第14話

 僕はその次の日もそのまた次の日も、師匠に教えてもらった風の魔術を洗濯物に当てて練習していた。

 そよ風だけど、徐々に強くなったような気がする。……多分ね。


 山羊の長老が、よくそんな同じことをしていて飽きないわね、とでも言いたげな目を向けてくるけど、いいんだ。積み重ねがものを言うんだから。


 ぜぇぜぇ、はぁはぁ。

 ちょっと連発しすぎて疲れてきた。休憩しようかな。師匠は本を読んでいるから、邪魔しない方がいい。


 その場に座り込んで手を突き、空を見上げる。

 今日もいい天気だ。放っておいても洗濯物は乾くな。


 なんてことを考えていると、ひらひらと揺れる洗濯物の向こう側からライニールさんとヘルトさんがやってきた。


「あっ」


 わ、忘れていたわけじゃ――はい、忘れてました。二日後に来るって言ってた。今日がその二日後なんだ。


 そういえば、師匠、あの封書読んだのかな?

 僕は風の魔術が使えるようになったのが嬉しくて浮かれていたから、封書の内容なんか訊かなかった。師匠はこの二日間普通だった。変わったところもなかった。


「お、おはようございます!」


 僕は飛び起きて二人に頭を下げた。


「おはよう、レフィくん。リュークさんは?」


 ヘルトさんがにっこりと微笑んで言った。


「中で本を読んでます」

「そうか。入ってもいいかな?」


 ライニールさんたちを僕は家の中へと案内する。この間と同じ台所だ。とにかくお茶を淹れよう。


「師匠ーっ! ライニールさんとヘルトさんがいらっしゃいましたよーっ!」


 僕は大声で師匠を呼んだ。でも、反応はない。

 ……まさか、本を読みながら寝オチしてないよな?


「ししょーっ!」


 僕はさらなる大声で呼んだ。そしたら、うるさかったのか顔をしかめた師匠が台所に現れた。


「一回呼べばわかるっての」

「じゃあすぐ来てくださいよ」

「キリが悪かった」

「知りませんよ、そんなの」


 ライニールさんはちゃんと今日来るって言って帰ったじゃないか。

 まさか師匠も僕みたいに忘れてたなんてことがあるんだろうか。だとしたら、本当に申し訳ない。


 僕たちがそんなやり取りをしている間、ライニールさんとヘルトさんは立ったまま待っていた。この前よりもなんとなく緊張しているように見えるのは気のせいかな?


「座ってくださいね。すぐにお茶を淹れますから」


 師匠が言わないから僕が代わりに言った。でも、ライニールさんは苦笑した。


「今日はあんまりゆっくりしていられないんだ。悪いね」

「い、いえ」


 そっか、騎士様だもん。忙しいよね。

 それからライニールさんは師匠に目を向けた。師匠は全然笑っていない。真顔で腕を組みながら立っている。


「リューク、返事を聞きたいんだが」

「ああ、これのな」


 師匠はあの封書をどこからともなく取り出した。でも――あれ?

 封蝋がそのまま。封筒はどこも破れていない。

 ちょっと、師匠、それって未開封なんじゃないの?


「師匠、読むの忘れてたんですかっ?」


 僕がびっくりして突っ込むと、師匠は苦虫を噛み潰したみたいな顔をした。


「忘れてない。読まなくても書いてあることは察しがつくからな」

「そうなんですか?」


 呆けた僕の前で師匠はやっとその封書の縁を破った。中から書簡を取り出すと、ザッと文字を目で追う。そうして、ひとつ息を吐いた。

 ライニールさんとヘルトさんがそんな師匠の言動に過敏になっている。


「……察しの通りでした?」


 そんな空気の中、僕もおずおずと口を開く。師匠はうなずくと、机の上に封書を放った。


「まず、第一。魔術師団に戻れ――断る」


 机の上の封書にダン、と手を突いて師匠は言った。その表情は怖いくらいに厳しい。

 ライニールさんも嘆息した。


「だと思った。それで、第二の方は?」


 その封書には師匠に対していくつかの要請を書いてあったみたいだ。きっと、師匠を動かすために目玉が飛び出しそうな好待遇や有り余る褒賞が提示されていたんだろうけど、それらは師匠にとってあんまり魅力的じゃなかったはずだ。

 そういうのに飛びつくような人なら、こんな汚い家に住まないよ。


 師匠は、ライニールさんをじっと見た。それは挑むみたいな目で、それを受け止めるライニールさんはどこか悲しそうに見えた。


「断る」


 それを師匠が口に出した途端、ライニールさんよりもヘルトさんの方が息を呑んでいた。この場で僕だけが事情を知らない。

 一体師匠は何を断ったんだろう?


「そんな気はしたがな」


 と、ライニールさんは困ったようにつぶやいた。でも、ヘルトさんはライニールさんほど落ち着いてはいられなかったみたいだ。


「そんな……。お願いします、どうかお力をお貸しください!」


 勢いよく頭を下げたヘルトさんの肩が震えている。でも、師匠はそっちに顔を向けないようにしていた。険悪な空気だけが台所に立ち込めている。……なんだろう、これ。


「いいんだ、ヘルト。仕方がないことだから」


 ヘルトさんの肩を叩き、ライニールさんは穏やかに言った。でも、ヘルトさんは大きく首を振った。


「そんなふうに仕方がないと言えることではありません!」


 全然話についていけない僕。

 でも、ヘルトさんの様子からして大変なことみたいだけど……。


 師匠に助けを求めたのに断わられたってことなんだよね?

 なんでだろう? 友達が頼んでるんだから、助けてあげればいいのに。


 師匠は冷ややかな目をしてライニールさんに言う。


「お前、騎士になんて向いてないんだよ。さっさと辞めてしまえ。それか俺と縁を切った方がいいぞ」


 何を言ってるのかな?

 ライニールさんは立派な人なのに。


「そうだな、向いていないな。でも、私は人のためになることをしたいんだ。人を護れるように強くなりたいと思ってきたから」


 そんなふうにライニールさんは少し悲しく笑った。それを聞いていたヘルトさんが今にも泣き出しそうだ。堪えきれなくなったのか、ヘルトさんが台所を飛び出した。


 ああ、どうしよう。

 僕は師匠たちとヘルトさんとを見比べ、そしてヘルトさんの後を追った。

 ヘルトさんは玄関から柵の辺りに来て、そこでうずくまった。


「あ、あの、大丈夫ですか?」


 こういう時はそっとしておいてあげるべきなのかもしれないけど、僕は子供だから気が利かない。そういうことにして声をかけた。

 ヘルトさんは涙を拭きつつ、僕を見上げた。


「ごめんなさい。我慢できなくて……」


 僕もヘルトさんのそばに膝を突いた。


「師匠は何を断ったんですか? 僕、何も知らなくて」


 それを言うと、ヘルトさんの目元がますます赤くなった。ヘルトさんは頬を押さえてボソリと零す。


「……リュークさんは、陛下のお言葉であっても、魔術師団長の言葉でも聞いてくれないの。彼を動かせるのは友人のメイツ隊長だけ」


 師匠は長いものに巻かれる気がないんだろうなぁ。お偉いさんがそれに文句を言えないのもわかる。力があるってそういうことだ。


「そんなの、利用されるのはわかっているのよ。それでも、メイツ隊長は立場上、上からの言葉をリュークさんに伝えないわけにはいかないの」


 二人の友情につけ入る人たちがいるんだ。

 師匠が力を持っているからって、普通に人と付き合っちゃいけないみたいじゃないか。


「何度もメイツ隊長が頼んで、リュークさんが渋々手を貸してくれることもあったわ。でも、メイツ隊長はいつか、リュークさんが友情につけ入る自分に愛想を尽かす日が来ると仰っていて……」


 静かに暮らしていたいのに、度々厄介なことを持ちかけてくる友達がいたら、もしかすると嫌にはなるのかもしれない。ライニールさんはいい人だけど、それでも。


「二人の友情にひびが入ったから、ヘルトさんは悲しいんですね?」


 僕が言うと、ヘルトさんはまた目に涙を滲ませた。


「リュークさんが来てくれないと、メイツ隊長はどうなるかわからないわ」

「え?」

「いつも、危険な任務ばかりなの」

「そ、それは……」

「メイツ隊長が危機に陥れば、リュークさんは助けに行くしかないでしょう? だからそういう指令が出てしまうの。それなのにリュークさんが助けに来てくれないというのなら、メイツ隊長は――」


 ヘルトさんはそこまで言うと両手で顔を覆った。これ以上涙を見せたくないんだろう。

 ヘルトさんにとって、ライニールさんはとても大事な人なんだなって、それだけでわかる。


 この森は平穏だけど、国のどこかではまだ争いが続いているんだ。師匠が隠遁しているって情報が周囲の国にも伝わってるんだろうし、徐々に何かが動き始めているのかもしれない。


 そうだとするなら、伝説の賢者が健在であることを知らしめて、敵国を牽制したいって思惑がお偉いさんにはあるんじゃないかな。


「師匠はそのこと、ちゃんとわかってるんでしょうか?」


 もしかして、わかっていないんじゃないの?

 危ないってわかっていたら、ライニールさんのことを見捨てたりしないよ。だって、友達だもん。友達ってそういうものじゃないの?


 ――いや、俺と手を切った方がいいとか、そんなことを言ってたな。

 でも、それじゃあなんで断るんだ?


「リュークさんがわかっていないわけがないの。メイツ隊長は、虫のいいことを言っているのはこっちだからって、断られたら何も言えないって。でも、あんなに力を持った人は他にいないもの。……リュークさんが悪いんじゃなくて、力のないわたしが悪いのかしら。なんにも、誰も、護れないわたしが」


 指の間からぽろぽろと涙が零れ落ちる。そんなヘルトさんを見ていると、僕の心も痛んだ。

 師匠は一度突っぱねてしまっても、やっぱり仕方なく助けに行ってくれる。快く引き受けるっていうのが性格上無理なだけかも。

 きっとそうだよ。だから、そんなふうに泣かなくてもいいと思うんだ……。


 それを上手く伝えられなくて、僕はヘルトさんのそばで困惑していた。そうしたら、ライニールさんが出てきた。それに気づいたヘルトさんはハッとして立ち上がる。


 すぐには顔を見せられなくて、ライニールさんに背中を向けたままでいたけど、ライニールさんは色々と察したんじゃないのかな。僕に向けて複雑な微笑を作った。


「ごたごたして悪かったね。それじゃあ、レフィ、リュークのことをよろしく頼むよ」


 友情が壊れてはいないのかな?

 そうならいいんだけど。


「師匠は、なんて……?」


 すると、ライニールさんは軽く目を閉じてから言った。


「あいつにはあいつの考えがある。私には私のやるべきことがある。これでも、互いのことを尊重しているんだよ」

「で、でも……」


 それで大丈夫なのかな? すごく心配なんだけど。

 僕がおろおろしていても、ライニールさんは晴れやかに笑っていた。


「リュークの友達をやめようとは思っていないからね。自分でも足掻いてみるよ。ただ、私だけの問題ではなくなった場合は別だ。国に暮らす人たちのために力を貸してほしいとは思う」


 こういう人だから、師匠も友達になったんだろうし、ヘルトさんも泣き崩れてしまうんだ。


 ……大丈夫。師匠はあれでも優しいところがあるから。

 本気で見捨てるなんてことはしない。


 僕はなんて言っていいんだかわからなくて、ただ勢いよく頭を下げた。ヘルトさんは気持ちを落ち着けるようにして大きく息を吸うと、しっかりとした足取りでライニールさんの背中に続いた。でも、その心中を思うと僕も心苦しい。


 二人を見送ると、僕は弾かれたようにして家の中に戻った。

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