020 魔女の薬湯


 予感はしてた。それは認める。


 「オフィーリアぁ、大丈夫?」


 ソファに横たわる私を覗き込む艶めく2つのお月さまが見える。私はその2つの月がきらきらと煌めくのを確認して、再び大きな安堵感に包み込まれた。その安堵感に反して、私は絶賛胃もたれ中。不眠、疲労、エスプレッソにカレーと揚げ物。彼氏と別れた女子高生のような荒れ具合ではないだろうか。


 ……けど……エステラが帰ってきてくれた……。


 私は酒焼けしたような声で小さく「大丈夫」と言いながら、覗き込んでくる顔に微笑んだ。


 「ん~、こりゃ薬が必要だね」


 ……薬か。痛み止めと風邪薬はあるけど、胃もたれ用の薬なんてあったっけ……?


 風邪を引いた時によく風邪薬は飲むけど、私は物心ついてから胃もたれの薬なんて飲んだ記憶がない。買った記憶もない。たぶん、いや、絶対に薬箱にはないと断言できる。


 「エステラ……胃もたれ用の薬、買ってこれる? できるかな?」


 はじめてのおつかいを頼むような気持ちでエステラに薬局に行けるかどうかを訊ねる。昔とは違い、医療も薬学も発達した現代の薬局に行くのは、普通のスーパーにパンを買いにいくよりも難しいはずだ。やっぱり少し気分がよくなったら自分で行くべきか。


 「お腹気持ち悪いだけなんでしょ? それなら私が作るよ」


 ……はい?


 「え……エステラ、今なんて……。『作る』? 『作る』って言った? 」

 「言ったよ」

 「な、何を?」

 「だから、く・す・り! 薬を作るって言ったの!」


 ……いーーーーやーーーーーーっっ!!


 エステラが帰ってきて、久々にきた。エステラの訳のわからない発言は今日も健在だ。


 「いや、いい! 後で自分で買いに行くから!」

 「お金がもったいないじゃん。作るよ。材料はあるし、私の薬よく効くんだから」


 ……やだやだやだやだ! エステラの言う『薬』って、要は300年前の知識で、この前おばあちゃんの老人ホームの前の林でむしってきたきた訳のわからない草を飲まされるってことでしょ? そんなの余計にお腹おかしくなる! 私には現代のよく効くお薬があればいいのーー!


 心の中で断固拒否している間に、エステラは鼻歌交じりで薬を作ってもってきた。


 「オフィーリア、薬だよ」


 差し出されたマグカップには温かいハーブティーのようなものが入っていた。緑に濁ってるけどね。


 「これ飲んだらすぐに良くなるよ。ね?」

 「……うっ……」


 半ば強引にマグカップを手渡された。エステラが無邪気過ぎて断れない。とりあえず湯気といっしょに立ち上るにおいを嗅ごうと鼻を近づけてみた。


 「うぇっ……」


 失礼をするつもりはなかったが、酷いにおいに驚いた。普通の道端に生えてる草をすり鉢で潰してお湯にいれたようなにおいがして、私は余計に受け付けなくなった。


 「オフィーリア――! 昔から良薬は口に苦し、とかなんとかって言うんだから! 騙されたと思って飲んでみて。味はにおいほど酷くないはずよ」


 ……いや、これはいくら言われても無理だって。私はこんな林に生えているような草、飲めない……。


 一向に薬を飲もうとしない私にエステラもイラつき始めたようで、だんだん私たちの間に流れる空気までもが悪くなってきた。苛立ちと沈黙が流れて、居心地が悪い。


 「わかったわ」


 エステラが意を決したように口を開いた。


 「これで私の薬が効かなかったら、薬を買いに行ってあげる。それから、今後は私の薬を絶対に飲ませない。約束する。けど飲んでみもしないのはズルくない? 飲まないと効くか効かないかもわからないじゃない」


 エステラの言ってることはわかる。わかるんだけど、私はこの薬の効用を疑う前に、まずそこいらの林でとってきた訳のわからない草を口に入れるのが嫌なんだよう。


 ……けど面倒くさいことに、このままでは埒があきそうもない。


 「あぁ、もう、わかったわよ! 飲めばいいんでしょ? 飲むわよ。けど1回だけだからね! 後で絶対に薬買いに行くから!」


 私はその緑色に濁る湯を見つめた。


 ……もう、何これ。何の罰ゲームよ? ……ったく……!


 きゅっと目をつむって、私は鼻をつまみながらその湯を一気に口から喉へと流し入れる。「うっ、まっずーー」と叫ぶ気持ち満々だったのに、とても変な感覚に襲われた。


 ……あ、れ……? 不味くない……。


 湯が口に入る直前まで、草臭い匂いで吐きそうだったはずなのに、一旦口の中に入るとその匂いが嘘のように消えた。それだけではない。ごくりと嚥下すると、まるでミントのようなメントールのようなスーッとした冷涼感が胃から上がってきて、嘘のように胃のもたれや胸焼けが和らいだ。


 「どう? 少し気持ち悪いのなくなった?」


 エステラの笑顔が美しい。女神に見える。


 「……嘘みたい……本当に気持ち悪いのなくなった……。こんな一瞬で」

 「だから言ったじゃん! 私を信じてよ」


 初めてエステラの実家の地下室に行った時のように、初めて神様に交渉しに行った時のように、エステラに関わると嘘のようなことが平気で起こる。この気持ちはなかなか言葉で説明するのは難しい。


 「エステラ、こ、この薬に何入れたの?」

 「トゥーベリャヒユとズツヴァヴォターン、あとちょっとした物を細々と……ね」


 ……全くわからん。


 ハーブティーに使われるラベンダーとかペパーミント、カモミールぐらいしかハーブは知らないし、道に生えている植物なんて薔薇やチューリップぐらいしかわからない。聞いた私が馬鹿だったのか。


 「エステラって300年前もこんな薬作ってたの?」

 「そうよ。母さんが薬草なんかは色々と教えてくれてね。胃もたれに効く薬、咳に効く薬、鼻風邪に効く薬、湿疹に効く軟膏、ただ単に痛みを抑える薬などなど、色々と作ってたわよ」


 ……民間療法もあなどれないかも。


 一気に胃もたれから解放された私に、それ以降胃の不調が舞い戻ってくるわけでもなく、本当にエステラの作った薬湯1杯で完全に体は回復した。それでも翌日、私は薬局へ行って、基本的な薬類を全てアパートに揃えておくことにした。

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