026 魔女の仕事
自分の記憶が深く眠りの沼に沈んでいくのをぼんやりと感じていると、不思議な夢を見た。
見たこともない女性の結婚式だった。
金髪の彼女は純白のドレスに身を包んで、終始笑顔で色んな人と話したり、踊ったりしている。その純粋な満面の笑顔を見ると、何がそんなに嬉しいのか聞きたくなる。見るからに「人生最高の日」を過ごしている彼女は、時折、目じりから溢れるうれし涙を指でそっと拭っている。そんなに笑い続けたら、顔の筋肉ひきつらない?なんて思ってしまう私は少し冷めているのだろうか。
スマホのバイブレーションが響き、その夢はまるでテレビをパチンと消したように途切れた。
妙に幸せで、爽快な目覚めだった。ただ夢の中で幸せそうに笑う女性をずっと見ていただけなのに、心が満たされていて、今朝はコーヒーではなく温かいココアでも飲みたいと思ってしまう自分が不思議でしょうがなかった。
「おはよぉ、オフィーリア……」
パジャマ姿にもこもこのガウンを羽織ったエステラが、目を擦りながらダイニングに入ってきた。
「おはよう。私ココア飲むんだけど、エステラも飲む?」
「ココア?」
「チョコレートを牛乳に溶かしたような甘い飲み物なんだけど……」
市民の生活に砂糖もチョコレートもなかった時代に生きていたエステラにとって、チョコレートはこの世界で一番のお気に入りだった。私の言葉に彼女の目が艶めく。
……ああ、今日もエステラのお月さまは蜂蜜にたっぷりと濡れてきらきらしている……。
「じゃあエステラの分も作るね」
私は小さな鍋に牛乳を温め始めた。こんなに幸せな気持ちなんだから、ココアにマシュマロでもトッピングしてやろうかな、なんて考えていると、ダイニングテーブルに座ったエステラも、何やら嬉しそうに鼻歌なんかを歌っている。2月のまだ極寒の朝なのに、空気が妙に温かくてほんわりしている。
「……エステラ、今朝なんかご機嫌だね?」
「まあね。オフィーリアも見たでしょ?」
鼻歌交じりのエステラが当たり前のように聞いてくる。
「何を?」
「夢」
「……夢?」
なんだ、この言い方。
「あの依頼主の夢。ほら、昨日は2月17日。前にあった依頼主の結婚式だった日でしょ」
思わずカレンダーを見た。今日は2月18日。確か以前、結婚式の日に雨を降らせないでほしいと依頼してきた主の結婚式の日は2月17日だった……気がする。
「え、え、え。どういうこと?」
「魔女の仕事をして、依頼主が感謝してくれたら、夢に出てくるのよ」
……つまり、夢に出てきたウェディングドレスの女性が依頼主で、私とエステラは同じ夢を見た、ってこと??
「私も今朝はすごく幸せな気分。彼女の横に車いすのお父様がいたでしょ」
夢の中で、確かに彼女の横に車いすの男性がいたのを覚えている。月のように目を細めて、ずっと彼女を見ていた。
夢の中で見たことを色々と考えながら、ココアの入ったマグカップと一緒にダイニングテーブルに座った。ココアを口に含むと、甘くて暖かくてほっこりした。それが妙に幸せだった。
……こんな形で誰かを幸せにする、って信じられないぐらい素敵な気持ち……。
「ぅわわぁっ……!」
エステラが急に変な声をあげた。
「どうしたの? ココア熱かった? 舌、やけどしてない?」
エステラはマグカップの中をじっと見つめている、と思ったら真剣な面持ちで顔を上げた。
「これ、むっちゃ美味しい」
ココアという飲み物もエステラには満足いただけたようだ。エステラは勿体なさそうにちびちびとココアを飲みながら「はぁ~ん」とか「ぅふ~ん」とか吐息交じりの幸せそうな声を出している。
「ココア、だっけ。これ大好き! チョコレートぐらい大好き!」
この現代の世界で、また1つエステラのお気に入りが増えた。まるで赤ちゃんにお気に入りが増えていくように、エステラもこの世界に少しずつ慣れてきている。それが無性に嬉しい。
「エステラ、1つ確認……ていうのかな。していい?」
「ん? 何?」
「エステラのいう魔女の仕事っていうのは、あの壺に入る依頼のことよね?」
「そうだよ」
「内容によっては神様と交渉したりするのよね?」
「うん」
「その報酬は偶然かとか人為的かどうかは別にして、私たちが生きるための光熱費とか食費に反映される、て解釈で合ってる?」
艶めく2つの丸いお月さまはじっと私に向けられた後、三日月のように細められた。
「すごいよ、オフィーリア! よくわかってる! そう、魔女の仕事ってそういう感じ!」
とても複雑な問題を他人に理解してもらって、スッキリしたような顔をしてエステラはココアをすする。
「それで、もし依頼人が魔女に感謝してくれたら、夢に出てくるのね?」
「うん、そうだよ。けど仕事をした人の夢にしか出てこないし、依頼人が感謝してくれなかったら何も起こらないの」
……魔女の仕事、か。
「今も依頼の手紙って結構来るの?」
この現代社会に本気で魔女を信じて、依頼をしてくる人間がどれだけいるのだろう。しかも郵便ポストに投函するわけじゃなでしょ? 宛先……てか、まずどうやって魔女に手紙出すの?
「確かに300年前に比べると依頼数はむっちゃ少ない。1週間に1~2通かな……。けど魔女の数も減ってるっぽいから競争率は低いかも」
……いや、魔女の数も減ってるっぽいって……あんた以外に魔女なんているものか。
「魔女に依頼ってどうするの? 何か特別な方法でもあるの?」
「んー、いくつか決まりはあるよ」
エステラは人差し指を顎にあてながら、天井の電気に視線をあげて考え始めた。蜂蜜に濡れたお月さまが、よりいっそう艶めく。
「手紙には自分の名前と住所を書かないといけない。あと依頼内容もかなり細かく。結婚式の件だったら、結婚式の日時や会場なんかをね」
「普通の郵便ポストに投函するんじゃないでしょ? どうやって送るの?」
「井戸だよ」
「井戸?」
「うん、そう。近くに井戸があったら、そこに依頼の手紙を入れるの。けど井戸の中に水が入ってないとダメ。あと手紙を投げ入れる前に井戸の上で呪文の言葉を書かないといけない」
「呪文の言葉?」
「『魔女へ』ってね。井戸の上で、ただ宙に指で書くだけ」
そんな方法、誰が知ってるんだろう? 本やネットにでも載っているのだろうか。今の時代、残ってる井戸自体が少ないから、依頼を投函するのすら難しそうだな。魔女に依頼してくる人達は、どうやって魔女のことを知るのだろう。この世の中に、私の知らない魔女文化がまだひっそりと存在していることに、小さな驚きを隠せなかった。
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