041 ストゥルーンの計画
アスキン牢獄の夜番ストゥルーンの日記は、その「処刑日の1週間前」を最後に終わっていた。その翌々日、彼の秘密の「計画」は成功したのだろうか。一体どんな計画だったのだろう。彼の計画に思いを馳せながら、静かに日記帳を閉じた。
泣いていた。
私は、どうしようもないほどに泣いていた。
エステラは神様からの力のおかげで、何事もなかったかのように静かに私の隣に座っている。
……ずるい。こんな悲しい日記だとわかってたら、私も神様の力、お願いしたのに。エステラだけ平然と座っていられるなんて、ズルすぎる。しかも当事者のくせにっ!
ルーリーさんは静かにティッシュボックスを差し出してくれた。
「すみません……ありがとうございます」
もらったティッシュをぐっと自分の両目に押しあてた。
「こんな泣いちゃってすみません……なんか、悲しすぎて……」
ルーリーさんの重低音な声が優しく響く。
「いえ、私も一番最初は涙なしに読めませんでしたよ」
そこでエステラは申し訳なさそうにさっと立ち上がった。
「すいません、ルーリーさん。実は私、この後予定がありまして……こんな面会の途中なんですけど、お暇させていただきます。今日はありがとうございました」
時計を見ると3時56分だった。神様の力が消えるのは4時。エステラは私に軽くアイコンタクトを送った後、ジャケットを持ってさっさと退室していった。ルーリーさんは「お忙しいんだねえ、気を付けてね」とエステラを優しく見送った。
部屋に残った私は、ルーリーさんの入れてくれた紅茶をゆっくりすすって気持ちを落ち着かせた。
「あの、この後、ストゥルーンがどうなったかは……?」
ルーリーさんは残念そうに首を横に振った。
「わかりません。彼がどんな計画を立てていたのかも……。ただ処刑の記録を見ると、この『エステラ・ジェラルディーン』とみられる女性の名前はないし、処刑人数も8人だ。最後の最後で、彼女は処刑を免れた、と考えるのが自然だと私は思っているんですよ」
……いや、これは所長が記録を消し去ったんだよ……!
エステラ本人から「処刑された」と証言があるんだから、ルーリーさんの推測は、残念ながら間違っている。勿論、エステラ本人の証言を知っているのは私だけなんだけども。
「実は、ライル・グッドウィンの日記に、なんとなくストゥルーンの計画に関連しているのではないかと思われる記述はあるんですが……確証はなくてね」
「それ、今見れますか?」
「ええ、ありますよ」と言いながら、この前見せてもらったライル・グッドウィンの日記をペラペラとめくり始めた。「ここです」と指さしながら、差し出されたページには不可解な文が書かれていた。
――
明日、私たち家族の大切な『心』を1つ失います。
やれるだけのことは、やりました。
あとは神のご加護と、彼の幸運を祈るだけです。
――
「確かに……日にちからしても、ストゥルーンのことを書いているような気がしますね……」
……エステラだったら、この計画のこと知ってるんじゃない?
ストゥルーンの日記の中には、確かエステラに「計画を話した」とあった。エステラがストゥルーンの秘密の計画の全貌を知っていた可能性は高い。
「ちなみに、このアスキン牢獄の所長、ロバート・ショーはその後どうなったんでしょう? この悪代官が罪に問われずにいたら許せないんですけど……」
「彼は、ずっと気に入った女性を密告しては牢獄内で強姦する、という悪事を繰り返していたみたいです。最終的に強姦罪で処刑されています。この魔女裁判の12年後ぐらいだったと思います」
彼が裁かれたということに対しては少しだけスッキリした。もし彼があのまま悠々と生き、穏やかに老衰し、死んでいったなんてことになっていたら、私は発狂していたかもしれない。
コップに残った紅茶を飲み干し、私はジャケットを手に立ち上がった。
「ルーリーさん、今日はありがとうございました。本当に貴重なものを見せていただいて……。あの、ご迷惑じゃなかったらまた遊びに来てもいいですか? なんだか魔女裁判の件、すごく奥が深くてもっともっと知りたくなってしまって……」
ルーリーさんの頬が上がるのと一緒に白い髭も動いた。
「もちろんですよ、オフィーリアさん。私も魔女の話が出来る友人ができて本当に嬉しいんです。また是非いらして下さい」
月のように目を細めたルーリーさんは「ほっほっほ」と機嫌よく笑った。やっぱりサンタクロースだ。
ルーリーさんの研究室を後にした私は急いで携帯を取り出した。連絡先リストをスクロールしてエステラに渡した携帯へかける。
「……もしもし……」
泣いて枯れた声が携帯電話から漏れてくる。
「エステラ、今どこ? 終わったよ。今、ルーリーさんの研究室出たところなんだけど。エステラは?」
「美術館の入り口横のトイレ……」
「すぐ行く」
トイレの中でエステラは蹲っていた。むせび泣きを堪えようとしながら、けど堪えきれない嗚咽を漏らしながら泣いていた。私が近づいても、エステラは顔を上げようともしない。まるで「あっちに行って」と言わんばかりに、人を寄せ付けない空気を漂わせている。
「……エ、エステラ……」
「……っ、……っ……。ストゥルーン……言ってた。……母さんを連れて……遠く……ずっとずっと遠くに逃げるって……」
それは、エステラの最後の願いだ。
「彼の家の……馬で、母さんと遥か遠く……西に行く、って……。見つかれば、彼は馬を盗んだ窃盗罪で捕まる……けど家族に迷惑はかけないって……。自分だけ罪人になって……できれば縛り首にでもなって、……っっ……早く私と……あの世で……っ。……っ……私には願うことしかできなかった……ただストゥルーンを信じて、彼が母さんを助けてくれることを……彼が無事でいること……を」
「それが……ストゥルーンの計画……?」
蹲ったまま顔も上げずにエステラは頭を縦に動かした。
「あの後、ルーリーさんがライル・グッドウィンの日記をもう1回見せてくれたの。たぶんだけど、計画を実行したような感じの文が書かれてた。成功したかはわからないけど……」
「……やっぱり……実行してくれたんだ。……ストゥルーンは……馬でずっと西に行くって言ってた……誰も住んでいないような田舎に行って、母さんと親子を装って暮らすって……。幸せな一生を送れるよう、母さんを支えてくれるって……」
惚れてしまいそうなほど、ストゥルーンは男前すぎる。彼はまさにエステラに自分の人生を捧げようとしたんだ。愛するエステラの願いを叶えるために。彼女がこの世に未練を残さないだめに。
「そっか……ストゥルーンは口だけの男じゃなかったんだね。エステラとの約束をちゃんと守ってくれたんだ……」
「……追っ手に捕まったりしなかったかな? ちゃんと行くべき場所へたどり着けたのかな……」
300年前に死んだエステラが唯一気になっていたのが、母親のその後だ。全てがわかったわけではないけれど、とりあえず、魔女裁判の死刑囚の遺族として酷い扱いを受ける前にストゥルーンと遠くへ向かったことだけはわかった。1歩進んだ気がした。
……それからのことは、調べられるのだろうか? ストゥルーンとエステラのお母さんはどこへ行ったんだろう? 計画は成功したのだろうか? こういうことは、どうやって調べたらいいんだろう?
私の知りたかったことも少しわかった。エステラは何の罪も犯していないのに、魔女狩りに紛れてロバート・ショーに強姦目的で密告、収監された。これは私の推測だけれど、エステラの記録を消したのはロバート・ショーだ。自分の悪事を隠すために記録を処分したに違いない。
「ねえ、お腹すかない? 私のバイト先で夕飯食べない?」
謎解きはここで終わらない。1つ何かがわかると、その次の謎が生まれる。少し気分を紛らわせたくて、私たちはバイト先へと歩き出した。その頃には私たち2人分の涙も乾いていて、肌を撫でる夕方の空気が優しくなっていることに気がついた。もう冬も終わりだ。思い返せば、エステラを拾ってから4ヶ月近くになる。私は隣を歩くエステラを見た。それに気付いたのか、蜂蜜に濡れたお月様の瞳が私に向けられる。真っ赤に充血したエステラの蜂蜜色の瞳が、まるで夕空に浮かぶ満月のように見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます