027 実家
「ねえ、どういうことー? オフィーリアの家はあの家なんでしょ?」
「私の実家に行くから一緒に来る?」と聞いてから、エステラは混乱していた。
「だから、私の両親の家だって」
「え、オフィーリアの両親はもう亡くなってるって……」
「そうよ。けど家だけはそのまま置いてるの」
あの日以来、実家は全く手をつけていない。この国の法律では、所有者が亡くなった場合、半年経っていれば諸手続きを経て血縁者なんかが売却できる。両親はずっと前から自分たちに何かあった時のために遺書を弁護士に託していて、彼らの財産は全て私が受け取ることになっていた。
バスに揺られながら『グライフのビバリーヒルズ』と称される高級住宅街へと入っていく。この地域に来ると、一気に家のサイズが変わり、どの家にもホームセキュリティがついている。
バスを降りて3分ほど歩くと、私が生まれ育った実家だ。
「う、うぁ……」
家を見たエステラは言葉にならない声をあげた。
「こ、これ……え。これ家? オフィーリアの?」
「そ」
私は静かに頷いた。古い2階建ての石造りの家の入口は、ちょうど建物の中央にあって2階には大きな出窓がある。
「オフィーリアの家系ってやっぱり……爵位持ちの由緒正しき一家なんでしょ?」
「違うったら。ただのミドルクラスよ」
「えー、けど、じゃあどうしてこんな大きな家なの?」
「両親が共働きだったから!」
私はホームセキュリティを解除してから、玄関のドアを開けた。懐かしいにおいがして、少しだけセンチメンタルな気分になる。
「うわぁ……中もすごい……!」
エステラを中に招き入れると、玄関ホールをくるりと見渡したエステラが吐息を漏らした
「すぐだから。適当にそこらへん見て待ってて」
玄関ホールから左手にあるドアを開けてリビングへと入る。住人のいない家はしんと静まり返っていて、生活感のないリビングが切ないほどに侘しい。暖炉を囲むようにしておかれているソファやアームチェアが、主の帰りをずっと待っているかのように見える。
「あった。これこれ……」
リビングに飾ってある『正義の天秤』を緩衝材で丁寧に包む。魔女裁判を調べる時に、私はこの『正義の天秤』を近くに置いておきたいと思っていた。黒い歴史を目の当たりにしても、エステラに起こった現実を直視するのが難しかったとしても、この天秤が私の身体に流れる司法一家の血を支えてくれるような気がしていた。魔女裁判を調べて必ず自分の正義を貫き通したい、という気持ちの表れだった。
包んだ天秤を丁寧に紙袋へいれた後、再びリビングを見渡した。両親が築き上げた、あの生活。この家。たくさんの思い出。
……エステラがいたら……もうこの家も売却しちゃってもいいかもしれない……。
周りからは立派な家なんだから、いい値段ですぐ売れるだろうし、そうすれば経済的にも楽になるだろうと言う人もいた。実際、今も莫大な固定資産税を両親の遺産から少しずつ支払っているのはお金の無駄だと思う時もある。その反面、両親が生きていたことを証明するように存在し続ける家を手放す勇気がまだ持てないでいた。
……固定資産税が払える間は、別に売る必要もないのかな。
自分の中では、以前より少しだけ「この家を売却してもいいかも」という気持ちが膨らんでいた。これもエステラの存在のおかげだ。
「お待たせ、エステラ」
玄関ホールとその奥に続く階段に飾られた絵を1つ1つじっくりと見ているエステラに声をかけると、エステラの目が潤んでいた。
「ど、どうしたの?」
「ここに飾ってある絵さ……私の知ってるグライフなんだよ……」
そんな絵があったのかどうかも記憶にない私はエステラの前にある絵画を覗き込んだ。この絵はグライフなのだろうか。修道院もなければ、町のランドマークになるようなものも何も描かれていないただの田舎風景の絵だった。どういう経緯があって両親がこの絵を手に入れ、ここに飾ったのかさえ私は知らない。
「これ……私が最期にいた場所。最期に見た風景。ギャローグリーンだよ……」
300年前、エステラが処刑された場所は本当に緑が広がるだだっ広い野原だった。エステラ曰く、この絵を描いたであろう画家の背後には絞首台があって、絵には入っていないが遠く左側には家屋なんかの裏戸が並んで見えるらしい。
……ギャローグリーンという名前がつけられるわけだ。
「ああ……懐かしい。そう、これよ、これがまさに私の知ってるグライフ……」
自分の処刑される前の風景をこんなに懐かしがるエステラが不思議に思えたと同時に、彼女がこの現代社会の変わり果てたグライフにどれだけ戸惑っていたのかを感じて少しだけ胸が痛んだ。普段は全くそんな素振り見せないけれど、やっぱり戸惑いが大きかったに違いない。
……処刑される最期に見た景色……。
できれば、そんな残酷な景色ではなく、活気あふれる当時の街並みだったり、川だったり森だったりを見せてあげたかった。この絵が300年前の違うグライフの絵画だったら。そんなことを思わずにはいられなかった。
「さ、用も終わったし帰りましょ」
「それ? エステラが持って帰りたかった物って」
私の手にさがっている紙袋に目を落とした。
「そう。帰ったら見せるね。私の大切なものなの」
そのままアパートへ帰ると、私は少しだけ埃のかぶった『正義の天秤』をきれいに拭いて、テレビ台の横に飾った。
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