006 深まる謎

 私の問いにエステラは黙ったまま私を見つめていた。何回か手に持った薬草とかいう植物に視線を落としながら、まるで何を言っても信じてもらえない高校生のような諦めに近い表情を浮かべている。


 私も心の中で自分を責め始めていた。エステラの正体を問いただしたところで何の意味もないのだ。エステラの常識なんかを考えると、彼女が過去を生きていた人間であることは間違いないし、1697年の魔女裁判で処刑されたかどうかなんて私にとっては大して重要なことでもない。むしろせっかく近づき始めた私たちの関係を悪くさせる可能性だってあるのに、なんで私はこんなことを問いただしているのだろう。


 「……ごめん……忘れて、エステラ。こんなこと聞いても意味ないよね。さ、帰ろう。お腹すいてきちゃった」

 「オフィーリア……」


 ピンと張りつめた空気をかき消そうとした私をエステラは歯痒い表情で見てくる。


 「ごめんね、オフィーリア。私、ちゃんと自分のこと話したことなかった……。私もまだ混乱してる部分があるんだけど、ちゃんと話す。家に戻ったら私の生きてた時のこととかちゃんと話すね」


 うん、と小さく微笑んで私たちはまたアパートへと足を動かし始めた。


 「おばあさまはどうだった? プレゼント喜んでもらえた?」

 「うん、いつも来る時よりも調子良さそうだった。お医者さんが言うには、体はますます弱ってきてるみたいだけど……」

 「そう……残念ね」

 「最近は、体調のいい時は『終活』してるらしいよ」

 「終活?」

 「死ぬ準備。自分が死んだ後の処理を遺族にさせやすくするよう身辺を整えることよ」


 エステラは少しだけ目を潤ませながら視線を足元に下げた。


 「……確かにもし自分が死ぬってわかってるんだったら、準備はしておきたいものよね……」


 まるで自分も経験したことのあるような、その気持ちを痛いほど理解しているような深い言い方に、私はやっぱりエステラは何の準備もないまま処刑されたのだと思った。けど、じゃあどうして記録に名前が載っていないんだろう? 謎は深まるばかりだ。


 アパートに戻って昼食後の紅茶をテーブルに並べると、エステラはまるで自分の記憶という糸をひとつひとつ丁寧に紡いでいくような話し方でぽつぽつと話し始めた。


 「オフィーリア。私は間違いなくギャローグリーンで処刑されたわ。それは間違いない。年代はわからない……けど本当よ。領主様がジョセフ・ショー様の時にね。私と一緒に処刑されたのは全部で8人。私以外の8人の名前は全部覚えてないけど、中には知ってる人もいたわ。紡績場のリンジー兄弟とか……」


 私の調べではジョセフ・ショーが領主の時に起こった魔女裁判は1697年のたった1件だったはずだ。勿論、その他の裁判は多数行われている。


 「リンジー兄弟?」


 さっき読んだ1697年の記録にあった。魔女裁判にかけられ、有罪判決となった11歳と14歳のリンジー兄弟が手を繋ぎながら処刑されたという記録が残っていた。


 「ええ、11歳と14歳の双子みたいにそっくりな兄弟なの。他に農家のエヴリーナおばさんも処刑された人の中にいたわ」


 エヴリーナ・ゴッドリーフ――これも記録にあった名前だった。

 

 「処刑されたのは6月のはじめ……日にちは忘れちゃったけど6月になっていたはずよ。順番に処刑されていく中で私は一番最後で……」


 記録では処刑日は6月10日とあった。記憶を頼りにエステラは詳細を話し続けようとするが、私はエステラからこれ以上話を聞くのが苦痛で堪らない。エステラが自分の正体を証明しようと、ありとあらゆる記憶を語ってくれているのはわかっているのだが、この愛らしい少女が民衆の前で処刑されたなんて信じたくない。目の前で次々と行われていく処刑を、この少女はどのような気持ちで見ていたのだろう。


 「エステラ、わかった、わかったから……」


 私は手をあげて続けようとするエステラを止めた。


 ……リンジー兄弟のいいエヴリーナ・ゴッドリーフといい、処刑日といい、やっぱりエステラの記憶は1697年の魔女裁判と合致している。じゃあ、やっぱりエステラはこの魔女裁判で処刑されたの? そうだとしたら、なぜ記録にエステラの名前だけがないの? ただの書きこぼれ? いや、そんなはずはない……これだけ詳細な情報が記録されていて、エステラの名前だけ綺麗さっぱり記録から書きこぼされるはずがない……。


 「裁判とか処刑の話はもういいからさ、ほら、その……エステラはどんな生活をしていらの? 家族やお友達は?」

 「私の生活? 生活かあ……」


 エステラは顎に人差し指を軽く当てながら天井を見て考え始めた。小さな花弁のような唇が少しだけ尖っている。ただ考え事をしている表情なのに、エステラの人間離れした容姿のせいで、時計を止めてずっとその姿を見ていたくなる。見とれるってこういうことを言うのだろう。


 「私は母さんと2人で暮らしていたの。母さんは白い魔女で、表向きは産婆さんだったのよ。すごく腕がいい町で評判の産婆さんだったんだから」

 「表向きは産婆さん……? 白い魔女だってことは伏せていたってこと?」

 「母さんは「念のため」だって言っていたわ。なんでも国王がよその町にやってきた時に大雨が降ったんだって。それに怒った国王が直ちに魔女狩りをして、大量処刑が行われた、って話を聞いてね。魔女であることは伏せておいた方が、これからの時代はいいのかもしれない、って……」

 「お父様は?」

 「父さんは……一緒には住んでなかった。母さんは父さんを愛してなかったし、父さんもいつも酒に溺れていて、いつの間にか家を放り出された」


 父親の話をするエステラの表情に少し陰りが見えた。父親とはいい思い出がないらしい。


 「私はいつも母さんが必要な薬草を外に摘みに行くの。妊娠や出産、産後に使う薬草もあれば、魔女の仕事で使う薬草もあった。母さんは私に色んなことを教えてくれたの。薬草の使い方や魔女としての仕事、あと基本の読み書きもね」

 「ちょっと聞きたいんだけど、魔女と医者は違うの? 薬草って薬でしょ? どうしてみんな医者に行かないの?」

 「医者に行けるのはお金持ちだけ。そして医者は難しい医学書に基づいて病気を見つけて治療する。魔女は医学書に書かれてることなんて知らないのよ。ただお腹が痛い人には痛みを和らげる薬を、眠れない人には眠くなる薬を、咳が止まらない人には咳止めの薬を、薬草を使って処方してあげるだけ。病気自体を治してあげることはできない」


 ……ハーブを使った民間療法……に近い、のかな……。


 「それに薬を作ることだけが魔女の仕事じゃないのよ。豊作になるよう神さまと交渉したり、疫病が流行らないように神さまにお願いしたり……と人間と神さまとのメッセンジャーのような仕事もあるし……」


 ……え? 神さま?


 「とにかく魔女宛ての手紙がきたら目を通して、できる限りのことはする。みんなが幸せになるためにね」


 私はエステラの地下室で読んだ魔女宛ての手紙を思い出した。雨を降らせないようにしてくれ、とか腹立たしい夫を殺してくれ、みたいな殺人依頼もあったっけ。薬の依頼もあった記憶がある。


 「とにかく私はそんな生活をしていたのよ」


 私は小さく「そっか」と言いながら紅茶を飲みほした。もうエステラの正体を問いただすのはやめようと思った。なぜ記録にエステラの名前が載っていないのかは気になるけど、自分で調べたらいい。たぶんエステラは本当のことを包み隠さず言っている。私はそう思った。


 「少しは……私の事信じてもらえるかな?」


 私の顔色を伺うようなエステラの目は「聞きたいならもっと何か話すよ?」と言っているようだ。私は口角をあげた。


 「ええ、信じるわ。私こそ問いただすような態度をとっちゃってごめん。言い遅れたけど、いつまででもここに居てくれていいからね。あとで私の勉強部屋の荷物を移動させるから、あなたの部屋にしましょ。エアベッドも買いに行かないと……それとも普通のベッドを買っちゃおうか……」

 「え! オフィーリア、今私に部屋をくれるって言った?」


 エステラが急に大きな声をあげたので私はビックリして、ただ首を縦に1度だけ振ると、すごい勢いで両手を胸の前で握られた。蜂蜜色の2つの月がきらきら輝きながらこちらに向けられていて、まるで宝石みたいだ。


 「嬉しい。いきなりやって来た私にこんなに良くしてくれるなんて……本当にありがとう、オフィーリア。私、少しずつ仕事してちゃんと恩返しするわ」


 ……え? 仕事?


 エステラが魔女の仕事をするのかと一瞬、頭の中がぐらりと大きく揺れたけど今は気にしない。この世界で無知で無力で独りぼっちのエステラが、私の新しい家族になったことが嬉しかった。私たちは同じ心細さを抱えていて、きっと支え合っていけるのではないかと私は強く思った。


 「さ。じゃあエステラの部屋を整えましょ。手伝ってくれる?」

 「もちろんよ」


 勉強部屋にあった本や勉強机なんかを全て私の寝室へと移し、エステラの大切そうながらくたの山を入れる。こんな作業をするのも、なんだか楽しかった。エステラは私の持っていた法律関係の本にいちいち感動するし、窓の外からグライフの景色を見てキャーキャーはしゃいでいるし、こんなに楽しい時間を過ごしたのはいつぶりだろう。その後、町のリサイクルショップでたまたま見つけたエアベッドを置いたら、一応だけどエステラの寝室が完成した。


 その夜、もうパジャマになって寝る準備をしていると私の寝室のドアがノックされた。


 「ん? どうかした、エステラ?」

 「オフィーリア……その……今日はありがとう。私のために部屋を用意してくれて」

 「いいのよ。私、今まで一人暮らしだったから…その、私も楽しいの。エステラが来てくれて」


 私がそう言うとエステラは意を決したように私に手を差し出してきた。そこには封筒が3通握られている。


 「これ……オフィーリアだったら読んでいいよ」

 「何、これ? 手紙?」

 「私が魔女として告発されて、牢獄から母さんに書いた手紙よ。地下室から持ってきたの」


 私はそう言われて初めて、この手紙が地下室のテーブルのしたに落ちていた手紙だとわかった。差し出してきたということは、読んで欲しいのだろうか。私はそっとその手紙を受け取った。


 「うん、わかった。ありがとう……おやすみ」


 私はベッドに横たわり、エステラから手渡された手紙を眺めた。年季の入った紙。この紙を開くと中には一体何が書かれているんだろう。牢獄から出した手紙――少し読むのが怖い。私はそう思いながらも1つ目の封筒から手紙を取り出した。中には書きなれていない不器用な文字が紙全体に並んでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る