第10話

 お客様が来ても恥ずかしくない程度にはしてある。だから僕は二人を案内して椅子をすすめた。

 椅子は二脚しかないから、ヘルトさんが辞退しようとしたけど、いつものごとく出入り口を使わずにヒュッと現れた師匠がヘルトさんを座らせた。


「ここは俺の家だ。俺のルールに従え」


 ひと言、女性を立たせておくのは忍びないから座ってくれとでも言えばいいのに。多分、ライニールさんならそういうことを言うんじゃないの?


「ええ、ではお言葉に甘えて座らせて頂きます」


 それでも、ヘルトさんは師匠の言葉をちゃんと解釈したみたい。慣れてるっぽいなぁ。


 師匠が僕の方を睨む。

 お前の役目は茶を淹れることだって目が語ってる。わかってますよ。


「தண்ணீரைக் கொதிக்க வைக்கவும் 」


 呪文を唱えてお湯を沸かすと、茶葉の入ったポットに注ぎ入れる。そんな様子をライニールさんたちはにこにこしながら見ていた。


「上手いもんだな。それにしてもリュークが弟子を取る日が来るなんて思わなかったよ。今まで、どれだけ志願者が来ても突っぱねたのに」

「でも、見違えるほど家の中が綺麗になっていますから、レフィくんが来てくれてよかったですね」


 それ、家政夫ってヤツと間違えてない? 僕は家事をするために来たんじゃないし。まあ、決め手はシチューの味だったけど。

 師匠は壁にもたれたまま、面倒くさそうに言った。


「ライ、お前は世間話をしにわざわざ来たのか?」

「リュークにとってはその方がいいだろう? まあ、たまには友達の顔を見に来たっておかしくないはずだ」


 ライニールさんは師匠の雑な扱いにも爽やかに返している。ヘルトさんの方が少しハラハラして見えた。


 師匠は、むっつりと不機嫌そうだ。でも、本当はそうじゃない。多分、ライニールさんたちに会えて本心では嬉しいんじゃないのかな。師匠は本気で嫌だったら家の中になんか招かないだろうから。


「お前、そんなに暇じゃないだろ?」


 それを言われると、ライニールさんは苦笑してしまった。


「まあ、そうなんだが。リュークにはいつも無理な頼み事ばかりしてしまうから、いきなり本題にも入りにくいしな」


 僕は蒸らした紅茶を二人の前に運んだ。師匠には押しつけるようにして手渡す。

 ライニールさんたちは、子供の僕にもありがとうとちゃんと礼を言ってくれる。丁寧な人たちだ。


「頼み事ってのは的確じゃないな。お前が運んでくるのは厄介事だ。それも、お前は伝書鳩みたいにして俺のところに運んでくるだけだ」


 二人に会えて、そのこと自体は嫌じゃないとしても、その厄介事とやらは迷惑なんだろう。それがあるから師匠は仏頂面なのかな。事情が呑み込めない僕はトレイを抱えたままで立ち尽くしていた。


「リュークがこの家に他の者を寄せつけないから、毎回私が行くことになるんだけどな」

「それもこんな辺鄙なところを選んで住まわれるから、来るのもひと苦労です」


 僕みたいに地道に歩いてきたような感じはしないけど、途中までは馬とか使って、少しくらいは歩いたのかもしれない。


「……そもそも師匠の家って、なんでこんなにボロいんですか?」


 思わず訊いてしまった。賢者なら、有り余る褒賞を受けてゆとりがあるはずだ。もっといい家が建てられただろうに。

 正直に言いすぎたのか、師匠に睨まれた。


「家なんて住めたらいい」

「うわぁ」

「あと、こんなところに有名人が住んでいるとは思えないようなボロさがいい。丁度いい隠れ家だ」


 確かに、何かの間違いだろうって、ここまで来て諦めて帰った人もいるのかもね。


「まあ、師匠が住んだらどんな綺麗な家だって汚れますし、ボロくてもいいかもしれませんね」


 本当のことだけど、本当のことを言ってはいけないものだ。

 師匠は僕が淹れた茶をぐびっと飲み干すと、僕の頭にカップをカン、と音を立てて置いた。痛いなぁ、もう。


 でも、そんなやり取りをライニールさんとヘルトさんは物珍しそうに見ていた。


「いい人材が来たものだな」


 なんてことをライニールさんが言う。

 え? 僕、褒められた?


「ええ、とってもぴったりですね。頼もしい限りです」


 フフ、とヘルトさんも微笑んでいる。

 ぴったり。そうかなぁ?

 あんまりちゃんと師匠らしく教えてくれないんだけど。


 その時、ライニールさんは懐から上質紙の封書を取り出した。それには封蝋がされていて、魔力の匂いがした。

 僕はその赤い封蝋が気になったけど、師匠はすでに誰からだかわかってるんだろうな。

 ライニールさんは少しだけ厳しい顔をしてその封書を机の上に置いた。


「悪いが、二日後に返事を聞きに来る。急かしてすまないな」


 スゥッと目を細めると、師匠はそっぽを向いた。ヘルトさんはライニールさんの方を気遣かわしげに見ている。

 あの封書には何が書かれているのかな。


「じゃあ、今日はこれで」


 立ち上がったライニールさんにヘルトさんも続く。優雅に頭を下げた。

 出ていく二人を師匠は見送らない。代わりと言ってはなんだけど、僕は外まで出た。やっぱり、明るくよく晴れている。

 ライニールさんは振り返ると、僕に優しく笑いかけてくれた。


「美味い茶をありがとう。また来るよ」

「はい。あの、師匠とは友達になってから長いんですか?」


 その質問にうなずいて返してくれた。


「十四、五年くらいか? 長い方じゃないかな」

「師匠って、昔からああですか?」


 悪戯はするし、雑だし。愛想もないし。

 ライニールさん、よく友達になったなって。


「そうだな。でも、リュークは上手く立ち回ろうと思えばいくらでもできるんだ。実際、引きこもるまではそうしていたし。気を許した相手には気を遣わないからああなるだけで」

「レフィくんに対してとても自然で驚いたわ。まだ弟子入りしてそれほど経っていないみたいなのにね」


 ヘルトさんまでそんなことを言う。


「うーん、僕に対して気を張るところなんてないんでしょうね。扱いも雑ですし、適当ですし。きっと部屋が汚れてきたから弟子を取ったんですよ」


 それしか考えられない。僕には才能がないんだから。

 腹立たしいけど、そうなんだ。


 けど、ライニールさんはそんな僕の目を見て、それは優しい顔つきになる。


「それは違う。リュークが弟子として君を手元に置こうと思ったのなら、少なからず君に対して尊敬できるところを見つけたからだ。あいつはそういうヤツだから」

「へ?」


 尊敬? そ、そんけい?

 尊敬ってなんだっけ? って気分になった。


 あんぐりと、それは馬鹿みたいに僕は口を開けていた。

 そんな僕に二人はあたたかい眼差しをくれた。


「では、また二日後に来るよ。……リュークは多分怒るだろうから、君には申し訳ないけれど」


 師匠が怒るのは、あの封書のせいなのかな。あそこに書かれている内容は、師匠にとってあまりいいことではないのかも。


「二日後にお待ちしていますね。お気をつけて」


 封書の内容がなんであれ、この二人がいい人なのは間違いない。だから僕はそう言って二人を見送った。

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