくしどもは所属を持たぬ身でございます。従うべきは利がある時のみと申し上げましょう。あなたに従うことで我らの利があるとは思えませんが」

「その『利』とやらは、こちらにとっての『害』ではないのか? 君たちに我が国の国情調査を依頼した相手がいるだろう」

「調査? 依頼? それはとんだ言いがかりです。我らは――」


 言いかけた男を、ライニールさんは手を振って止めた。

 目線が地面に向く。


「この辺りには焚火の跡が多すぎる。それも真新しい跡だ。君たちは通りすがりではなく、数日留まっていたと見えるが? 言いがかりかどうかは持ち物を調べさせてもらえばはっきりする。何も出なければいくらでも詫びるが」


 ライニールさんの部下の人たちがジリ、と靴を擦るようにして足を動かす。男たちは薄ら笑いをやめ、冷たい目をライニールさんに向けていた。


「我らは商いをしているだけなのですよ? 『情報』という品を扱って報酬を得るだけの商いです。そういう意味では商人と称しても誤りではないと思うのですがねぇ」


 男たちが偵察していたことを認め始めた?

 これって、勝算もなく喋らないよね。認めたってことは、何かがある。僕はハラハラしながら師匠を見上げた。師匠は無言で成り行きを見守っている。


 多分、ライニールさんが自力で解決できるのが一番なんだ。師匠だって助けたいと思ってはいるはずだけど、手を貸さずに済むことを望んでいるんだろう。


 ライニールさんを使っても賢者アルハーレンは出てこない、そしてライニール・メイツはアルハーレンと関りがないとしても優秀な人材であると周知されれば、もっと大事にされるようになる。

 だから――。


 パチッと焚火が爆ぜた。

 それが合図であったかのように、双方が動き出す。

 男たちは一見して剣を持っているのでもないし、槍も弓も持っていない。でも、動きは素早かった。ナイフのような武器を指の間に挟み、投擲とうてきする。

 それをライニールさんたちはさすがと言うべき動きで躱し、剣で弾く。部下の人たちは少しかすったようだけど、致命傷にはならない。


 でも、脚や腕から血を流し、必死の形相で戦っている。

 この人たちは、人知れず国を護ってくれている。自分の身を盾にして……。

 綺麗で上品なヘルトさんも、今は髪を乱してライニールさんの隣を護っている。


 ――ほんの少し前まで、僕は小さな村で学校に通っていたのに。それが今、目の前で本物の戦闘が繰り広げられている。どこからか、僅かなきっかけで日常はこんなにも変化するものなんだ。


 凡人の僕がこんな生々しい戦いに、すぐに順応できるはずがない。

 心臓が、バクバクバクバク鳴って、体が動かない。


 師匠は――。

 チッと舌打ちした。その途端に、ヘルトさんの耳をつんざくような悲鳴が聞こえた。


「メイツ隊長っ!!」


 ライニールさんが膝から崩れた。それだけじゃない。部下の人たちも次々に倒れる。

 男たちは、笑っていた。


「なかなかに強い毒ですからねぇ。よほど耐性がなければまず助かりませんよ」


 毒? あの武器に毒が塗ってあったってこと?

 それって、かなり危ないんじゃないのか。

 僕はこの状況に狼狽えるしかなかった。


「隊長、隊長っ!」


 ヘルトさんが倒れたライニールさんに被さるようにしてすがりつく。ヘルトさんだけは毒が回っていないみたいだ。


「ただ殺すには惜しい女だからな、助けてやったんだ。ありがたく思えよ」


 下卑た笑いが起こった。

 ヘルトさんに、彼らの影が被さる――。

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