004 お守りの石
大荷物と一緒にエステラとアパートに戻ってきた私は興奮していた。ファンタジーの世界で起こるような経験をたった今体験したばかりで、胸がどきどきと高鳴るように弾んだ。まるで今までの孤独で悔しくて、満たされなくて空虚な暮らしが突如として色づき始めたようだった。クリスマスのバイト帰りに300年前に魔女狩りで処刑された魔女見習いという少女を拾って、教会裏にある古い井戸に飛び込むと知らない部屋に入り込んだのだから。私は興奮しながら「本当にこういうことってあるんだ……」と思った。
私が昼食の用意をしている間、エステラは持って帰ってきた大荷物を広げて、そのガラクタにしか見えないような木箱や瓶や壺や私にはよくわからないような物たちを眺めていた。
……あのガラクタの山、一体何なんだろう。大切なもの……なんだろうな、きっと。
私は昨日、店長が渡してくれたクリスマスディナーの残りを皿に持るとエステラに声をかけた。
「お昼ご飯……食べる?」
私の顔を見たエステラは何だか少し気まずそうな表情を浮かべたまま返事をしなかった。
「まだお腹すいてない? もっと後で食べてもいいよ」
「……いや、あ……」
「ん? お腹でも痛い?」
「そ、そうじゃなくって……」
何なんだろう。今朝のシリアルボールの一件を思い出して「どうか些細なことでありますよーに」と私は心の中で必死に祈りながらエステラの続きを待った。
「……いらない、食事。あなたの食事を私がとるわけにはいかないもの」
エステラは下をむいて小さな声で言った。私としては、どうして突然こんな事を言い始めるのか全くわからない。
「お腹……すいてないわけではないんでしょ? じゃあ食べようよ」
エステラは俯いたままだ。
「ねえ、オフィーリアはどうして私に食べ物を、しかもあんなに贅沢な食べ物を私に惜しみ無く恵んでくれるの?」
……えーと、ちょっと待て。食べ物を「恵んで」くれる?
私は無意識の間に腕組みをして、んーー、と唸りながら考えていた。
「つまりエステラは食べ物は貴重だから私が食べるべきだ、と言いたいのね?」
「そうよ。だってあの食べ物はあなたが手に入れたものでしょう? 今の作物の実り具合は知らないけれど、昨日の夜と今朝もご馳走になってしまったから、もうこれ以上は……」
……つまりこうだ。エステラの時代は今と違って飽食の時代ではなかった。人々はお腹いっぱい食べれる時代ではなかったし、食べ物を手に入れられないことも、飢えに苦しむことも多かった。その感覚で、私の食べ物を分けてもらうことに罪悪感があるってことか。
「エステラ……あのさ、お腹はすいてるんだよね?」
エステラの頭が小さく上下するのが見えた。
「私はエステラと一緒に食べたいんだ。まだ昨日のお肉もいっぱい余ってるし。だから一緒にこっち来てよ」
エステラが私の顔を見上げた時、彼女の目には涙がたまっていた。この美女に、そんな潤んだ瞳で見つめられると、女の私だってドキドキしてしまうではないか。
「オフィーリアは、なんでそんなに優しいの?」
……いや、優しい云々の前に、さすがにエステラに食事を与えずに自分一人だけでは食べれないよ。
「今の時代のことをもっと教えてあげるわね。今はね、飢えで死ぬ人は稀な時代になったの。少なくともこの国ではね」
私はエステラの手を引いてダイニングルームへと向かった。さっき皿に盛ったクリスマスディナーをレンチンしてテーブルへと並べる。
「ど、どういうこと? 誰もお腹をすかせてないってこと? 食べ物が十分あるの?」
「ある。余って廃棄処分するぐらいある。勿論、世界中がこうっていうわけじゃないけど」
「それでも、食べ物はタダじゃないわよね?」
「確かにタダではないよ。けどいくらでも安い食べ物はあるってこと」
私がターキーを口に頬張って正面を見ると、目の前に座っているエステラが驚きと喜びに満ちた表情に変わり、じんわりと目が潤んでいるのがわかった。
「……そっか。そっか、そっか……みんながちゃんと食べ物を食べられる時代になったんだ……」
その表情を見て、この時代の豊かさを改めて知ることになった。人生で飢えに苦しんだことのある人間にしか、きっとこの飽食時代の豊かさは知りえない。勿論、食べ物が豊富でありがたいと感じることはあるが、私は生まれて一度も飢えというものを経験したことがない。スーパーに行けば食べ物があるのが当たり前で、お腹がすけば、選り好みしなければ食べるものなんていくらでもある。
「私ね、そういう世の中にしたくって白魔女になろうって思ってたの……そっか、そっか。本当にそんな時代がやってくるんだね……」
目尻に滲む涙を指で軽くふき取ると、エステラは「ちょっと失礼」と言ってテーブルを立ち、すぐにまた戻ってきた。
「オフィーリア、これ……」
エステラは私に握り拳を差し出した。ゆっくりと開かれた陶器のような白い手の中には、紐に通された小指の爪ほどの大きさの石があった。
「えっと……何、これ?」
「もっときちんとお礼がしたいんだけど、あいにく今はこれしかないの。ここの宿代と食事代と思って受け取ってちょうだい」
いきなり宿代やら食事代と言われて、受け取っていいものかわからなかった。じっとエステラの手におさまった石を見たところ、宝石でも天然石でもなさそうだ。正直、道に転がっているような灰色のごつごつした小さな小石で、価値がある石だとは到底思えない。申し訳ないが、ガラクタ以外の何物にも見えないのだ。
「これ……何?」
受け取るか受け取らないか決める前に尋ねてみた。
「これは私が白魔女の見習いになる時に母から譲り受けたものなの。これがあれば、食べ物に困ることはない、っていうお守りよ」
……お守り、ねぇ……。
泊めてあげて、食事も出してるんだから、もっと価値のあるものをもらいたい、なんて思ってしまう私は腹黒すぎるだろうか。
「この石は私の家に先祖代々受け継がれてきた石なの。魔女一家はその血を絶対に途絶えさせることのないように――っていう祈りが込められてる。世の中をよりよくするために命を、家系を絶やさない、という使命がずっと受け継がれてきたの」
「だったらもらえない。エステラのそんな大切なものもらうわけにはいかないよ」
……私が持つとただのガラクタになっちゃうから、やっぱりエステラが持っておいた方がいい。
「駄目。もらってくれるまで、引き下がらない」
「……」
……ここで「こんなガラクタいらない」って言ったら、やっぱり駄目かな? うん、駄目だよね。人として。
「エ、エステラ……」
困り果ててしまった。いや、心の中の声を言うと「マジで、そんなものいらない」なんだけど、やんわりとエステラを引き下がらせる方法はないだろうか。困り果ててると、私の手をぐいっと掴まれ、無理やりその石を手に握らされてしまった。
「ちょっと、エステ……ラ……な、なに、この石?」
その石を手にした瞬間、違和感を感じた。石が熱を持っている。冷たいはずの石がお風呂の温度ぐらいにじんわりと温かい。最初はエステラが手に持っていたせいだと思ったが、この石から熱が生まれているのがすぐにわかった。
「なんでこの石、あったかいの?」
「普通の石じゃないからよ」
私の手に石が渡ったからなのか、エステラは満足した様子で答えた。
「石の効力が出るまでは1日ぐらいかかる。その石を肌身離さず持ってて。じきに効果が出てくると思うから」
石を持った瞬間から、この石がただのガラクタではないことが直感的にわかった。エステラのいう効力や効果とは一体何なんだろう? この石を肌身離さずつけていたら、一体どんなことが起こるというのだろう? 今朝のエステラの家の地下室に行ったファンタジーな経験からして、またとてつもなく非現実的なことが起こり始めるような気がして、私は少し楽しみになった。
実際に私の周りで変なことが起こり始めたのは翌日になってからだった。スマホのバイブレーションに気づいてスクリーンを見るとバイト先の店長からの着信だった。
「もしもし」
「あ、オフィーリアか? すまん……」
「なっ……ど、どうかしたんですか?」
店長の一声目が「すまん」だったので、何か大変なことが起きたんじゃないかと私は緊張した。
「オフィーリア、店の鍵持ってるよな?」
「はい、ありますよ」
「ちょっと……頼まれてくれないか」
クリスマスの日を最後に店は年始まで閉めることになっていた。赤ちゃんが生まれたばかりの店長にとっての育休だと言っていた顔を思い出す。
「実はうちが休業中だってことを忘れて、リッチモンド・フーズが食材を配達しちまったらしいんだ。いや、向こうのミスだから特にこっちに損害は出ない。でな、大量の食材が店の裏口に積まれたままになってるらしいんだ」
「ありゃま……」
「あのまま裏口に食べ物を置いてたらネズミがくるだろう。パスタとか乾物は店の中に入れてくれないか?生鮮食品は腐ることになっちまうから……もしオフィーリアが要る物があれば全部持って行ってくれていい」
「つまり、生鮮食品以外は店内に入れて、残りは私がもらうか、ゴミ箱に入れて置いたらいいんですね?」
「そういうことだ。引き受けてくれるか?」
店長は店から車で1時間ほどのところに住んでいる。赤ちゃんが生まれたばかりなので、そんなことだけに足を運ばせては悪い。これぐらいの仕事はたやすい御用だ。私は快く引き受けた。
電話を切った私は店にエステラを連れて行くことにした。私は年始からまた仕事に行くことが増えるし、私の職場を教えておくのは悪い案ではないと思ったのだ。
「エステラ、私の働いてる店に行くから用意して」
「オフィーリアの働いてる店に?」
「うん、ちょっと店長から頼まれごとをね」
ダウンジャケットを差し出すとエステラは促されるがままに腕を通し始めた。
聖ミレン教会を通り過ぎ、エステラが出てきた蹄鉄のある交差点を渡り、ギャローグリーンを進む。
「なんだか、ここがギャローグリーンだなんて信じられないな」
エステラは周りをきょろきょろと見渡しながら、いまだに信じられない様子で呟いた。
「エステラの生きていたギャローグリーンはどんな感じだったの?」
「んーー……こんなに建物が建ってなくって……本当に道と緑だけだった。道の幅もこれよりはもっと広かったよ」
そこから小さな横道へと入り、店へと着いた。店の裏口には大きな箱が5つ積まれていた。そのうちの1箱はパスタやオイル、アンチョビやオイルサーディンなどが入っていたので店内へと運ぶ。
「オフィーリアはここで働いているのね」
箱を店内に運ぶ私を手伝いながら、エステラが店内を見渡した。
「そうよ。ここでウエイトレスしてるの」
「ウエイトレス?」
「食事を給仕するの」
「へえ……」
2箱目にはコーヒー豆やパンが入っていた。
「パンは腐るから持って帰りましょう」
「こ、こんなにパンを? もらえるの?」
「店長が日持ちしないものは持って帰っていいって言ったのよ」
残りの3つの箱には野菜、果物、魚介類、肉類が入っていた。私は店の台車を借りて、その3つの大箱と大量のパンをもらって帰ることにした。
……そういえば……。
私は胸に手を当てた。服の中にあるエステラからもらったお守りの石の温かさがほんのりと手に伝わってくるのを感じた。
……これって……この石の効果、なのかな?
全部の食材をアパートに運び入れて、台車を店に返した後、店長にメッセージを送った。
「終わりました。あと生鮮食品、ありがたく頂きました。(いっぱいもらっちゃいました。ありがとうございます。)よいお年を」
アパートで箱の中身を空けたエステラは何度も感激の叫び声をあげた。
「オフィーリア、見てみて! こんなに大きなお肉! こっちは卵!」
「さて……もらったはいいけど、この大量の食材、どうするよ? うちの冷蔵庫も冷凍庫もこれ全部は入らないんじゃないかな」
これから2人分の食事が必要になると思うと、無駄にはしたくなかった。
「果物はジャムにして、胡瓜やニンジンやかぶはピクルスにしよう。お肉や魚は冷凍だよね……あ、そうだ……エステラ」
「なに?」
「これって……あなたが昨日くれた石の影響なの?」
エステラは目の前の大量の食材を改めてみた。
「そう……かも。確証はないけど」
「え、エステラにもわからないの?」
「どれが石の効力かなんてわからない。偶然なのかもしれないし、石の力なのかもしれない。けどあのお守りの石を持っている限り、食べ物に困ることはない。私が言えるのはそれだけ」
……石の効力かもしれないし、そうじゃないかもしれないのか。
それでも私はこの一件がエステラのくれたお守りの石のおかげなんだと思わずにはいられなかった。
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