第11話

 台所に戻ると、師匠は椅子にふんぞり返って茶を飲んでいた。


 ――いや、あのカップはからのはず。それを忘れて飲もうとしている辺り、心ここにあらずなのかも。

 師匠は戻ってきた僕を軽く睨む。僕はそんなのに怯んだりしない。


「ライニールさんもヘルトさんもお偉い騎士様なのに偉ぶってなくていい人たちですよね。ああいう人だから師匠とも友達になったんでしょうけど。お城で知り合ったんですか?」


 師匠の性格じゃ、大抵の人は逃げる。ライニールさんは懐が広いから付き合えたんだ。貴重な人だよね。

 僕がそう話しかけると、師匠は一度口元を歪めてからため息をついた。


「まぁな。あの頃の俺たちは今のお前とそう変わらない年だった。魔術師団で俺と同じ年頃のヤツなんていなくてな。所属は違うが、あいつも従士として上がったばかりで上からいびられてて、お互いしかマトモに話せる相手がいなかったからな」


 二人とも優秀過ぎたんだろう。年上の人からしたらそれが腹立たしかったんだ。

 師匠たちは精々二十代後半だから、師匠が武勲を立てたのは十代の頃だったんだ?

 天才に年齢は関係ないのかな。そう思うと、同じ十代の僕はやっぱり凡才だ。


「じゃあ、貴重な友達ですね。大事にしないと」


 僕は村にいた時、自分が優秀だって思っていたから、あまり同じ年の子たちとつるむことはなかった。同じようにして群れていると、自分が特別ではなくなるような、そんな恐れがあったのかもしれない。今にして思うと馬鹿だなって、思う……。


 ライニールさんが師匠を語った時のように、誰かがその人のことを理解して弁明してくれるのって、正直に言うと羨ましくはある。

 父さんももういないから、僕を庇ってくれる人はいないんだなって少ししんみりとした。


 師匠は僕に何か言いたげな目を向けたけれど、結局何も言わなかった。封書の上に手を重ね、かといってそれを開くでもなくじっと動かない。

 このまま日が暮れるんじゃないだろうかと思うくらいには動かなかった。

 どうしようかと思ったけど、僕はふと目の端に入った卵のことを思い出した。


「あ、師匠、この卵はどうしたんですか? 確か使いきってなくなっていたはずですよね。どこで拾ってきたんですか?」


 わりとどうでもいい話をした。空気が重たかったから。

 そうすると、師匠は軽く首を傾げた。


「拾ってない。買ってきたんだ」

「どこで? というか、師匠はいつの間に出かけたんですか?」


 この近くに商店なんてなかった。行商人がここまで来てくれるのかな?

 いや、そんなはずない。遠すぎる。一人暮らしだった師匠がそんなにたくさん買うはずもないんだから、ここに通う行商人がいるとは思えない。


 師匠はケロリとした表情で言った。


「どこって、町で。買い物はほぼシェルトの町で済ませている」


 シェルトって、この森の最寄りの町だけど、僕はそこに立ち寄ってから森に入ったからわかる。結構遠いんだってことが。


「町、遠いですよ?」

「お前が行けばな。俺が行けばすぐだ。現にお前が住み始めてから三回は買い物に行った。作物も育ててないのに、山羊のミルクだけで生きていけるわけないだろ?」


 そうだ、毎日食べているパンだって、いくら保存の利くタイプだっていっても食べればなくなるはずが、ちゃんと次のがあった。師匠がパンを焼くのなんて見たこともないのにパンがあったのは、買ってきたからだ。


「壁を通り抜けるみたいにして、町まで飛んだんですか?」


 僕は冗談交じりに言った。きっと、僕が掃除や洗濯をしている隙に出かけていたんだろう。

 師匠は僕を馬鹿にしたような目をした。


「お前な、俺をなんだと思ってる?」


 一応人間だと思ってます。ただ、ちょっと規格外の。

 師匠はひとつため息を吐くと髪を掻き上げた。


「壁を抜けるのとは原理が違う。いくら俺でも長距離を飛ぶにはそれなりの陣を組まないと行けるわけないだろ」

「…………」


 えっと、それは陣を組めば長距離を移動できちゃうわけですか?

 それって十分に人間離れしてますよ。

 僕の呆れたような目に気づいただろうか。でも、師匠はやれやれといったふうに首を振っているだけだ。


「師匠、その長距離移動って僕のことも連れていけるんですか?」


 ふとそれを訊ねてみた。壁を越えた時には連れて飛んだんだから、もしかするとできるのかなって。

 師匠はうなずいた。


「なんだ、買い物に行きたいのか? まあ連れていってやってもいいけどな」

「連れていってくれるんですか? やった!」


 別に買いたいものがあるわけじゃない。でも、たまには息抜きに外出もしたくなるんだ。


「じゃあ、今から行くぞ」


 師匠はカタリと音を立てて椅子から立ち上がる。


「え、今からですか? ああ、僕、洗濯の途中なんです。終わってからでもいいですか?」


 ライニールさんたちが来たから途中で放り出してあるんだった。

 僕がそう言うと、師匠は目を細めた。


「洗濯? そんなの後でいいだろ」

「駄目ですよ。干していかないと乾かないじゃないですか!」


 大体、誰の服を洗っていると思ってるんだ?

 師匠は納得してくれたのか、外へ出て洗濯の続きに手をつけた僕の前にフッと現れた。


「今日は手伝ってやる。急げ」

「へ?」

「நீர் சுழல்கிறது」


 師匠が唱えた途端、盥の中の水が渦を巻いた。


「あわわわわっ」


 水飛沫と泡が飛び散る。僕は慌てて盥から離れた。


「தண்ணீர்」

「ギャッ」

「கசக்கி」

「ヒッ」


 水の塊が、ビッチビチと洗濯物の塊に振り下ろされ――あれはすすいでいるつもりなのかな。

 その水が最後にはまとめて盥から放出された。ああ、虹が出てる。

 師匠、洗濯くらい手で洗ったらいいのに……。


 いつもこんな荒っぽい洗濯方法をしてたのなら、すぐに服が傷んだんじゃないの? だから服が多いの? 洗うのが面倒なのは溜め込むからだよ。

 手伝ってもらって文句は言いたくないけど、言いたい。


「師匠、服が傷みます! こんな洗い方は二度としちゃ駄目です!」

「はぁ? じゃあどうやって洗うんだよ」


 なんでそんなに不満そうに言うんだか。これが一般的な洗い方なわけないじゃないか。


「手で優しくゴシゴシ、です!」

「何枚あると思ってるんだ? 終わらない」


 耳を塞がれた。まったく、どっちが師匠なんだかなぁ。

 バッタバタしながらも、僕たちは洗濯物を干した。師匠が魔術を使わずに手伝ってくれた。でも、すっかり干し終わった後、師匠はロープにぶら下がった洗濯物を眺めながら僕の首根っこを引っ張った。


「おい、丁度いいから少し練習するか?」

「え? なんのですか?」


 思わず問い返したら、師匠は僕に呆れた目を向けた。


「何って、お前は俺に何を習うつもりで弟子入りしたんだ?」


 そりゃあ、魔術を習うつもりだけど。師匠、まともに教えてくれないじゃないか。

 どうせまた無茶な魔術を見せて、見て覚えろとかやるんでしょうよ。

 僕の考えは顔に出ていたのか、師匠は顔をしかめた。


「いいか、お前は火と水はそこそこに使う。だから今は風を起こせ」

「風ですか……」


 学校ではまず水、その次に火の魔術を教えてくれた。必要な順だからって。

 風は、サラッと口頭で説明を受けたけど、実習はなかった。それは後に高等学校で習うことだって。


「すいません、呪文のひとつも知りませんし、初級のを教えてください」


 毛虫でも見るような目つきをされるかと思えば、師匠は軽くうなずいた。屈んで小さな石を拾うと、地面に術式を書き始める。


「魔力を水に変える時、ここに物質転換の式があるのはわかるな?」

「はい」

「風は物質にはならない。どちらかと言えば火に近い原理だ。火は熱を持つが、形はない。風はさらに『何もない』ものを出すわけだ。わかるか?」

「え、ええと……」

「熱のない火を出すようなイメージで、それも手前に出すんじゃない。遠くへ放つんだ」


 ガリ、ガリ、と地面に書かれる術式。火のところはわかる。その後がちょっと難しい。

 師匠は書き終えると石を放り投げ、立ち上がって手を前に突き出すと唱えた。


「காசியோ ஃபியூக்」


 ブワン、と風が洗濯物を煽った。それがちょっと強すぎて、洗濯物がロープに絡まる。


「ああ、風が強いですよ!」


 僕はその洗濯物を引っ張って直していく。師匠は腰に手を当てて嘆息した。


「ほら、お前もやってみろ」

「は、はい!」


 ええと、熱のない火を遠くへ飛ばすイメージ。……熱のない火ってなんだよ?

 わかるような、わからないような説明だ。


 でも、師匠が僕にわかるように魔術を教えてくれたのは初めてかも。そう思ったら嬉しかった。

 絶対やってやる。僕は全神経を集中して脳内でイメージを固めた。


 僕の体中を巡る魔力にいい聞かせるみたいにして、風を起こすんだと念じる。

 熱のない火、勢い、飛ばす――目の前の洗濯物にそれを当てるんだ。

 ――よし!


「காசியோ ஃபியூக்」


 僕が構えた手から、洗濯物を揺らすそよ風が放たれた。同じ術を使っても、師匠みたいな威力はない。でも、僕はそのそよ風に感激した。だって、初めて風を起こせたんだから!


「し、師匠!」


 喜色満面で振り返った僕に、師匠は妙にびっくりしていた。


「なんだ?」

「風が出ましたよね! 今、確かに出ましたよね! 見てましたよね?」

「出たような、そうでもないようなのがな」

「何言ってるんですか、出ましたって! やったっ!」


 飛び跳ねて喜ぶ僕に、師匠はただ目を瞬かせていた。

 何? 軽く教えただけで僕ができちゃったからびっくりしてる?

 そう考えたら嬉しかった。


 ――なんて思った僕はおめでたかったみたいだ。


「あの程度でここまで喜べるなんて……」


 え? ちょっと、そこに驚いたの?

 自分だったら失敗だと思って落ち込むのにとでも言いたげだ。いや、あれは失敗じゃない。ちゃんと出た。出たよ。


 失礼な師匠だ。

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