第15話

「師匠!」


 台所に――いない。

 バンッと大きな音を立てて寝室の扉を開けると、窓際の椅子に座り込んでいた師匠が僕を睨んだ。


「扉を使うな。開閉の音がうるさい」

「扉を使わないのなんて師匠だけです!」


 師匠には僕がなんて言うのか、すでにわかっているんじゃないだろうか。だから、聞きたくないとでもいうような顔をしている。それでも僕は言わないわけにはいかなかった。


「師匠、ライニールさんのことなんですけど」


 お前が口を挟むことじゃないって、まずそれを言われると思った。

 でも、師匠は息を吐くと静かに言った。


「西の隣国、ゼルニケの王が二年前に代替わりしてな、その辺りから雲行きが怪しくなってきているんだと。俺はずっと表に立つ時はローブを目深に被って顔をさらさなかったし、あの頃はまだ背も伸びきってなくて低かったから、小柄な老人だと思われることが多かった。だから、代替わりした王は俺が表舞台に立たなくなったことで実はすでに死んでいるんじゃないかとでも思ったんだろう。じわじわと侵略計画を練っているみたいだな」


 師匠が顔をさらさなかったのは、まだ少年だって侮られるのを避けるためだったんだろう。そう言われてみると、賢者アルハーレンの容姿についてはあまり語られることがなかった。

 フェルデ王国はその賢者の死を隠蔽するために引退して隠居生活をしているということにしたと思われている? いや、ピンピンしているけど。


「で、ルロフス山の辺りで偵察部隊の影があったから、俺に出向けと。相手がどの程度の規模と能力かは未知だから、ライをつけるって。俺が断った場合はライが責任を持ってその偵察部隊を捕縛するとかなんとか。まあ、要するにこれは俺に対してライを人質にしているようなものだ」

「人質?」


 友達を危険な任務から無事に生還させたければ、師匠についていけと。

 国のお偉いさんがそういう手を使うってこと?


 師匠が手を貸したがらないから、ライニールさんを使って師匠に協力させようとしている。

 言葉をなくした僕に、師匠はゆるく首を振ってみせた。それから、吐き捨てるようにして言う。


「だから断った。俺はこれ以上お偉方の言いなりにはならない。ライを使えば俺を動かせるなんて思わせてたまるか」


 師匠は多分、そういうお偉いさんの考え方ややり方が嫌で、組織に愛想を尽かせて森に隠遁したんだろう。上の人のやり方は確かにずるいし、ひどい。

 でも、この場合、ライニールさんはどうなるんだろう?


「ライニールさんはどうなるんでしょう……?」


 思わずつぶやくと、師匠は僅かに顔をしかめた。


「だから、騎士なんて辞めてしまえと言ったんだ。あいつは気が優しすぎる。国なんて大きなものを護ろうとせずに、村や町の自警団にでも入っていればいいんだ。それくらいがあいつには合ってる」


 そうかもしれないけど、そんな簡単に割りきれるものじゃない。

 それは師匠だってわかっているはずだ。僕なんかよりずっと、ライニールさんとの付き合いが長いんだから。

 目の前に問題があるとして、それを放り出せる性格をしていないんだ。ライニールさんが騎士を辞めることは多分ないんじゃないかな。


「辞めなかったら、ライニールさんはどうなるんです?」

「どうって、偵察部隊にぶつけられるだろうな」

「それって危なくないんですか?」

「危ないぞ。偵察部隊を暴けば、相手を生かして帰すわけにはいかなくなるからな」


 師匠は淡々と言う。一体、何を考えているんだろう?

 僕には師匠の考えがまるでわからない。だから、ひどくモヤモヤした。


「師匠、ライニールさんにもしものことがあったらどうするんです?」


 お偉いさんの思惑通りになるのが師匠にしてみたら悔しいのかもしれない。でも、だからってやっぱり友達を見捨てちゃいけないよ。


 段々、師匠が苛立ってきているような気がした。この話はしたくないんだろう。

 子供の僕と話していたってなんの解決にもならないって思ってるんだ。


「あいつは魔術こそ使わないが、弱いわけじゃない。どうにかするだろ」


 なんでそういう冷たいことを言うかな。

 意地悪に見えて実は優しいって思ってたのに、こういう大事な時に突き放すようなことを言う。


 師匠って、やっぱり『伝説の賢者』なんだなぁってこの時にしみじみと思った。

 天才の師匠だから、皆が自分と同じように切り抜けられるとでも思っているのかな。『並』の人間のことを、師匠は理解できないんだ。自分が基準だから。


 なんだか、どうしようもなく腹が立つ。

 どうにかなんて、できるわけないじゃないか。

 ライニールさんがいくら強くたって、敵がどれくらいいるのか、どんな相手なのかもわからないのに無事でいられるとは限らない。命は助かっても大怪我をするかもしれない。


 師匠にはそれを回避できるだけの力があるくせに、手を貸そうとしないんだ。矜持か何か知らないけど、こんな時くらい折れたらいいんだ。悔しくても、友達の命より大事なわけない。


「……ライニールさんを助けなくて、師匠は後悔しないんですか?」


 声が震えた。でも、言わずにはいられない。


「黙れ」


 師匠の声も冷たい。

 どうしたら師匠を動かせるんだろう?

 僕が師匠と同じほどに力があれば、師匠に頼らなくったって助けに行けるのに。ヘルトさんもそんなふうに思って泣いていたんだ。


 彼女の泣き顔も思い起こされて、僕の心臓がギュウギュウと締めつけられる。これは義憤ってヤツなのか、ただの癇癪だったのか――。


「黙りませんよ! 人間は、師匠が考えているよりもずっと弱いんです! 呆気なく死ぬことだってあるんですよ! そんなふうに楽観視しちゃいけないんです!」


 金切声で叫んだ。師匠が顔をしかめている。

 それだけ言って、僕はわあわあと泣いた。

 泣かずにビシッと決められたらいいのに、涙が止められない。師匠は呆れているのか何も言わなかった。

 だから僕は余計に虚しくなった。


「師匠の大馬鹿っ!」


 悔し紛れに叫んで、僕は泣きながら部屋に駆け戻ると毛布を被って大声で泣いた。


 ……いや、泣いている場合じゃない。師匠を説得しないといけないのに。

 わかってるんだけど、感情が昂りすぎてマトモな言葉が出ないんだ。泣くだけ泣いて、落ち着いたらもう一度ぶつかる。


 僕は諦めるつもりじゃないんだ。

 師匠も意地を張って動けないだけかもしれないから、僕がお節介を焼くしかない。


 師匠は、ずぼらでだらしなくて、意地悪で、でも、友達を見捨てて平気な人じゃないはずなんだ。

 まだ始まったばかりの師弟関係だけど、それくらいのことはわかっているつもりだから――。

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