033 夜番の日記Ⅳー彼女の傷ー
――
ここまで夜番に行きたくない日が今まであったでしょうか。けれど行かねばなりません。私には、この家系を引き継ぎ、守ってゆかなければならないという責任があるのですから。
アスキンに着くと、私はいつもの椅子に座りました。横目で彼女の独房を見てみると、彼女は鉄格子の前に寝転がっていました。こちらに背を向けていたので、寝ているのか起きているのかすらわかりませんでしたが、彼女の手が血まみれになっているのが見えました。それは彼女の取り調べと拷問が始まったことを意味します。おそらくは拷問の中でも『予備拷問』と言われる『指締め』を受けたのでしょう。人によっては『指締め』で肉が裂けたり、骨が砕けたりすることもあります。彼女の場合はどうでしょうか。彼女の血塗れの親指を見ながら、私はせめて彼女がもうしばらくの間だけでも万年筆を持てるように、母親に手紙を書けるように祈らずにはいられませんでした。
「……ゥルーン……?」
今にも途切れそうなほどか弱い声が私の名前を呼びました。拷問され、女性としての辱めを受けた彼女への接し方がわからず、返事をすることさえ躊躇われました。
「……手紙、届けてくれた?」
「ああ、あの朝、直接君のお母さんへ手渡したよ」
「お母さん、元気そうだった? 心配してなかった?」
「心配してない、と言ったら嘘になるだろうな……」
彼女は横たわったまま、自分の手を閉じたり開いたりして手が思い通りに動くか確認した後に、ごろりと転がって私の方へと顔を向けた。
「ストゥルーン……今日、紙とペンある?」
こちらに向けた彼女の美しい顔には、あざや小さな擦り傷がいくつかありました。人の傷を直視することがここまで難しく感じたことがあったでしょうか。
「持ってきてるよ」
「……母さんに手紙……書いていい?」
私は頷くと紙とインクと万年筆を取り出しました。鉄格子越しに紙を渡す時、私は両手で彼女の手を包みました。彼女は驚いた表情で私の顔を見上げました。
「……どうして君がこんな目に遭わなければいけないならないのか……」
氷のように冷たくなった彼女の手を見ると、親指の肉が潰れていました。もし自分が超人的な力を持っていたら、この彼女の痛ましい傷を治してあげられるのに。せめて、この陶器のように白く美しい彼女の手を汚している血をきれいに拭き取ってあげられたら。この血が、傷が、真っ白で穢れのない彼女を蝕んでゆく悪魔の刻印のように思えたのです。こんなにも心が苦しくなるなんて私はおかしくなってしまったのでしょうか。
「ストゥルーン……私、ここから出られるのかな……」
彼女の目には涙がたまっていて、いまにも零れ落ちそうな大粒の涙がゆらゆら揺れながら必死にその深い琥珀色の瞳にしがみついていました。
「私にはわからない」
彼女を抱き締めたくてたまりませんでした。しかし私たちの間に隔たる鉄格子がそれを阻みました。彼女は私の手を優しく解いて、手紙を書き始めました。私はその手紙をまた朝霧の深い早朝に彼女の母親へ届けました。
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