012 初仕事

 昔の資料の情報を書きとったノートは数時間で全ページが埋まってしまった。とりあえず手に入れられるだけの情報は全て得たはずだ。私はそのノートを持ち帰り、今日からノートとにらめっこすることになるだろう。わからないことがありすぎる。




 ……この「魔女マーク:有り」てどいういうこと? 処刑された人たちは全員魔女マーク有りってことになってる……。




 理解できないこと以外にも、不可解なことがあった。確かエステラは拷問を受けたと手紙に書いていた。この前も「あれだけ痛めつけられた」とか「肩の骨も折れていたはず」とか「指の爪も剥がされたはず」と言っていたから、かなり暴力的な拷問を受けたはずなのだ。しかし、この魔女裁判記録には取り調べ方法の欄にそのような拷問した事実は記録されていなかった。取り調べ方法のほとんどが聴取と針刺しで、時に指締めの記述があるぐらいだ。




 ……拷問した事実を隠したかった……とか?




 もうひとつ困ったことがある。当時の裁判記録を調べたはいいけれど、これからどうすればいいのだろう。勢いよく調査を始めたばかりなのに、もう行き詰ってしまった感がある。




 ……この記録に載ってる人間全ての戸籍をたどって家系図を遡っていく……か? 1697年って戸籍の記録とか残ってるのかな? あー、わからん! どう進めていったらいいの?




 わからないことだらけで行き詰った感があっても、立ち止まるぐらいならひとつでも何かを調べた方がいい。動いていれば何かに行きつくことだってあるかもしれないのだから。とりあえずエステラに何かわかることがあるかもしれないと思い、自分の部屋を出た。




 「ねえ、エステラ。この『魔女マーク』って何のことだかわかる?」




 エステラの部屋のドアをノックしながら訊ねた。




 「『魔女マーク』? さあ……そんなの知らないな。聞いたこともない」




 ドアを開けて私の手にある資料を覗き込むエステラは、『魔女マーク』という言葉に本当に何も引っかかることなさそうな様子だ。資料を覗き込みながら不意にエステラは取り調べ方法の欄を指さした。




 「あ、この針刺しは私もされた」


 「ああ……針刺しか」


 「裸にされて体中を針でぶすぶすとね」




 ……ぞくっ。




 そう易々と自分の拷問体験を語らないではもらえないだろうか。実際に拷問された本人から聞くと、生々しすぎて背中に悪寒が走る。必死で両腕を擦りながら悪寒を振り払おうと部屋を見渡したところ、えらく散らかっているのに気付いた。




 「……この部屋、何? なんでこんな散らかっているの?」




 部屋中に例のガラクタといくつかの手紙が散乱していた。




 「ああ、ちょうど仕事しようと思ってたところだったのよ」




 ……ああ、そうだった……。エステラは、その通称「魔女の仕事」をすることに異様にこだわっているんだ……。




 「その……魔女の仕事って、何するの? エステラが仕事する間、ここにいちゃ駄目?」




 私の頭の中で想像される魔女の仕事は、ちょっと、いやかなりオカルトチックな儀式だったり、変な呪文を唱えたり、怪しげなお香を焚いたりすることぐらいしか考えられなかった。ここは私のアパート。ご近所さんから怪しまれたり、迷惑がられたりすることだけは絶対の絶対に阻止しなくてはいけない。




 「別にいいよ。久々だし、簡単なのからしようかな」




 そういうとエステラは床にある封筒をひとつ拾い上げた。




 「これから始めるよ」




 そう言って差し出された手紙を私は広げた。小奇麗な文字が並んでいた。




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 魔女さま




 昔、祖母にこの国の魔女の言い伝えを聞いたことがあります。子どもながらにその話を覚えており、その通りに魔女さまにお手紙を書き、私の小さな希望をお伝えすることにしました。




 私は今、29歳で2月に結婚式を挙げる予定です。そこでお願いなのですが、結婚式の日、式のある午後だけでも構わないので、天気を晴れさせていただきたいのです。式には末期がんを患い、余命半年の父も出席します。余命わずかな父に、とても最高の日を過ごさせてあげたいのです。式は2月17日の午後2時からミルブライドで行われます。




 どうか私の小さな願いを聞き入れてくださいませんでしょうか。魔女さま、お願い致します。




                    シャンテール・ヒューイット




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 「……あのさあ、エステラ……」


 「何?」


 「その、なんていうのかな。エステラって天気を自由に変えられる……なんてわけないよね?」


 「オフィーリアぁぁあ……私がそんなことできるわけないじゃない」


 「だよね、だよね。じゃあ何なの、この手紙? これじゃまるで、魔女が天気を自在に操れるみたいな書き方じゃない」


 「だから交渉しに行くの」




 ……は?




 「え、今なんて……交渉? 交渉するって言った?」


 「うん、交渉するの」


 「誰と?」


 「天気の神様に決まってるじゃない」




 ……私達、今、この会話でちゃんと意思疎通できてる……のかな? 




 当たり前のことを話すようなエステラの様子と、何がなんだかさっぱり理解不能な私。うん、全く通じ合ってない。




 「か、神様なんているわけないじゃん! しかも交渉って……そもそも神様って会えるような存在じゃないでしょ? てか、いないのか……。そう、いるわけないじゃん」


 「いるよ。私会ったことあるもん」




 神様なんかいるもんか、と声を大にして言いたい。けどエステラは神様はいると言う。会ったこともあると言う。そんな荒唐無稽な話を誰が信じるのか、と言いたいけど、エステラは変な人を見るような目で私を見ている。なんだ、これ。正常なのは私でしょ?




 「いいよ、神様がいないと思うんだったら会わせてあげる。そしたら神様がいる、って信じる気持ちにもなるでしょうし、私が嘘を言っていないってわかるでしょ」




 そう言いながらエステラはコーヒーテーブルの上に円形の薄い木箱を置いた。コンパクトミラーのように、その木箱を開ける。




 「オフィーリア、ここ来て」




 私を隣に座らせようとするエステラに少し納得いかない気持ちで、ゆっくりと座った。木箱の中を覗き込む。




 「な、何、これ……!」


 「神様に会う時に使うの」




 木箱の中は水が入っている鏡だった。ただ周りの全てが水に反射して映っているだけなのか、水の中に本当の鏡が入っているのかわからない。けど水には鏡のようにくっきりと私たちや部屋の中を映し出している。




 「魔女の水鏡よ」


 「水鏡……?」


 「この中に入ってる水はね、絶対に箱の外にこぼれないんだ」




 そう言いながらエステラは木箱を逆さまにして持ち上げた。エステラの言葉通り、中の水は箱の中にくっつくように収まったままだ。無重力空間で理科の実験を見ているようだ。




 完全に呆気にとられていると、エステラは自分の指先を針で軽く刺し、血を出した。その血で水鏡の上にシンボルのようなマークを書き始めた。血で書かれた象形文字のようなマークがキラキラと光り始め、私とエステラは強い光に飲み込まれた。




 「ちょっと、エステラ! 眩しくて何も見えないんだけど! ちょっと、いるのよね? エステラ!」


 「うん、いるいる! 大丈夫よ!」




 強い光がおさまって目を開けると私は知らない部屋にいて、目の前には木製の机に座っている女性がいた。




 ……誰? えっと、まさか、この人が「神様」??




 見た感じ30代半ばぐらいの赤いスーツを着た女性。茶色い髪の毛先を少しコテで巻いていて、見るからにキャリアウーマン風だった。私が想像する「神様」には程遠い。




 女性はゆっくりと顔を上げて、私とエステラを一瞥すると目を輝かせて立ち上がった。




 「え! エステラ? エステラじゃない!! やだー、すごく久しぶりー! 何年ぶり?」


 「300年ぐらいぶりね」


 「え! 300年? そんなになるっけ? あんたいつ見ても可愛いわねえ。まだ魔女の仕事やってたんだー」




 いや、ちょっと待って! おかしい、おかしい、おかしい!! おかしすぎるでしょ! こんな会話、普通にできる? 知り合いに再開して、何事もなかったかのように「300年ぶりー♪」って笑い合ってる人がここに2人。変過ぎるでしょ!




 「ユリアさん、300年前と服装がだいぶ変わったね。髪型も」


 「そうなのよ、最近はファッションのトレンドもころころ変わるからね。こっちも時代遅れにならにように大変なのよ」




 頭が痛い。何に混乱して頭が痛いのかすらわからないけど、私の常識のキャパを完全にオーバーした会話が目の前でなされている。もう何も考えられないぐらい私の頭は麻痺している。




 「オフィーリア、晴天の神様ユリアさんだよ」




 エステラの紹介で、やっぱりこのキャリアウーマン風の女性が神様だと理解して、頭痛がさらに酷くなった。痛み止めが欲しい……。




 「あら、お友達も連れてきたのね。名前は?」


 「オ、オフィーリアです……」




 ーーって、なんで私普通に自己紹介してるんだ! こんな訳のわからない状況で!




 「ユリアさん、早速本題なんだけど、2月17日のミルブライドの天気はどんな感じ?」


 「2月17日? えっと……ちょっと待ってねえ」




 そういうとユリアは机に座って、大きな水晶玉のような透明な石に手を当てて目を閉じた。




 「ええと……2月17日のミルブライド、2月17日のミルブライ……雨ね」


 「その雨、キャンセルできないかな? で、晴れにして欲しいの」




 ……交渉ってこれ? こんな友達に「バイト変わって」って頼むように軽い感じなの?




 ユリアはしばらく黙ったまま、眉間にしわをよせた。




 「雨は変えれない。もう決定事項になっちゃってるもの」


 「え! お願い、そこをどうにか! 午後だけでいいの」


 「無理」


 「お願いよ!」


 「絶対に無理、無理。大事な予約だし……テクトが決めちゃったのよ」




 ……ついていけない。何についていけないか? この状況とこの会話に。天気って自然のものでしょ?




 頭がおかしくなりそうだ。私の常識では天気は自然のもの。誰の手にも変えられないし、そもそも「予約」って何? 天気って予約制度あったっけ? いや、ないでしょ!




 「ユリアさん、その予約って何なの?」


 「いや、この国じゃなくてね、お隣の国で1月に全く雨が降らないのよ。だから2月に低気圧をいくつか作ってお隣に送り込む予約が……」


 「17日の午後だけでいいのよ。 雨の日を別の日にずらすことはできるでしょ?」


 「あー、駄目駄目。それは私の管轄じゃないから。雨をキャンセルしてほしいなら、雨の神様に直接交渉することね。雨さえキャンセルできたら晴れにするのは全然オッケーだから」




 ……雨の神様? 雨の神様って言った? 一体、神様何人いるの??




 「そっかあ……」




 雨の神様に直接交渉しろ、と言われたエステラは何かを悟ったように諦めムードになった。一体、何なんだ。さっぱりわからん。




 「オフィーリア、行きましょ」


 「え、あ……うん」




 部屋の隅にはさっきとは違う水鏡があった。エステラは今度は血を使わずに、水鏡の上で空を切るように象形文字みたいなシンボルを書き始めた。




 眩しい光に包まれ、光がなくなってから目を開けると、私たちは何事もなかったかのように、またアパートのエステラの部屋に戻っていた。

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