第6話

 それでも、教えてもらえることがあるのならいい。

 気を取り直して期待することにした僕の前に立ちはだかったのは、汚い部屋だ。掃除してもしても、なかなか綺麗にならない。結構年季の入った汚れである。


 だとしても、とにかく部屋を綺麗にして、弟子としての仕事をこなしていると師匠に見せつけないと。僕は働いているんだから、ちゃんと師匠らしく指導をしてください、と。


 なんの部屋なのかよくわからない、物置と化していた部屋を掃除した。荷物を全部片づけるのは無理なので、邪魔にならない程度にまとめてスペースを開けた。これで半分くらいは使える。今日からここで寝起きだ。


 ふぅ、とため息をつきながら廊下に出ると、何故だか片づけたはずの廊下に洗濯物が落ちていた。


「これは……」


 さっきまで師匠が着ていたチュニックだ。なんだろうと思って拾い上げ、竪琴の音がする部屋へ向かった。


「師匠、このチュニックが落ちていましたけど?」


 窓辺で竪琴を爪弾く師匠は着替えていた。今度は白いシャツだ。

 師匠は首を軽く僕に向けると、特に表情を変えることなく言った。


「汚れていたから着替えた」

「着替えるのはいいですけど、なんで廊下に置いたんですか?」

「どこで脱いだか覚えてない」


 ハハッと軽く笑われた。

 部屋はこうして汚れていくんだ。よくわかった。


 このままじゃ駄目だ。イタチごっこにしかならない。

 この家は、家主を変えない限りは永久に綺麗にならない。


「そうやってどこででも脱ぐから、部屋も服も汚れるんですよ! これからは、洗濯物は洗濯カゴに!」


 ビシッと指を突きつける。

 すると、師匠は手を止め、目を瞬かせた。


「おお、絶対的な正論だ」


 弟子のくせに偉そうに、とか言って怒られると思ったら、逆に感心された。

 なんだか拍子抜けだ。


「わ、わかってくれたらいいんです」

「うんうん」


 本当にわかっているんだろうか?



 ――そうして、その翌朝。


 ドスン。

 起き抜けに僕は廊下に脱ぎ捨ててあった白シャツを踏んづけて転んだのであった。


「し、師匠っ! お話があります! 起きてください!」


 ここに僕がいるのは、魔術を学ぶためであり、決して駄目人間を更生させる目的でいるんじゃない。そのはずである。



     ☆ ★ ☆



 ふぁあ、とあくびをする師匠に、僕はくどくどと説教をした。なんで自分の家をこんなに荒らすんだとか、ひとつ出したらひとつ片づけろとか、至極真っ当なことばかりを並べ立てた。

 十三歳の子供ぼくがちゃんとできることを、大人の師匠ができないはずがない。


 なのに、途中から師匠は食卓に頬杖を突き、ぼうっと一点を見つめ出した。その様子はまるで彫刻のようだ。伏し目がちになると、整った容姿が際立って見える。


 そんなアンニュイな表情になるほど、僕の説教が堪えたんだろうか。口が過ぎたかもしれない。いい大人が子供に叱られたら傷つく、よね?


「あ、その、師匠……、すみません。言いすぎました」


 間違ったことを言ったつもりはないけど、言い方というものがある。僕は素直に謝った。

 ただ、師匠は首をもたげ、何度か瞬くと言った。


「すまん。聞いてなかった。なんだって?」


 聞いてなかったらしい。僕はあんぐりと口を開けた。


「き、聞いてなかったって、目を開けて寝てたんですかっ?」

「いや、寝てないけど」

「じゃあ、何をぼうっとしていたんです?」


 どうせろくなことを言わないと思った。でも、この時の師匠は少しだけ真面目だった。


「明日には少し天候が荒れるなと思って。嵐になるぞ」

「え?」


 とっさに僕は昨日丹念に磨いた窓を見たけど、晴れている。これといって悪天候の兆しは見受けられなかった。


「荒れますか? いいお天気ですよ」


 と、首を傾げる。師匠は小刻みにうなずいた。


「荒れる。長老を中に入れてやらないとな」

「チョーロー?」

「山羊な」

「名前ですか、それ」

「白髭がいかにも長老だろ?」

「いつも世話になってるんですから、もうちょっとマシな名前をつけてあげてください……」

「いいじゃないか。ちゃんと返事するぞ?」


 そう、ですか――と僕はつぶやいた。

 正直、山羊と師匠がよければそれでいいんだ。僕がその変な名で呼びたくないとしても。

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