018 夜が明けて
寝ることなんて到底出来なかった。アパートに戻って、エステラが戻ってくるのを一晩中待ち続けたが、彼女は戻って来なかった。チャトから貰った冷えきったカレーが、まるで時が止まったかのように無言でダイニングテーブルの上に置かれたままになっている。冷えきった床は私の体温を奪い、それだけでは満足しないと言うかのように体の先から凍らせてゆく。まるで自分は人間なんかではなく、最初から冷えきった鉄だったみたいだ。感覚がない。
……また消えちゃったのかな……突然マンホールから出てきた時みたいに……
考えるだけで、涙が滲む。いなくなると、思い出さずにはいられないのだ。初めてエステラと会った時の凍雨の降るクリスマスの夜のことや、一緒に食べたクリスマスディナー、井戸に飛び込んで行ったエステラの実家の地下室、エステラの母さんに宛てて書いた3通の手紙、おばあちゃんの所へ行った時のこと、神様に交渉のため会いに行った時のこと、ソファーベッドに目を輝かせたエステラの表情、初めてジーンズにダウンジャケットを着て気恥ずかしそうに微笑むエステラ、あの蜂蜜に濡れた月のような大きな瞳、ミルクティー色の優しい髪、陶器のような白く透き通った肌……。
……なんでいなくなっちゃうのよ……。こんなことになるならバイトになんて行かず、エステラと一緒にいたらよかった……。
薄暗い真冬の早朝だというのに、私はアパートの電気も点けず、ただひたすらにエステラを置いてバイトに行った自分を悔いていた。喧嘩別れをしたわけでもないのに、エステラを離れた自分が許せない。まるで人質を誤って逃がしてしまった悪人のようではないか。
それでも、現実は容赦なく私に襲いかかる。
「今日もバイト……行かなきゃ……」
こうして、いつまでもここでエステラの帰りを待っていたいのに、バイトに行かなければいけない。生きていくためにはお金を稼がなくてはいけない。一社会人として店長や他の従業員に迷惑をかけないため、信用を失わないため、私はやっぱりバイトに行くのだ。心の中では、バイトに行かず、エステラの帰りを待ち続けたいのに。
……父さんと母さんが殺された時に感じた気持ちに似てる。
父さんと母さんが刺殺されて、当時の私はショックと悲しみと怒りと絶望間で発狂寸前だったというのに、食欲は湧かないなりにもお腹は空くし、眠気も襲ってくる。「こんな時なのに……」と罪悪感と後ろめたさを感じながら食事をとったり睡眠をとったのを覚えている。
……30分か1時間だけでも、寝た方がいいかな……
こんな精神状態で眠れるのだろうか。眠らず、朝食をとってシャワーを浴びて用意をした方がいいだろうか。私はサッとシャワーを浴びると、いつもの5倍は濃い悪魔の血のようなコーヒーを飲んだ。
「……にがっ……!」
少し焦げたトーストを、悪魔の血で流し込む。今日1日を乗り越えられるだけのエネルギーだけあればいい。明日はバイトは休みだ。
……理由……は何なんだろう?
エステラがいなくなった理由。私が色々と根掘り葉掘り聞いて、嫌いになってしまったのだろうか。エヴリーナ・ゴッドリーフの話を聞いた直後だから、それは有り得る。それとも300年前のエステラが突然、この現代にやって来たのと同じように、突然また300年前に戻ったのだろうか。ん? 300年前に戻ったとしたら、エステラはもう死んでるのか? もしくは別の時代にタイムスリップしたとか?
……普通はあり得ない話だけど、エステラだったらあり得そう……。
いなくなったのはエステラの意思なのだろうか。それとも本人の意思とは関係なく起こったのだろうか。
私は色んなことを考えながらスマホで自分のEメールを確認した。新着のジャンクメールの中に見慣れた名前が見えた。
「……ルーリー・ヴィラール……あのラジオに出てた魔女裁判を研究してる人だ」
思わずメールを開いた。私の知らない魔女の知識を持った人。魔女裁判のことも聞きたいけれど、今は魔女がタイムトラベルとか異次元を行き来できるのかを知りたい。もっと具体的に言うならば、エステラがどこに行ってしまったのか、どうやったら私の所に戻ってくるのかを聞きたい。何か召喚方法のようなものがあるのだろうか。
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オフィーリア様
明けましておめでとうございます。クリスマスは天気にこそ恵まれませんでしたが、ご家族と良き年末年始を過ごされていることとお祈り申し上げます。
ラジオを聴いて頂いたとのことで、メール有難うございます。魔女裁判に関して詳しく話を聞きたいとのこと、私としても大変嬉しいです。来週か再来週でしたら時間が取れますよ。
ルーリー・ヴィラール
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返信をせずにスマホの画面を消して私はバイトへと向かった。
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