005 あなたは一体誰?

 クリスマスが終わって、新年を迎える前にいつも行く所がある。私の唯一の肉親であるおばあちゃんが住んでる老人ホームだ。朝起きて私は憂鬱な気持ちを隠せないまま、だらだらと朝食をとり、気が向かないままに用意を始めた。


 「おはようオフィーリア。なんだか浮かない顔ね」

 「まあ……ね」


 おばあちゃんに会いに行くことは決まっていたが、エステラをどうするのか決めていなかった。家に置いていくか、一緒に連れていくかーー。


 「エステラ、私は今日出掛けるんだけど、エステラはどうする?」

 「お出掛け? 男性と逢瀬?」


 ……男性と逢瀬て! 言葉のチョイスがどことなく古風なんだよ!


 「ちがう、ちがう。おばあちゃんに会いに行くの」

 「ああ、おばあさまに……。それじゃあ私が一緒に行ったらお邪魔でしょう? 私は留守番してるわ」


 ……そっか。一緒に行く、とは言わないか……。


 無意識にがっかりした顔をしたらしく、エステラは私を心配そうな目で覗き込んだ。


 「なに? あんまり行きたくないの?」

 「ん……」


 肯定はしたくなかった。おばあちゃんのことは素直に大好きなのだから。私の気が重いのは、どんどん年老いて、病気によって弱っていくおばあちゃんを目の当たりしないといけないことだった。


 「おばあちゃん……病気なんだ。もう長くないと思う」


 その一言にエステラは慈悲深い神様のような表情をして、全てを受け止めてくれたような気がした。


 「もうね、病気も末期で治療はできなくてね、死ぬのを待つしかないんだ。けど、おばあちゃんが死んだら私は正真正銘の独りぼっちになってしまうってことだよ……」


 いつの間にか目に涙が溜まって、いまにも溢れ落ちそうになっていた。そしてエステラは私のすぐ横にいて、まるで大きな翼のように私の肩を優しく包み込んで、ゆっくりと震える肩を擦ってくれていた。


 「私、一緒に行くわ。ね?」


 その天からの声にも似たエステラの一言に私は溢れ落ちそうな涙を無理矢理拭って、大きく頷いた。


 「で、そのおばあさまの家はどこなの?」

 「ここからバスで10分ぐらいだけど、歩いてもいけるよ? 40分ぐらいかかるけど。どうしようか?」

 「歩いて行きましょう。もっともっとグライフの町の様子を見てみたいし」


 まるで心の中を覆い尽くしていた暗雲が晴れ渡るようだった。エステラが大きな翼のように私の方を包み込んでくれたこと、一緒に行ってくれると言ったことに、私の不安は瞬く間に掻き消された。ただ純粋に心強かった。


 外に出ると、まだ肌を刺すような冷たい空気が私の頬をかすめ、吐く度に見える白い息がますます寒さを感じさせる。エステラは今日も美しかった。ダウンジャケットを着て、かぶっている茶色いニット帽が艶やかなミルクティー色の髪の色とよく合っていた。まるで現代に降り立ったモダンな天使みたいだ。いつまでも見ていたくなる。


 私たちは町の中心部へと歩き、そのまま町の北へと向かう。


 「ああ……」


 エステラが口元を両手で押さえて感動の声をあげたのは、町のど真ん中にある大きな修道院を見た時だ。


 「な、懐かしい……グライフ修道院。あの頃のままだわ……」


 町の建築物の中でも存在感抜群のこの修道院は13世紀に建てられたと聞いたことがある。300年前を生きていたエステラと私の両方が共通して知っているものがあることに、私はなんとも言えない不思議な気持ちになった。


 そのグライフ修道院を通りすぎ、町の北側へと進むと建物の数は一気に減り、それと比例して緑が増えてくる。ついさっきまでは巨大な修道院が目の前にあって色んな店がひしめいていたというのに、数分北へ来ただけでこんなにも静かになるのが嘘のようだ。小さな町だからか、町の中でも雰囲気が急に変わるのだ。


 「この辺りは人の手があまり入ってないみたいね。私の知ってるグライフってこんな感じだだったかも……」

 「うん、おばあちゃんの住んでる老人ホームは昔の天文観測台の隣にあってさ。天文観測台の周りは街明かりがなるべく観測を邪魔しないように建物や街灯を建てていないの」

 「この辺りにだったら……まだある、かも」


 エステラは意味深に周りを見渡しながら、時々独りでぶつぶつ独り言を呟いた。彼女が何を考えているのか気にはなったが、私はおばあちゃんとの面会で何を話そうかということばかり考えていた。


 「ねえ、私ここで待ってちゃ駄目かな」


 エステラが申し訳なさそうに切り出したのは、目的地の老人ホームの門に到着する直前、私たちがアパートを出発してからちょうど40分後のことだった。


 「え? ここで?」


 私たちの右手には老人ホームを囲む高い壁が立ちはだかり、左側の道路の向こう側には手つかずの雑木林が広がっている。面会時間は1時間の予定だが、何もないこんな場所で真冬の1時間を潰すのは無理がある。


 「私、そこの林で色々見てみたくってさ。遠くには行かないよ。この門から見える範囲にいるから……。駄目かな?」


 ねだられるような目で見つめられると私も折れるしかない。


 「わかった。ちゃんとこの辺りにいてね? 遠くに行っちゃ駄目だよ」

 「やった! ありがとうオフィーリア」


 私たちは1時間後、またこの門の前で落ち合うことにした。


 ……あんな雑木林で何を見たいっていうんだろう……?


 そう思いながら、私は目の前の建物を見上げる。高い壁と門で囲まれたデザイン性のない白い2階建ての建物は私には刑務所にしか見えない。なんていうか、温かみのようなものが一切感じられない。ここに入っているのは身内のいない老人や、認知症の進んだ手厚いケアが必要な高齢者、そして治る見込みのない病気を抱えた老人たち。そういうことを考えるだけで少し気分が沈んでしまう。


 「……よし」


 小さく自分に気合を入れて門のベルを押すと、インターフォンから応答があり、門が開けられた。


 ……おばあちゃん、また痩せてないかな……


 私は遅れたクリスマスプレゼントのひざ掛けの包みを胸にギュッと抱え直して建物へと入った。


 「ああ、オフィーリアかい。よく来たねえ」


 部屋のドアをノックして顔を覗かせると、おばあちゃんは優しい笑顔で迎えてくれて、私緊張は幾分か解けた。


 「少し遅くなったけどメリークリスマス」


 そういって包みを差し出すと「プレゼントなんていいんだよう」と言いながらも嬉しそうに包みを開けてくれた。今日は調子がいいらしく、おばあちゃんはしっかりと話すし、表情も豊かだ。体調の悪い日は、去年殺された愛娘の名前すら思い出せないこともある。私たちは30分ほど、たわいもない話をした。クリスマスは仕事だったこと、店長に女の子が生まれたこと、店長の作るクリスマスディナーは絶品なこと、最近のニュースでしている不景気な話、この冬は特に雨がよく降るらしい、なんて天気の話。


 いつもここにやってくる時よりも穏やかな時間を過ごし、私はおばあちゃんの部屋を後にした。この後は担当の介護士と医者と軽く面談することになっている。


 「今日はおばあさまの調子も良さそうでしたね」


 担当介護士が私に席を勧めながら笑顔を向けてくれた。


 「最近『終活だ』なんて言って調子のいい時は色々とノートに書き留めているんですよ。埋葬場所とか埋葬方法とか。私は『遺書書くにはまだ早すぎますよ』なんて言うんですけど、ちゃんと身の回りを整えておきたいとかで……」

 「そう、ですか……」


 遅れて入ってきた担当医が私に向かって軽く挨拶すると手に持っていたノートを開きながら前に座る。


 「おばあ様のご病気なんですけど……ここ数カ月少し進行スピードが上がってます。なので強めの鎮痛剤に替えたところで……」


 医者は難しい言葉を避けながらも、私にはあまり理解のできない内容を話した。病気がどのように進んでいくか、おばあちゃんは今どのような状態であとどれぐらい生きれるのかも私の頭の中ではぼんやりしたままだったけど、おばあちゃんはどんどん弱っていっているんだということだけは理解できた。


 「ありがとうございました。また来ます」


 私は介護士と医者に丁寧にお礼を言って建物を出た。急に冷たい空気にさらされて、私は目が覚めたように周りを見渡した。


 ……面会、終わったんだよね。なんか頭がぼーっとしちゃってた気がする……。


 あまり気の進まなかった面会が終わって、急に肩の荷が下りたような気持ちになってエステラを探し始めた。老人ホームから道路を渡り、鬱蒼とした茂みの中に足を踏み入れる。


 「エステラ? エステラ―」


 名前を呼ぶも返事がない。


 ……老人ホームの門から見える範囲にいるって言ったのは誰だ!


 名前を呼びながら周辺を見渡すもエステラの姿は見えない。携帯に電話をかけたいところだがエステラは携帯電話を持っていない。


 「……ったく。1時間後にここで、って言ったのに」


 ……でも、ここを離れるのはまずいよね。しばらくしたら、きっとここに戻ってくるはず。


 少し心細く感じながらも私はポケットのスマホを取り出して時間を確認した。もうお昼前だ。


 「もう……エステラどこ行っちゃったんだろう……」


 静まり返った茂みの中で、私はエステラのことを考え始めた。昔は携帯電話もなかったわけだし、こういうのが普通だったのかな。むしろ、今の時代のように、いつどこにいても連絡がつく環境がおかしいのかもしれない。


 「1697年の魔女裁判って言ってたっけ……」


 私は遊びがてら「1697年」「魔女裁判」「グライフ」と入れて検索してみた。するとかなりの数の検索結果が出てきた。ウィキペディアのページまで存在している。


 「ふぇえー、結構ヒットするんだ……」


 一番上に出てきた検索結果のリンクを開く。


 「グライフ魔女狩りは1697年にグライフで起きた大規模な魔女狩り。32人が告発され、8人がギャローグリーンで処刑――」


 画面をスクロールして魔女狩りが行われた背景を見ていくと、どうやら当時の領主の11歳になる娘が原因不明の病気になったことが原因らしい。


 「やだ、告発された人名簿とか裁判官の名前まで記録が残ってるんだ……」


 私は告発された32名の人名簿をクリックして開いた。


 「エヴリーナ・ゴッドリーフ……ルベン・リンジー、オスカー・リンジー、エヴァン・サヴル……あれ? エステラなんて人、告発されてないじゃん」


 エステラなんていう名前は見当たらなかった。念のためもう一度32個の名前を上から順に確認するもエステラという名前の人物は載っていない。私はこの魔女裁判で有罪判決を受け、処刑された8人の名簿を開いた。


 ……やっぱり。エステラはいない……。


 確かにエステラは言った。領主がジョセフ・ショーの時に魔女裁判にかけられてギャローグリーンで処刑されたって。あのギャローグリーンにあった蹄鉄は1697年の魔女裁判で有罪判決を受けた者たちが処刑され、埋められた場所につけられた魔除けのはず。


 ……混乱してきた……何? エステラは私が思ってる魔女裁判にかけられたんじゃなかったの? なんで記録に残ってないの? それとも……理由があって嘘をつかれてる……? エステラって一体何者なの……?


 「オフィーリア――! ごめん、ごめん、お待たせ! もう出てきてたのね。待った?」


 名前を呼ばれて顔をあげるとエステラが両手に植物をいっぱい持って駆け寄ってきた。慌てて笑顔を繕う。


 「もう、あまり遠くに行かないって言ったじゃない。で、何? その草……」

 「こんな植物がまだたくさん生えてたんだ! これは痛み止めの薬草でしょ、こっちは仕事で必要な薬草で、こっちはお腹を下してる時とかに飲むと……――」


 私にはただの草にしか見えない植物を、エステラは興奮気味に説明してくれた。私は、エステラが何者なのかが気になって、薬草の説明は全く耳に入って来なかった。


 「ねえ、エステラ。1つ聞いていい?」

 「ん? 何?」

 「あなた……本当は誰?」


 一瞬、私たちの間に宇宙のような沈黙が流れた。


 「それ……どういうこと?」

 「エステラを待ってる間に、私スマホで調べたの」


 私はスマホをエステラの顔の前に翳した。


 「ここにエステラがかけられたと思われる1697年の魔女裁判の記録が残ってるの。32人が告発されて、8人が処刑されたって……名簿もあって、処刑された人の名前も残ってるんだけど、エステラの名前がないのよ。どこにも」

 「……」

 「あなた本当に1697年に魔女裁判にかけられて有罪判決をうけた人間なの? それとも領主がジョセフ・ショーの時に他にも魔女裁判があったの? ねえ、どうしてエステラの名前はここにないの? あなたは一体誰なの?」


 エステラは蜂蜜に濡れた月の目で私の顔をじっと見つめたまま何も言わなかった。

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