第12話

 師匠の失礼極まりないリアクションのおかげで機嫌を損ねかけた僕だったけど、師匠はなんでだか楽しそうに笑いを堪えながら言った。


「町でなんか買ってやるから機嫌直せ」

「べっつにぃ。僕はちぃっとも怒ってませんから平気です」


 そりゃあ、国で一番の魔術師からすれば、才能が並でしかない僕の足掻きなんて鼻で笑っちゃうくらいのものかもしれない。天才には凡才の苦労なんてわかんないんだよ。

 怒っていないと言いつつもプリプリしていたら、


「お前はほんっとにわかりやすいヤツだな」


 なんてぼやかれた。すいませんねぇ、単純で。


「まあいい。そろそろ出かけるぞ。支度をしろ」

「支度って、これといってないですよ。買い物カゴを持つくらいですか?」

「いや、カゴは要らない。そうか、じゃあちょっと待て」


 支度があるのは師匠の方だった。

 洗濯をしたら汚れたし着替えるとかいうんだろうな。洗濯をして洗い物を増やしてどうするんだ?


 なんて僕が考えていたら、そういうわけじゃなかった。ヒュッと消えてヒュッと現れた師匠は、腰のベルトに竪琴を引っかけていた。

 僕は首を傾げた。


「師匠、町まで何をしに行くんですか?」


 演奏会じゃないはずだけど。

 僕の疑問に、師匠はフン、と小さく息をついた。


「買い物。ただ、これをぶらさげておくと、勝手に勘違いしてくれる」

「…………」


 町の人には師匠の正体は内緒ってことなんだろう。

 まあ、面倒なのもわからなくはないんだけど。

 吟遊詩人、楽士、その辺の設定なわけだ。


「その場合、僕は魔術師の弟子って名乗ると変ですよね?」

「預かっている親戚の子でいいか」


 いや、無難な設定だと思うんだけど、師匠の親戚が想像できない。師匠の親ってどんなだろう?

 木の股から生まれたわけじゃないにしても、一般的な家庭環境とは言えなさそうだ。そういうことを語るのは嫌いっぽいけど。


 まあいい。僕は師匠の親戚の子ってことで。


「さ、行くぞ」

「はいっ」


 長距離移動は初めてだ。どんな感覚なんだろう?

 壁を抜ける程度にしか感じないのかな?


 師匠は僕に背を向け、スタスタと歩き出した。

 あれ? 歩いていくんじゃないよね?

 すると、師匠は振り返って言った。


「こっちに町まで移動できる魔術陣を備えてある。そこまで行くだけだ」

「外にあるんですね」

「うちの家の中はすでに何重もの魔術陣だらけだからな。これ以上施術するのでは効果が弱まる」


 あの怪鳥が来た時に浮かび上がった魔術陣もそのうちのひとつなんだろう。家はボロいけど、師匠の力で守りは堅いんだ。


 それから、師匠が詠唱もなしに家の中の壁を通過してしまうのも、多分そういう魔術陣を最初から敷いてあるからかもしれない。あれはどこででもできるわけじゃなく、この敷地の中に限ったことだと思う。


 師匠の言う場所はすぐそこだった。歩いたっていうほどの距離でもない。

 木のない茂みの裏は、見たところ何もない。でも、師匠が腕を振るうと草の下から薄い紫色の光が滲み出た。


「よし、中に入って俺につかまれ」

「わかりました!」


 言われた通りにすると、師匠は小さく詠唱する。


「ஷெல்ட் நகரத்திற்கு」


 その途端、目の前の景色が歪んだ。



     ☆ ★ ☆



「もういいぞ」


 師匠がそんなことを言ったのは、僕がいつまでも呆けていたからだ。緊張のあまり握り締めていた師匠のシャツにはひどい皺が寄ってしまった。……内緒にしておこう。


「ここは?」

「シェルトの町の近くだ」


 並木道の木陰に僕たちはいた。そう言われてみると、僕もこの道を通ったかもしれない。

 本当に一瞬で来たんだなぁ。


「師匠の術は便利ですね」


 しみじみとそう言った。だって、僕の足だったらこの距離は丸二日かかるんだよ?


 師匠は特に答えずにスタスタと歩く。僕もその後に続いた。

 シェルトの町の門に立っている自警団は、僕たちを見るなりにこやかになった。


「ああ、リュークさん。二日続けてくるなんて珍しいですね」

「少し買い忘れがあって戻ってきたんだ」

「そうでしたか。連れがいるのも珍しいなぁ」


 僕がこの道を通った時に番をしていた人とは違う。多分交代制なんだろう。だから僕と顔を合わせたのは初めてだ。


「お疲れ様ですっ」


 僕が礼儀正しく挨拶をすると、自警団の人もうなずいてくれた。


「ああ、ありがとう、坊や」


 ……坊や。

 その呼び方はないよ。一体僕をいくつだと思ってるんだか。

 悪気がないのはわかる。わかるけど、面白くない。


 それが顔に出ていたのか、師匠は急に僕の背中を押して歩き出した。


「大人からしたらお前なんてまだまだ坊やだっての。いちいち引っかかるな」

「いや、坊やってもっとちっちゃい子に呼びかける時に使う言葉ですよ。少なくとも十三歳にかけるのは適当じゃありません。大人なら言葉は正しく使ってほしいものですけど」

「ムキになるところが坊やだけどな」

「ムカッ」


 あんまりにも腹が立つから口に出して言った。でも、師匠はクク、と笑っただけだ。

 師匠ってどうしてこう、神経を逆なでするようなことを言うのが好きなんだろう。そんなだから集団生活ができなかったんじゃないの?


 ――僕は少なくともそう思っていた。

 でも、この町へ来て師匠の表の顔を知った。


「リュークさんじゃない! 今日はどうしたの? おまけするから寄っていってよ」


 師匠に声をかけたのは、道端に台車を停めていた売り子のお姉さんだ。ええと、お花屋さん。


「やあ、イェッテ。どれも綺麗だな」


 にっこりと笑顔で愛想を振り撒く。

 うん、誰だこれ? って僕が口をあんぐりと開けてしまうほどには師匠が変になった。


 いや、変っていうのはおかしい。『マトモ』なんだ。師匠がマトモな受け答えをしている。

 マトモな師匠は、変だ。どうしよう、背中がぞわぞわする。


「これ、リーケの花が今日のオススメよ」


 リーケの花は瑠璃色で一重の可憐な花だ。綺麗だけどさ、師匠が家に飾るわけない。平気であんなゴミ溜めに住める人なんだからさ。


「男の家に花を飾ってもな。でもまあ、売れ残ってイェッテが帰れないといけないから買うか」

「リュークさんってば優しいんだから。そういうところが好き」

「そりゃあどうも」

「あ、本気にしてないでしょう? 結構本気なのに」


 お花売りのお姉さんが身をくねらせている。ええと、お姉さん、僕のことは目に入ってないよね?

 ってか、師匠、女の人に優しい? 僕にはひどいのに。

 色々と調子狂うなぁ。


「ありがとう。また来る」


 包んでもらった花を受け取り、師匠はお花売りのイェッテさんに手を振って去る。名残惜しそうな視線がついてきたけど。


「……師匠、あのお姉さんとどういう関係で?」

「どういう関係でもない」


 バッサリ。あれ? 愛想を振り撒いてたのかと思えば冷たいな。師匠ってほんと、何考えてるんだろ?


 飾ってもどうせ本を読んでばっかりで眺めもしない花を持ったまま、師匠は歩きながら僕に言った。


「なんか食うか? 昼飯まだだしな」

「そうですね。食べましょう」


 やった、作らなくて済む。

 師匠はこのために町に来たのもあるのかも。


「なんでもよければ適当な店に入るぞ」

「はい、お任せします」


 以前から自分で用意するのが嫌で、師匠は結構外で食べてたのかもしれない。行きつけの店がいくつかありそうだ。


 その店は近くにあったのに、ちょっと歩いただけで師匠に声をかけてくる人が何人かいた。師匠は軽く挨拶を交わすだけなんだけど。


 家にいる時の師匠って、魔術さえ使わなければ紛うことなきダメ人間だ。それなのに、外に出たらなんか違う。身綺麗にしてるし、愛想もいいし、これなら汚い家に住んでいそうだな、なんて誰にも思われない。


 むしろ、通りかかる人たちは師匠にチラチラと目を向けている。これじゃあただの美青年だよ。

 本当はこんなマトモじゃないのにさ。なんだろう、これ。


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