第13話

 師匠が連れてきてくれた食堂に入ると、昼食時の忙しさから少しだけ落ち着いた様子だった。カラン、とドアベルが鳴り、机を拭いていたウェイトレスが顔を上げる。


「いらっしゃ――」


 そのウェイトレスは若かった。いや、幼い。十四、五歳かな。僕とそんなに変わらない。働いているというよりも家の手伝いをしているのかも。

 ふわふわの亜麻色の髪を軽く束ねた女の子だ。橙色のエプロンドレスがヒマワリみたい。


「リュークさん! いらっしゃい!」


 彼女もまた、師匠に会えて嬉しそうだった。


「久しぶりだな、マリエッタ。そこで花を買ったからやるよ。店に飾ってくれ」


 師匠は花束をマリエッタさんとやらに渡す。気障なのに、師匠がやると様になってる。裏の顔を知るだけに、それが僕にはうすら寒い。


「うわぁ、綺麗! ありがとう、リュークさん!」


 メニューも聞かずに花束を抱えて奥へ引っ込んだマリエッタさん。厨房の方できゃあきゃあ騒いでいる。うん、師匠、なんか罪を作ったよね?

 仕方ないから僕たちは勝手に座った。

 僕は思わずため息交じりに言った。


「師匠って、町の人には愛想がいいんですね。知りませんでした」


 その半分でいいから僕に優しくしてくれたらいいのに。

 そういえば、ライニールさんが師匠は普通に振る舞えるっていうようなことを言っていたけど、この目で見るまではイマイチ信じていなかった。

 すると、師匠はにこにこと笑顔を保ちながら言った。


「んあ? んなもん、こっちが町に出て買い物するんだから、不愛想にしたって俺にとってなんの利もないだろ? 俺がほしいものを買うためには良好な関係を築いておいた方がいいんだ」


 笑顔だから、この口の悪さが遠目じゃわからないだろうな。

 実際、お金を払えば品物は買える。でも、普段から『いい人』でいた方が絶対に得なんだ。いざという時、この人の頼みならって融通してくれたり、オマケしてくれたり、何かの形で返ってくるから。

 でも、それを師匠がわかって実践しているのが意外だった。


「師匠は国を救ったわけじゃないですか。この町にとっても恩人です。それなのに、買い物するのにそんなに気を遣うものなんですね?」


 僕が師匠の立場だったら、僕が助けてやったって思う。そういう上から目線はよくないと思うけど、でもやり遂げた偉業を思うとそれくらい崇められてもいいんじゃないのかな。

 誰だってそう思うよ。なのに、師匠は軽く眉間に皺を寄せた。


「あのな、買い物できなかったら俺は飢え死にするぞ。パン職人がパンを焼いて提供するから俺は生きてる。それと同じで、俺ができることがたまたまアレだったってだけだ。俺がパンを食って戦って、要するに持ちつ持たれつだろ。それがわからないならお前はバカだな」


 バカとか言われたけど、怒れない。

 師匠って、すごいことをしたわりにそれを誇らない。町のパン職人を尊敬してる。

 案外謙虚なんだ。変だけど、師匠のそういうところは素直にすごいと思う。


「そうですね、驕ったバカにならないように気をつけます」


 僕がそれを言うと、師匠は満足そうに、不敵ながらにも笑った。

 師弟って、技術を学ぶだけじゃない。ものの考え方や接し方、価値、扱い方――そうしたことも師匠から受け継ぐんだ。もしかすると、それが技術よりも大切なことかもしれない。

 僕は師匠の弟子になれてよかったのかなって、今、そんなふうに思えた。


「ああ、ごめんなさい。ご注文をまだ聞いてませんでしたね!」


 マリエッタさんがすっ飛んできた。やっと思い出してくれたらしい。


「日替わりセットふたつ。頼むよ」

「はぁい」


 甘ったるい声で返事をするマリエッタさん。でも、マリエッタさんはふと僕に目を留めた。

 よし、先に名乗ろう。


「僕、レフィって言います。リュークさんの親戚でお世話になってるんです」


 にこやかに言ったのに、マリエッタさんはふぅん、とつぶやいた。

 なんか温度差がひどいんですけど?


「そうなの? 親戚ね」


 信じてないというより、面白くないといった様子だ。露骨だな。

 べっつにいいですけど。


 なんてへそを曲げていたのも、日替わりセットが運ばれてきてからはすっかり飛んでいってしまった。カリカリに焼かれたチキンソテー、じゃがいものポタージュ、ガーリックトースト、サラダ――美味しい。しかも、自分で作らないで出てくる料理は余計に美味しい。


 僕は夢中になって食べた。師匠も黙々と食べている。

 ペロッと平らげて満腹だ。


「師匠、美味しかったです! ご馳走様です!」

「よし。じゃあ、この味を再現できるようになれ」

「へっ」


 まさかそのために僕を連れてきた?

 無茶だ。僕は家の手伝いをしていただけで、本職のシェフじゃない。


「無理言わないでください!」

「無理か。やっぱりな」


 なんてことを言う。僕より師匠の方が料理下手だし、師匠が作るよりはマシでしょうが。

 でも、師匠ってろくなもの食べてないから舌が肥えていなくて、僕が作ったシチューでも満足だったんだろうと思ったんだけど、今になってよくわからなくなった。町でいいもの食べてたんだよね?


 僕がふぅむと唸りながら考えている隙に師匠はカウンターで支払いを済ませていた。


「ほら、次に行くぞ」

「あ、はい」


 慌てて立ち上がり、店を出ようとした師匠に続く。


「ありがとうございます。美味しかったです」


 マリエッタさんに頭を下げたけど、マリエッタさんは師匠に対するほど愛想がよくもなく、ああ、はい、とおざなりな返事をしただけだった。だから、温度差ありすぎ……。



 店から出ると、僕は師匠に訊ねた。


「次はどこへ行くんですか?」

「雑貨屋だな」


 師匠は何を買いたいんだろう? 昨日買わなかったんだから、急ぎの用じゃないんだろうけど。


 食堂の角を折れて進むと、裏手にごちゃごちゃとした店構えの雑貨屋があった。狭い、小さな店だ。品ぞろえに対して棚が少なすぎる。客が入る隙間があんまりない。二人が並んで入るのは無理かも。


「お前はここで待ってろ」

「わかりました」


 僕も入ったら、多分商品を引っかけてばら撒きそうだ。僕は入り口から中を覗きつつ待った。

 師匠は店のおじさんに挨拶をしつつ商品を出してもらっていた。それを紙袋に詰めてもらって、それから外へ出てくる。


「師匠、何を買ったんですか?」


 その辺りはよく見えなかった。すると、師匠は紙袋をそのまま僕に押しつけた。


「ほら。お前のだ」

「え?」


 口を折り曲げてあるだけの紙袋を開けてみると、中に入っていたのはペンとインク壺、それから藍色の本のように見えた。


「白紙のノートだ。今後、学んだことを書け」


 うわぁ、師匠にしては『それらしい』ことをしてくれた。

 結構嬉しい。ああ、毎日真面目に掃除洗濯家事おやじ――いやいや、家事を頑張ってよかったなぁ。

 僕は思わずその紙袋に頬ずりした。


「ありがとうございます、師匠! 僕、さっそく今日習ったことを書きます!」

「ん? 書くほど難しいことは教えた覚えがないけどな」


 ――今後、もしかしてとんでもなく難解なことを教えられるのかな?

 ついていけるかな、僕。出来が悪すぎるって放り出されないようにしないと。


「と、とにかく頑張ります」


 僕が言うと、師匠は笑った。


「お前の並の頭では書かないと覚えられないからな。ちゃんと書けよ?」

「…………」


 口の悪い師匠への鬱憤が溜まったせいで、このノートが僕の暗黒日記にならないことを祈りたい。

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