042 イタリアンレストラン

 「おぅ、オフィーリア。バイトでもないのに珍しいな。どうした?」


 店の扉を開けて中に入ると、店長はカウンターの後ろでワイングラスを拭いていた。仕事以外で店に来ることがない私を見て、何か用事があって店にきたんだと思った店長は、私の隣に佇む絶世の美女に気が付いて、目を見開きながら固まった。そんな全開に目を見開いていたら、目玉がごろんと落ちくるのではないか、と心配するほどの驚き様だ。


 ……まあ、この氷肌玉骨は……驚くよね。見とれるよね。女の私でも、しかも4カ月も一緒にいても、目が離せなくなるぐらいだもん……。


 店長が驚くのはわかるが、ちょっとあからさま過ぎる。口までぽかんと開いた店長の顔が、なかなか元に戻らない。これは、目を覚めさせなければ。


 「こんにちは、店長。ちょっとお腹空いたから、食べにきちゃいました。座っていいですか?」


 店長は瞬きもせずエステラ凝視したまま「あ……ああ」と私の声に応えた。失礼過ぎる……。いくら従業員で気心が知れた関係とはいえ、少しは客として来ているこちらにも視線を移し、笑顔で応えるのものだと思うのだが。


 私たちが店の一番奥にあるキッチンのすぐ傍のテーブルに腰を下ろすと、すぐに店長が水とメニューを運んできてくれた。


 「オフィーリア、珍しいな、そ……その、友達を連れてくるなんて……。そんなこと今まで1度だってなかっただろう?」


 店長は私に話しかけながら、横目でエステラをチラチラ興味深そうに見ている。


 「どうしてもお腹空いちゃって……。こちら、つい最近一緒に住み始めたエステラです」

 「い、一緒に住み始めたって?? オフィーリアがか??」


 驚いた声に、エステラの「はじめまして、エステラです」という挨拶がかき消された。いくら何でも驚き過ぎではないか。


 「店長、ちょっと失礼過ぎません? 私をどれだけ友達のいない孤独な人間だと思ってるんですか!」


 笑いながら言ってるけど、実際そうなのだ。私には友達がいない。昔から学校やバイト先でみんなと挨拶するし、話もする。でもそれ以上仲良くはなれないタイプだった。昔から昼食を1人で食べることも何ともなかった。高校ぐらいからは、将来、弁護士か裁判官になろうと勉強しかしなかったから私には友達と呼べる人が1人もいない。


 「いやあ、せっかくオフィーリアが友達と来てくれたんだし、ゆっくりしていってよ」


 店長は、美人を相手にして調子が上がったのか、口笛を吹きながら足軽にキッチンに消えていった。こんな楽しそうな店長を今まで見たことがない。美人パワー恐るべし。


 「すごいね、レストランって」


 エステラは興味深そうに店内を見回している。


 「すごいって何が?」

 「だって、この中からお願いした食べ物が出てくるんでしょ? すごいよ」

 

 メニューを手にエステラの瞳は生き生きと輝いている。


 「300年前はレストランはなかったの?」

 「ん~、少なくともグライフにはなかった。外で食事をとるなんて……あ、宿では食事は出るけどさ。こんな沢山のメニューから選べるなんて、すごすぎる……!」


 そうか、300年前にはレストランはなかったのか。300年前の生活を知らない私は、ついつい昔のエステラの暮らしぶりを祖父母や曾祖父母が生きた時代と似たようなものだったんだろうと思いながら話してしまう。でも本当は曾祖父母が生きた時代よりももっともっと昔なんだと時折思い知らされる。


 ……水道も電気も下水道もない時代だもんね……。


 「けど……ごめん、オフィーリア。私、ここに書いてる食べ物がどんな料理なのか、全く見当がつかない……」


 ここのレストランのメニューはほどんどがイタリア語で書かれている上に、300年前のこの国にはイタリア料理が伝わっていなかった。エステラがスパゲッティを好きじゃないのは知っている。1度ボロネーゼを作ったら「この長い食べ物の食べ方がわからない」だの「食べにくい」だの非難轟轟だった。ミートソースは好きだったみたいだけど。


 「このスパゲッティとかリングイーニってのは、あのエステラが食べにくいって言ってた長い麺だよ。あ、タリアテッレもね。ラザニアとかピザとかが食べやすくていいんじゃないかな? カツレツみたいなお肉料理もあるよ」


 1つ1つのメニューを丁寧に説明する度にエステラの目に星が瞬いた。


 ……エステラ楽しそう……注文すれば、すぐ温かい料理が出てくるお店、だもんね。


 「オフィーリア、今日はありがとうね」


 注文後、エステラは改まって私に向き直った。蜂蜜に濡れた艶めく満月が、真っ直ぐ私だけに向けられている。


 「ありがとう……? 何が?」

 「オフィーリアのお陰で、私はストゥルーンともう1度会うことができた……ストゥルーンが、母さんを……助けようと……してくれたことも……わかっ……」


 エステラの瞳にはまた涙がたまり、大きな満月の雫が静かに落ちた。


 ……やばい。


 あの切ない純愛を思い出すと、鼻先がつんと痛んで涙が溢れそうになる。


 「エステラにあの日記を見てもらって、ストゥルーンも本望だったんじゃないかな。あの日記はエステラが読むべき物だったと思う」

 「……私ね、本当に……本当に好きだったんだよ……ストゥルーンのこと……」


 ストゥルーンへの気持ちが涙となって溢れている。


 「もっと早くに出逢いたかった、って何度思ったか。あんな場所じゃなくてね。ちゃんと……普通に出逢って、一緒に過ごしたかった……」


 私はテーブルの上でエステラの手を握ってあげることぐらいしかできなかった。この女神のような少女の背負ってきたものがあまりにも大き過ぎて、私は彼女を救う言葉が見つからない。


 「……あの後、母さんとストゥルーンはどこに行って、どんな日々を送ったんだろう。誰かに捕まったりしなかったかな? 母さんは何歳まで生きたんだろう? 病気とかしなかったかな。ストゥルーンは幸せだったかな……私の望みにばかり気をとられて、彼の人生が幸せなものじゃなかったら嫌だなあ……」

 「私が知ってるストゥルーンはこう答えるよ。――愛する君の望みをかなえることが僕の幸せなんだ。僕は幸せだった――ってね」


 エステラはくすぐったそうに「ふふっ」と笑った。その吐息交じりの笑い声が、とてつもなく透明で、人間の声とは思えない音色を帯びていた。


 「あの『死ねる薬』もストゥルーンが捨てちゃったのね。私が処刑の直前に死ねなかった理由がわかったわ」

 「それに対しては失望した? ストゥルーンに」


 エステラは首を横に振った。


 「これは私の予想だけど……母さんが作った薬を飲むと、私だけじゃなく母さんも一緒に死ぬ魔術がかけられていたと思うの。これは私の勝手な予想だけど……」


 ……魔術でそんなことができるのか。


 「母さんは優しい人だったから……私だけを死なせるなんてことできなかったと思う。だからストゥルーンがファーガスリー川に捨ててくれてよかったかも。結果論だけどね。それで私だけ死んで、母さんはどこか遠くで平和な人生を送ってくれてたんだったら、私は幸せよ」


 私たちはラザニアとピザを2人で仲良く食べ、その後にデザートまで頼んだ。エステラは初めて食べるティラミスに頬を紅潮させながら感動し、店長を絶賛しまくった。その後、調子に乗った店長がサービスでティラミスをお持ち帰りさせてくれたことは言うまでもない。

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