024 元気になる薬

 夢を見た。


 エステラが泣き叫んで助けを乞い願う夢。


 助けて。

 助けて。

 誰か助けて。

 誰でもいいから。

 誰でもいいから助けて。

 

 長い夜の闇の中、眠りはずっと浅く、すぐに目覚めたり、もしくは今のように覚醒している時との境界線がひどく曖昧だった。自分の意識がどうしても深い眠りの沼に沈まず、まるで夢と現実の2つの世界を同時に見ているような不思議な気持ちだった。


 ……どうして……。


 この4文字が私の頭を埋め尽くしていた。何の罪もないエステラがどうして魔女の嫌疑をかけられなければならなかったのか。どうして拷問されなければならなかったのか。どうして乱暴されなければならなかったのか。どうして有罪になってしまったのか。どうして処刑されてしまったのか。どうして、どうして、どうして……、


 ベッドの中で目を開けた。


 空気が妙に静かで、自分の五感がやけに研ぎ澄まされている。空気の流れる音さえ聞こえるような錯覚に陥る。身体と心が鎖で縛られたようで、なかなか重力に抗って起き上がることができない。


 知らなかったことにはもうできない。エステラが抱えていた真実を知ってしまった今日の私は、知らなかった昨日までの私に戻ることはできないのだ。熱いマグマがお腹の奥深くに湧いているのを毎秒感じる。これが「憎しみ」なのだろうか。私は布団の中でギュッと身体を丸めた。


 その直後だった。


 「きゃぁっ!」


 小さな叫び声の後に無数の風船が一気にわれたような破裂音が隣の部屋から聞こえてきて、私は驚きのあまり飛び起きた。さっきまで重力に抗えず、ベッドから起き上がれなかった自分はどこへ行ったのか。


 「なななななななな何? 今の音? エステラ、大丈夫?」


 ノックもせず勢いよくエステラの部屋のドアを開けると、少しだけ髪の毛が乱れたエステラが肩身の狭そうな表情でこっちを見ている。


 「へへへ……あの、ちょっと……その、仕事を……ね」

 「火とか火薬とか使ってないよね? なんか爆発音みたいな音が聞こえたんだけど……」


 疑り深くエステラの部屋の中を見渡すも、煙も出てないし、焦げ臭さもしない。うん、火や火薬を使った大実験は行われてなさそうだ。ちょっとだけ安心した。


 「300年も経ってるとさ……その、複雑な薬とか魔術水の調合をね、少し忘れてたりして……」

 「つまり何か仕事をしてたわけね。で、その……何を作ろうとしてたの?」

 「元気になる薬」

 「はい? 元気になる薬?」


 エステラは気まずそうに続けた。


 「その、私が昨日……言ったこと……。オフィーリアも嫌な気持ちになっちゃったでしょ。その後から口数が減って、何て言うか……私たちの間にも少し気まずい空気ができちゃったじゃない……? だから沈んだ気持ちが明るくなる薬を作ろうと……」

 

 ……つまり……抗うつ剤みたいなもの、かな……?


 私はフッと笑った。

 エステラもそれを見てニコリと笑った。


 ……過激な過去を抱えていてもエステラはいつものままだ。


 300年前、この天使のような少女の身に起こったことは、平和ボケした私にとって衝撃が強すぎた。自分のことでもないのに、ショックを受けて、心から傷付いた。当事者でない私でさえこんなにも精神的に耐えがたいものだったのだから、当のエステラはどれだけ精神的にも肉体的にも追いやられたのだろう。


 しかし、目の前のエステラは現代のこの世界に蘇ったことに安心しているようだった。そして大きく深い傷を抱え、300年を経て生き返ったことに戸惑いながらも、強く生きている印象を受けた。その強さが、彼女の美しさをより一層際立たせているように思った。


 「元気になる薬……ねぇ。昨日の話、ショックでいまだに引きずってる私にとっては、確かに必要……かも」


 ぼそりと言うとエステラの表情がキラキラと輝き始めた。魔女見習いの仕事で、やる気が漲っている時のエステラはいつもこんな顔をする。


 「……だ、だよね! やっぱり、こういう時は無理をせず薬のんだ方がいいよね! まかせて! さっきは失敗しちゃったけど、次は絶対にうまく作ってみせるから」


 腕まくりをしながら、瓶に入った色々な植物を手に取るエステラは生き生きした職人みたいな顔をしていた。真っすぐで、一生懸命で、人を助けることが大好きで、それが生き甲斐なんだ、と言わんばかりの艶めく瞳。


 心の中で私は迷っていた。


 ……このまま1697年のグライフ魔女裁判を調べ続けていいのかな……。


 ルーリーさんのご先祖の日記を読んで、エステラは「救われた」と言った。しかし当時のことを調べていく上で、きっと私はまたエステラの傷を抉ってしまうことがあると感じる。魔女の嫌疑をかけられ、拷問され、強姦までされた彼女は、まだ私の知らない傷と闇を抱えているように思えてならなかった。


 ……やめる? だって、もう300年前の魔女裁判なんて終わったことだし……。


 諦めようか、と思うと私の正義のマグマがグツグツと身体を熱くする。エステラの心の傷まで抉って、中途半端にやめる? 私は昔の権力者たちの暴挙を暴かなくていいのか? 私の正義はどこへ行った?


 ……エステラを魔女だと密告した人間、拷問した人間、そして処刑した人間……そいつらがしたことを暴いてやりたい。


 そしてエステラが言っていたことを思い出した。


 『母さんがどうなっちゃったのかは……知りたい。手紙に『遠くに逃げて』って書いてたでしょう? 当時、魔女裁判で有罪になった被告人の家族はひどい扱いを受けるんだ、ってストゥルーンが教えてくれたの。財産没収、土地没収、あと処刑費代を請求される……とか。母さんはちゃんと逃げたのかな……』


 気持ちは固まった。やっぱり調べよう、最後まで。私が昔の権力者たちの悪事を暴いてやる。エステラや他に処刑された人たちの無念を晴らしてやる。そして、エステラのお母様がその後どうなったのか調べてやる。


 「ねえ、エステラ」


 ただ、どうしても確認しておきたいことがあった。


 「エステラはいいの? 私が魔女裁判のことを引き続き調べても……。もしかしたら、また嫌なことを思い出させたり、話してもらわないといけなくなるかもしれない……」


 目を丸くして私を見つめたエステラは、いつもの笑顔でにこりと笑った。


 「いいのよ。私も知れるものなら知りたいの。母さんがあの後どんな人生を送ったのか」


 力強い目だった。エステラの目はいつも曇りがない。仲間になるべき人間って、こういう目をしていて、こういう雰囲気を纏っているんだろうな、と思わせるような目だった。


 「よし、元気になったよ。だから変な薬はいらない」

 「えー! 何それ! さっきまでは、元気になる薬が必要かも、って言ってたよね?」

 「うん、さっきは要るかもと思ったけど、もう元気になったから必要なくなった」

 「そんなぁ……作る気満々だったのに。作らせてよ~」

 

 残念そうにエステラは眉毛を下げた。そんなエステラを見つめながら、私は次のターゲットを定めた。昨日、ルーリーさんに会ってからかなり気になっていた人物。


 ……ロバート・ショーについては、調べてみる価値がありそうだな。


 当時アスキン牢獄の所長をしていて、エステラが魔女の嫌疑をかけられた背景を知っているであろう人物。エステラを直々に取り調べ、強姦した人物。ショーという苗字からして、領主一族か血縁関係がありそうな人物。


 ……領主一家の歴史を調べていったら、見つかるかな?


 

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