028 ルーリーさんに会う前に

 ルーリーさんから再び連絡があったのは、肌寒さが残りつつも少しだけ気候の春めき始めた頃だった。風はまだ冷たいものの、急に日照時間が長くなった実感が湧いて、カレンダーにはサマータイム開始の日曜日に赤いペンで印が入れられている。


 ルーリーさんのメールには、例のアスキン牢獄副所長ライル・グッドウィンの息子が書いたと思われる日記の修復作業が一通り終わった旨が書かれていた。もし興味があれば見に来て欲しい、という。ライル・グッドウィンの3人の息子のうち2人は、アスキン牢獄の夜番をしていて、エステラを知っている人物。


 ……私の予感が正しければ、日記を書いたのはきっと……。


 「エステラ、ちょっといい?」


 私は少し緊張しながらエステラを呼んだ。


 「実はね、ルーリーさんから連絡があって、例のアスキン牢獄の副所長の息子が書いたとされる日記を見に来て欲しいって……」

 「そうなんだ」

 「エステラも一緒に来る?」


 こんなことを改まって聞かれることにエステラは戸惑っているようで、目を丸くしながら首を横に傾けている。多分、いや絶対に、なぜ私がこんなことを聞いているのかわかっていない。


 「あのね、これは私の予感なんだけど……。たぶん今日見せてもらう日記は、ストゥルーンの日記じゃないかって思ってるの。何となくだけど……牢獄の夜番をしててエステラを知ってる人物……。副所長は日記で所長を非難したり、魔女狩りに疑念を持ったりしていたでしょう? ストゥルーンもエステラが牢獄にいる間に便宜をはかってくれたみたいだし……なんとなくライル・グッドウィンとストゥルーンが親子っていわれたら納得がいくんだよね」


 もちろん確証はない、と付け加えてエステラの返答を待っていると、エステラの頬が紅潮していくのがわかった。目が潤んでいる。いつも通りの吸い込まれるような琥珀色の瞳だ。


 「……ストゥルーンの日記……」

 「まだ決まったわけじゃないよ。違う夜番の人の日記の可能性もある。ストゥルーンかもしれない、ってのは私の予想」


 ストゥルーンの日記かも、というだけで、こんなに感情的になって涙を溜めるぐらいだから、もし本当にストゥルーンの日記だったら号泣してしまうのではないだろうか。ルーリーさんに変に思われるぐらいだったら、やっぱり連れて行かない方がいいかも。


 「……見たいよ。……見たいよ、ストゥルーンの日記なんだったら……」


 ……だろうな。


 そう言うだろうと予想はしてた。エステラが牢獄から母親に出した手紙に『ストゥルーンはいい人』とあったのを思い出しながら、私はどうしようか考えた。


 「エステラ、もし日記が本当にストゥルーンの書いたもので、中に何が書かれてあっても、泣いたり、感情的にならないでいられる?」


 私の問いにエステラは暗い顔で下を向いた。すぐに答えが出ないということは、やっぱり内容によって自分がどのように反応するのか、当の本人ですらわからないのだろう。


 「……泣いちゃうよ……絶対に。泣かないでいられるわけないじゃない……。本当にストゥルーンの書いた日記なんだったら……普通にしていられるわけないよ……。もう会えないストゥルーンに300年の時を越えて、再会できるなんて考えもしなかったことだもん……」


 潤んだお月さまからぽたぽたと涙を溢しながらエステラは言葉を振り絞った。


 「ごめん……それだったら、連れて行けない……」


 今日、修復できたての日記を一番見るべきなのはエステラだと思う。けど、書かれた内容によって感情を乱すのであれば、本当に連れていくのは難しいのだ。取り乱した理由を、ルーリーさんにどう説明しなければいけないのだろうか。連れて行けない、と振り絞った自分の声が震えていた。個人的には「わかった。泣いたりしないから、一緒に行かせて」という言葉が欲しかった。その一言が聞けたら、どれだけ楽だっただろう。


 「オフィーリア」


 エステラは袖で涙を拭うと、意を決したように私を睨んだ。


 「ちょっと神様に会ってくる」


 ……はい?


 「え、行かないってことでいいのね? じゃあ今日は私1人で行ってくるよ?」

 「違う」


 ……話題が飛び過ぎてついていけない。


 私は今日ルーリーさんのところに行くか行かないかの話をしていたのであって、神様に会う話なんかはしていない。


 「ルーリーさんの所に行くまで、少しだけ待ってて欲しいの! 約束の時間は何時?」

 「2時だけど?」

 「それまでに絶対に戻ってくる。感情の神様に会って、今日の夜まで感情を失くしてもらえるように頼んでくる!」


 ……え? 感情の神様? 感情を失くす?? 数時間限定で??


 エステラの言ったことを頭の中でゆっくり咀嚼していると、あっという間にエステラは自分の部屋に消えていってしまった。


 エステラの言葉から察するに、感情の神様ってのがいるのね? その神様は感情を司る神で、頼めば感情を無くしてくれるってこと? そういう解釈でいいの?


 もしそんなことが出来るのであれば、1年前、私の感情を全て無くしてほしかった。突然両親を亡くした喪失感、愁傷、絶望、孤独、怨恨、厭悪、憎悪、自分が壊れていく恐怖……。そんな感情を全て感じずにいられたら、どんなに楽だっただろう。



◆◆


 その言葉通り、エステラは1時間も経たないうちに戻ってきた。見たところ何の変哲もなく、感情はまだあるようだ。


 「おかえり、エステラ。……で、どうなったの?」


 ソファに座る私の隣に腰かけたエステラは、私に体を向けるように座り直した。


 「感情の神様たちに会ってきた。今日の2時から4時までの間、私の中で涙に直結する感情は無くなることになってる。2時間限定よ」


 溜息が出た。神様案件はいつも何でもありな感じで、私にはすぐに理解が出来ない。そもそも「感情の神様たち」って……感情の神様は複数人いるの?


 「感情の神様たち、って……感情の神様は1人じゃないの?」

 「そんなわけないじゃん!」


 ……ナニ、その常識を疑うような反応は……?


 「感情って色々あるじゃん! 喜び、悲しみ、怒り……だから感情の神様は多いよ」


 言われれば納得、な気もするけど、じゃあ感情の神様だけで何十人も存在するのか? その全員に会ってきたってこと? よくわからない。


 「けど記憶がなくなるわけじゃないから、2時間経つと私は泣き始めるかもしれない。ルーリーさんとの面会、2時間で終わるかな? もしそれ以上長くなると、平静を保てる保証はない……」


 ……2時間……。


 まるでシンデレラの魔法のように2時間限定の神様の計らい。本当に2時間でルーリーさんとの面会が終わるのだろうか。私もこれは行ってみなければわからなかった。


 「エステラは行きたいのね?」


 そう問うと、エステラは意志の強い目で大きくこくりと頷いた。


 「わかった、一緒に行きましょう。ただし……」

 「何? 」

 「最初からルーリーさんには言っておく。エステラは別件で4時には退席するって。4時になったらエステラはルーリーさんの部屋から出て。……で、美術館の中で待ってて。私が面会終わったら携帯鳴らすから」


 なるべく4時までに終わるように私も努力するね、と言うとエステラは真剣な面持ちで頷いた。

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