013 雨の神テクト


 「ん~~、どうしよう……」


 「どうしようって?」






 晴天の神様ユリア、という人に会った後、私はひどく混乱していた。何というか、私の常識を思いっきり覆された。いや、覆されたのか? むしろ私の今まで築き上げてきた常識が実は常識ではなかったのかと疑いたくなるぐらい、私の頭の中はぐちゃぐちゃだった。神様に関しても、天気に関しても、そしてエステラのいう「魔女の仕事」に関しても、丁寧な説明が必要だ。そうでもしなければ、この荒唐無稽な出来事を理解することなんて到底できない。






 「雨の神様に交渉に行くか否か……。苦手なんだよね、雨の神様テクト」






 出た、2人目の神様ーー雨の神。






 「エステラ、聞きたいんだけど……神様ってどれだけいるの?」


 「神様の数……かあ。私も全員にあったことはないけど、かなり沢山いると思うよ。天気に関して言えば、晴天の神、雨の神、雷の神、風の神、雪の神に気温の神でしょ……。それぞれの神様がうまく計画を立てて天気が回ってるの」


 「は、はあ……」


 「私が他に会ったことがあるのは愛の神、記憶の神、水の神と……」


 「記憶の神? そんな神様もいるの?」


 「そうだよ。命の神、嫉妬の神、芸術の神、目の神に足の神……言い出したらきりがないぐらい沢山の神様がいるの。私は天気の神様と交渉することが一番多かったけどね」






 もはや言葉が出てこなかった。信じられないけど、信じるしかないのだろうか。水鏡から溢れ出た眩しい光にのみ込まれて、目を開けると見たこともない部屋にいて。そこには、晴天の神とかいう見たこともない人がいて。信じられないけど、実際に経験してしまったことを嘘だと思うのはさらに難しい。






 「私、テクト苦手なんだあ……」






 混乱して頭を抱える私の横で、エステラは項垂れていた。






 「……テクト……? えっと、雨の神様だっけ……?」






 ……てか、なんで私も普通に神様の話してるんだ!






 「そう、雨の神様。もし2月17日を晴れにする可能性が残されているなら、テクトに頼んで雨をキャンセルしてもらうことだけなんだよね。けどテクトかあ……会わないと駄目なのかあ」






 その雨の神テクトとやらは、そんなに気難しい性格なのだろうか。エステラがこんなにも嫌がってるなんて。






 「どうしてそんなに嫌なの? その、テクト、だっけ? 性格悪いの?」


 「んーー……言葉でいうのは、すっごく難しい」


 「じゃあ、もう止めとく?」






 正直言うと、私やエステラにとって2月17日の天気が何だろうが特に損得はないのだ。そのテクトという神に会いたくなければ会わなければいい。この依頼主も「やっぱり魔女なんて言い伝えだけであって、本当はいないんだ」で終わるだろう。そもそも、この依頼主も魔女の存在を心から信じているわけではないかもしれないのだから。






 「ね、オフィーリア。私の代わりに交渉してくれない?」


 「は?」


 「勿論、私も一緒に行くから。けどオフィーリアの後ろに隠れていたいの。お願い!」






 ……ええ~~~~?! 私がするの??






 「一人でも多くの人を幸せにしたいのよ。お願い、この通り!」






 エステラはお祈りするように両手を組んで、潤んだ瞳で私に訴えかけてくる。ずるい。こんな美女に潤んだ目でお願いされたら断りにくいではないか。私は溜息をついた。






 「わかったわよ。今回だけだからね。で、何を言えばいいの? そのテクトって神様に」


 「わーい! さすがオフィーリア! 神様の部屋に行ったら、とりあえず2月17日ミルブライドに降らせるはずの雨をキャンセルして、晴れにして欲しい、て言ってくれればいいの。もし断られたら、午後だけでも、ってねばって欲しい」






 溜息しか出ない。私の人生、なんか変な方向に向かってない? そもそも神様ってそんな気軽に会えたり、話せたり、交渉なんてできる存在だっけ?






 「わかったわよ。今から行くの?」


 「オフィーリアさえよければね」






 半ば呆れた顔で頷くと、エステラは再び水鏡を開き、その中に血でシンボルを描き始めた。さっきと同じように眩しい光が部屋を包み込む。光はどんどんその強さを増し、私の目は必然的に閉ざされる。






 ……本当に不思議。これが魔術ってものなの……かな?






 そんなことを思いながら、光が弱まるのを感じて目を開けると、まるでグリーンハウスのようなガラス張りで植物がたくさん置かれた部屋にいた。エステラは既に私の後ろに丸まっている。






 「珍しいね、来客なんて」






 男性のような低い声がする方に焦点をあてると、20代前半ぐらいの美形の男性が立っていた。すらっとした長身に、グレーというよりは銀色と言った方がしっくりくる艶やかな髪。右目はいちご飴のような赤で、左目はサファイアのような深みのある青。あまりにもエキゾッチックな雰囲気がカッコ良すぎて、不覚にも私のテンションは上がる。こんなイケメンと触れ合えるなんてラッキーではないか。エステラはどうしてこのテクトがそんなに嫌なんだろう?






 テクトは2,3歩私に近づくと優しい笑顔を向けた。






 「見たことのない顔だね。君、魔女? 新人?」


 「あ、え……えっと……」






 ……私ってなんだ? 魔女でも魔女見習いでもないし……。






 「えっと……、魔女見習いのアシスタント……みたいな者です」


 「名前は?」


 「オフィーリアです」






 エステラが私の背中をつんつんしている。そうだ、交渉だ。






 「あの、さっきユリアさんに会って……2月17日ミルブライドは雨の予定だと聞いたんですけど、キャンセルしてもらえないでしょうか?」


 「2月17日……ねえ。ところで、オフィーリアは彼氏いるの?」






 ……はい?






 私の聞き間違えだろうか。今、私に彼氏がいるかどうか聞かれた気が……。






 「ねえ、彼氏。カ・レ・シ! いるの? いないの?」


 「いや、あの、今はいませんけど……それよりも2月17日の――」


 「いないのっ? よし。じゃあ、ここにチューしてくれる?」






 ……はい?






 目の前の雨の神とかいうテクトは、自分の頬を人差し指でツンツンと指して頼んでくる。






 「ここ、ここ♪」






 私は完全に固まってしまって、そろりと背後のエステラに目を遣ると、天使の苦笑いが見えた。






 ……うん、これは会いたくないタイプの人だね。






 雨の神テクトとやらは、整った美貌とは裏腹に、残念過ぎるぐらいの女好きだった。






 「2月17日の件、ここにチューしてくれたら考えてあげる」






 ここ、ここー♪と自分の頬をつんつんし続けている雨の神。お前の頭上からバケツをひっくり返して、豪雨を降らせてやりたいと思うのは私だけだろうか。






 「最近、誰も会いに来てくれなくてさ。女の子とも触れ合う機会とか全然ないし……」






 そう言って目の前に立つと、テクトは私の肩ががっしりと掴んだ。顔が近い。






 「久々だし、オフィーリアなかなかの美人だし、このまま直で唇奪っちゃおうかなあ。ボク、オフィーリアみたいな茶色のストレートヘアーの女の子、大好きなんだ」


 「いやあああぁ、変態!」






 限界に達した。この気持ち悪い神様には耐えられそうにない。私は叫んで肩を掴む手を振り払うと背後のエステラの後ろに隠れた。テクトは驚いて目を丸くしている。






 「え……エステラ?」


 「は、はは……。お久しぶり、テクト」






 ぎこちない笑顔でエステラがテクトに小さく手を振る。






 「お久しぶり、じゃないよ! 何年ぶりだ?」


 「300……年ぐらい、かな」


 「そうだ、そうだ。確かお前……処刑されたんだったか」


 「うん、そう。よくご存じね」


 「……で、なんで今ここに?」


 「わからないのよ。どうして生き返ったのか……」






 数秒の沈黙の後、気を取り戻したようにテクトは続けた。






 「いつ見ても相変わらず美しいな、お前……!」


 「あ、あは。それはどうも……」






 私はエステラの後ろで顔を顰めながら、テクトに触られた肩を擦った。まるで掴まれた感触を拭うように、自分についてしまった邪気を払い落すように、とにかく擦った。そうでもしなければ、この悪寒を治められそうにない。






 「その……オフィーリアが言った通り、2月17日のミルブライド……どうかしら? 雨をキャンセルしてもらえない?」


 「美女2人の頼みとなりゃ、考えてみないわけにはいかない。が、だ」


 「……が?」


 「まずは頬にチューしてくれ。飢えてるんだ」






 やだ、やだ、やだ、やだ! 気持ち悪い! 雨の神、最強に気持ち悪い!!






 「2月17日の雨をキャンセルしてくれるなら、ほっぺチューを考えないこともなくってよ」






 エステラは胸の前で腕を組むと俄然強気な口調で答えた。






 ……す、すごい、エステラ……この残念すぎるほど気持ち悪い神さまに物怖じせずに交渉してる……!






 「ふふん。交渉が上手になったじゃないか、エステラ。まあ、よい。隣国の食糧危機の都合もあるから1日中雨を降らさないわけにはいかないが、少しなら止めてやろう。何十年ぶりの来客だからな」


 「ありがとう、テクト。じゃあ午後をお願い! 午後2時から夕方ぐらいまで」






 テクトは部屋の窓の側にある大きな地球儀に近づき、指先でミルブライドの場所を触った。電気でもついているかのようにミルブライドが光って点滅する。






 ……これで、2月17日の天気が修正された、ってこと??






 「これで、よし。君たちの希望通り、2月17日の午後の雨はキャンセルされた。さあ、エステラ! お約束のチューを……」






 テクトが振り向いた時、私たちは部屋の隅の水鏡の前に移動していた。エステラの勝ちっぽい。このまま逃げられそうだ。






 「テクト、ありがとう。久々に会えてよかったわ」






 水鏡から光が溢れ出る。






 「エステラ、待ちなさい!」


 「考えたんだけど、やっぱりチューはやだ」


 「……それはもうよい。それよりも……」






 テクトは急に真剣な低い声になった。






 「命の神は知らないんだろう? 君のこと……」


 「おそらくね」


 「見つかるなよ、命の神に……」


 「わかってる」






 私のよく理解できない会話がされた後、私たちは眩しい光にのみこまれて、再びアパートへと戻ってきた。

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