035 夜番の日記Ⅵー彼女の願いー

――


 もう私に迷いはありません。

 私にできる限りのことをします。彼女のために。


 夜番の時、彼女はもう身体を起こすことすら出来ないようで、ただ死体のように独房の中に横たわっていました。それでも私がいつもの椅子に座ると、その美しい顔をこちらに向けました。


 「ストゥルーン……」

 「なに? 水が欲しいかい?」

 「……わたし……死ぬのかしら……」


 どう答えたらいいのか、わからずに私は黙り込みました。


 「どんな嫌疑をかけられてるのかは知ってる?」

 「いいえ」


 私は全てを彼女に話してあげることにしました。きっと彼女が自由の身になることはありません。所長はただ彼女を強姦するためだけに、自分の地位を使って彼女を告発したのですから、おそらく無罪になることはないでしょう。


 「君は魔女の嫌疑をかけられている……密告されたんだ。かなりの権力者にね」

 「ま、魔女裁判ってこと……?」


 私は大きく首を縦に振りました。


 「取り調べが終わると、裁判が始まる」

 「……そこで有罪だったら……」

 「魔女裁判で有罪だった場合は、極刑だ」


 一瞬だけ目を見開いて、彼女は思いつめたように黙り込みました。そして意を決したように私に聞いてきたのです。


 「ストゥルーン……正直に言って。私が有罪になる可能性は?」


 緊張で喉が鳴りました。変な汗がじっとりと私の掌に滲みます。何と答えればよいか、何と答えてあげるのが正解なのか、私にはわかりませんでした。言葉を紡ぎ、彼女を安心させてあげたい気持ちはあるのに、言葉が喉につっかえて出てこないのです。いくら静めようとしてもざわつく心と、どれだけ落ち着かせようとしても消せない鼓動のせいで、沈黙がとてつもなく長く感じられました。


 「お願いよ、本当のこと……ストゥルーンが知ってること……教えて。答えによっては母さんに伝えたい事があるから……。私に手紙が書けるうちに、知っておきたいことがあるのよ……」


 衰弱しきってるはずなのに、彼女の瞳だけははっきりと意志を宿していて、だからこそ私は本当のことを彼女に話すべきだと思いました。


 「一般的に魔女マークがあれば有罪はほぼ確定だ。魔女マークが見つからない場合は無罪になる可能性がまだ残されている。ただ……」

 「ただ……何?」

 「君の場合、密告した人がとても権力のある人物、という噂を聞いた。その場合は……その……」

 「……無罪になる可能性は低い……?」

 「……ああ」


 彼女は小さくため息を吐きました。それはある種の諦めのようにも聞こえました。


 「もし私が有罪になってしまったら、母さんはどうなると思う?」

 

 まるで私が取り調べを受けているかのようです。答えるたびに心が抉られるような質問を彼女は次々と投げかけてきて、私の罪はどんどん膨らんでいくような気持ちになりました。


 「恐らく最初に処刑費を請求される」

 「処刑費?」

 「処刑するのにかかった費用をね。絞首用の縄や刑架代、あとは処刑吏手当などがそれにあたる」

 「……そんな物を遺族に請求するの?」

 「ああ……。そのあと家族の土地や財産は没収されるだろう」

 「……そ、そんな……。じゃあ母さんはどうやって生きていけば……」


 彼女はしばらく目を閉じた後、ゆっくりと身体を起こし始めました。動かすと痛いのか、時折、動きを止めたり、小さく呻くような声を上げたりしながら、丁寧にゆっくりと身体を持ち上げるその動きは、皮肉にもとても美しく見えました。


 「ストゥルーン……」


 ゆっくりと鉄格子の前まで来た彼女は意志の強そうな琥珀色の瞳をまっすぐ私に向けます。吸い込まれそうなほど力強い目でした。


 「……こんなこと……あなたにお願いすべきことじゃないかもしれない……。けど……私には、もうあなたしかお願いできる人がいないの。……もし……もし私が有罪になったら、その……母さんのこと……」


 彼女が鉄格子の前まで来ると、私の横にある火の明かりのせいで彼女の琥珀色の瞳が秋の楓の葉のように燃え上がります。その燃え上がる瞳から大粒の涙が1つ零れ落ちました。


 「……できる範囲のことで構わないの……どうか、母さんを……お願い……」


 思わず鉄格子に腕を突っ込み、緩く彼女を抱き寄せました。なるべく指締めをうけた手を触らないように。脱臼しているであろう肩や腕が痛まないように。私は緩く彼女を包み、彼女の優しいベージュ色の髪をゆっくりと撫でました。


 「……約束する」


 私はあの時、泣ていたのでしょうか。

 もっともっと言葉を紡いであげたかったはずなのに、あの時の私にはその一言しか言えなかったのです。

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