辰田村龍害事件

津蔵坂あけび

第1話

 辰田村。冬に雪が容赦なく降り積もるこの村には、龍が現れるという伝説がある。

 が、そんなものは所詮、お伽噺に過ぎない。村に電線が張り巡らされ、テレビでニュースも見れるようになって久しい今、村に住む誰もがそう思っていた。


 その足跡が発見されるまでは……。


 雪深い地面が、四本の指を持つ巨大な足に踏みつぶされている。それを見た瞬間、猟友会の峯浦みねうら憲明のりあきは顔を青ざめさせた。中に子供一人くらいなら入ってしまいそうなほどの巨大な足跡が、いくつも連なっている。それらの間隔から推定するに、体長十メートル以上は堅い。


(こんな巨大な生物が実在するのか?)


 この村に生まれ育って五十二年になる憲明も、こんな巨大な足跡は見たことがない。

 発見者は、村で畜産業を営む安原やすはら幸次こうじという男。山羊や羊を飼育している。十五年ほど前に、家業を継ぐために村に戻ってきて、今では一家で牧場をやりくりしている。


「猟友会の峯浦みねうらです」


 互いにお辞儀をして向き合ったときに目に入ったのは、悲壮で歪んだ顔だった。安原は、数年前に村に熊が降りてきたときに家畜が被害に遭ってしまったそう。体毛が鮮血に染められた屍と化した無惨な姿が今も忘れられない。あんな姿を見るのは、もうごめんだ。と続ける。


「あなたも村を出た方が良いのではないですか。この足跡からするに、相手は規格外の化け物です」


 妻はもう親戚のもとへ送り出したと言うので、避難を勧めてみたが、村に残ると言って聞かなかった。強制はしない。田畑や牧場で生計を立てている者にとって、それらを放棄して逃げるというのは、そう簡単なことではない。


(何としてでも被害は、最小限に食い止めねば)


 心に誓いながら、しゃがみこんで巻き尺を取り出し、足跡の大きさや間隔を測り始める。横幅は六十センチほど、縦幅は一メートルを越えている。よく見ると、左脚の真ん中の指の爪が、鉤爪のように鋭く地面を抉っていることが分かる。これは個体を見つける大きな手掛かりになりそうだ。


「どうか確実に仕留めてください」

「確約はできません。ただ、仕留めるしかない、と判断した場合には、仕留めます」


 足跡の形は爬虫類のそれに近く、もしかしたら村に古くから伝わる龍が実在していたのでは、とも考えてしまう。嘗ての信仰の対象をみだりに殺すのは躊躇われる。が、村民に被害が出る危険性があるなら、やむを得ない。


(このまま村に被害を出すことなく、山に帰ってくれ)


 そう願いを込めながら足跡の型を取った。


     ***


「調査の結果から、件の足跡の主は、村の西にある雑木林の中を移動し、一部の道路を渡った形跡はあるものの、田畑や人家に侵入はしていないと考えられる」


 猟友会の皆で村を巡回した後、事務所に戻り、ミーティングを行った。村で猟友会に所属しているのは憲明を入れて五人。経験は確かだが、五人とも高齢で、憲明が一番若いくらいだ。


「現時点では被害はゼロだったが、これから活動が活発になれば、熊が出たどころの騒ぎでは済まされない」


 民家や田畑、牧場には、簡易的なバリケードとして有刺鉄線を張り巡らせること。その他の対策としては、大きな音や、光を使って威嚇を行うこと。そのために、サーチライトとそれを動かすための発電機、大量の爆竹を手配することが会議で決まった。


 約三時間にも及ぶ会議の後、憲明は煙草をふかしながら一服していた。安い缶コーヒーを喉に流し込んだところで、スマートフォンに着信が入る。息子の勧めで三ヶ月前に乗り換えた機種だ。不慣れな操作で電話に応答する。


「あの、以前に取材でお世話になった安原やすはら正幸まさゆきともうします」


 足跡の発見を報告してきた安原幸次には、大学に通っている息子がいる。彼とは、民俗学のゼミでの取材で、連絡を取ったことがあった。村に伝わる龍について聞かれたが、子供の頃に親が話していた村の言い伝えという程度だったので、彼が前に取材をしていた村長よりも深い情報は持っていなかった。


「村に本当に龍が出た、と父親から聞きまして」


 あまり広まると大事になるから、すぐには口外しないように伝えておくべきだったか、と頭を抱えた。が、伝えそびれたのは自分なので責める資格はない。


「村の南東の一角に手つかずの空き地になっていた場所があったと思います。そこが村長の話では、昔は龍が現れると言い伝えのある池だった、と」

「南西の空き地……? そこは数年前に工事が行われてソーラーパネルが――」


 とそこまで言いかけたところで悪寒が走った。龍が伝承の存在でしかないと認識していても、言い伝えのある場所を業者に売ったというのか。

 憲明自身も、冬が来るたびに雪のせいで無用の長物と化すソーラーパネルのことを、良く思っていなかった。売電も専ら赤字続きと、村長が愚痴をこぼしていたことも覚えている。


「言い伝えですし、確証は持てませんが……。もし、龍が実在していたら、その場所に向かうと思います」


 全てが手探りの今、伝承に関する情報でも有難かった。それに、野生動物を神の使いとする伝承は、日本各地に有り、この手の情報が馬鹿にできない。

 正幸からの電話の後、思い立って村の地図に足跡が発見された場所と、その向きを重ね合わせてみる。先ほどの会議のときから、三箇所で見つかった足跡のどれもが、雑木林からアスファルトに出たところで折り返していることが気にかかっていた。その折り返すまでに向いていた方向へ、線を引いてみる。すると、三本の線が正幸から聞いた場所で、ぴったりと重なった。


「こ、これは――」


 思わずホワイトボードマーカーを床に落としてしまう。

 間違いない、あの足跡の主は、今やソーラーパネルが並んでいる場所を目指している。そして、足跡が発見された付近の道路は、過去五十年以内に完成した比較的新しい道だ。伝承が嘗て伝承で無かった時代、それらの道は存在していなかった。


(変わり果てた村の景色に戸惑ってしまったのか)


 そう思うと、足跡の主に同情してしまうところもある。だが、そこに人が暮らす以上は、平和な生活を守る必要がある。


 ひとまず憲明は、太陽光パネルを管理している村長のもとを訪ねることにした。


「猟友会の峯浦さんじゃないですか。村に龍が出たというときに、一人で何の用ですか」

「他の四人には、有刺鉄線を用いたバリケードを張る作業をやってもらっています。それに、まだ龍と決まったわけではないです」


 真っ白な頭をぼりぼりと掻きむしりながら応対する村長。

 どこか尊大な態度が鼻につかないわけではないが、つっかかったところで、話は進まない。


「そうですか。上がってお茶でもいかがですか」

「いえ。玄関先で結構です。ひとつ警告しておきたいことがありまして。村の南東にあるソーラーパネルが建ち並ぶ場所ですが」

 

 ソーラーパネル、その言葉を発した瞬間に、村長の表情が一変した。いかにも、きまり悪そうに。


「調査から、足跡の主は、その場所に向かおうとしているようです。巨大な身体を持っている怪物でしょうから、ソーラーパネルに大きな被害が出ると思われます」

「わざわざ、そんなことを言うために来たんですか。そうなる前に撃ち殺すのが、猟友会の仕事じゃないのですか」


 思いやりで警告したにもかかわらず、それを聞き入れるどころか、文句をつけてくる始末。もちろん被害は出さないよう全力で対処するが、あくまで銃殺は、最終手段だ。それを予防線のように言われてしまうのは、腹持ちならなかった。


「まったく、どれだけ金のやり繰りに困っているかも知らないで――」


 ぐっとこらえる憲明を玄関先に置いたままで、非情にもドアは閉じられ、鍵がかけられた。

 言い返したい気持ちもあったが、伝えることは全て伝えた。ここにもう用はない。


    ***


 その夜、猟友会の五人は、件の足跡が発見された三箇所の内、嘗ての辰之子池があった場所と最も距離が近い場所で待ち伏せを行っていた。怪しい気配があればまずは、サーチライトの照射、続いて威嚇射撃を行う。それでも引かなければ、いよいよ直接攻撃をするしかない。


「位置に着いたか?」


 藪に伏せながら、他の四人と無線で連絡を取る。皆、待機位置に着いたとの返答が。そこから、息を潜めて、暗視ゴーグルを覗きながら足跡の主が現れるのを待った。

 約四十分後、暗視ゴーグルに映る木々がぐらぐらと大きく揺れ始めた。なにやら大きな生き物が、木々の間を分け入って、こちらにやってくる。


(足跡の主か。どこだ? どこにいる?)


 がさがさ、がさがさと木々の揺れる音。それが聞こえる方へゴーグルを向ける。ついに、光る目を捉えた。顔の形は良く見えない。けれど、熊とも鹿とも全く違う形をしていることは確かだ。まるでこちらが隠れていることなど見通しているかのように、ぴったりと目が合う。そして、こちらにゆっくりと近づいてきた。


「サーチライト、点灯!」


 憲明が出した指示で、雑木林が照らし出される。斜面に爪を突き立てながら、こちらに向かってくる怪物の姿があった。身体は群青色の鱗に覆われ、光を反射してきらきらと輝いている。巨大な蜥蜴とかげのようにも見えるが、頭部についた立派な角とたてがみがそうではないことを主張している。まさしく東洋に古くから伝わる龍の姿そのものだった。左前脚の真ん中の指の爪が、長く伸びて湾曲している。あの足跡の特徴と一致する。間違いない。この辰田村に龍が出るというのは、紛れもない事実だった。

 その荘厳さに呆気にとられそうになったところで自分を奮い立たせる。

 龍がこの虚を突いてくるか、と思えば、そんなことはなく、ただただ辺りをゆっくりと見まわしていた。

 


(こちらを攻撃してくる様子はないな……)


 が、同時にサーチライトの強い光を当てられても眩しがる様子さえ見られない。一切動じない龍を前に、次の手を考えていた、その瞬間――

 

 銃声が轟いた。


 龍の脇腹に銃弾が喰い込み、真っ赤な血が流れ出た。こちらからの指示もないのに、威嚇射撃をすっ飛ばしての直接攻撃。


「銃殺の許可は出していない。今すぐ攻撃を中止しろ!」


 無線に向かって怒号を浴びせたものの、虚しくもそれを銃声がかき消す。

 頭部、首、背中、次々に着弾し、龍はもがき苦しみ始め、斜面を転げ落ちる。その先は、待機位置のすぐ近くだ。


(攻撃してまで、自らの危険を招いてどうする? 何を考えているんだ?)


 命令を無視した者への怒りを堪えながら、無線で待機位置から退くように伝える。が、銃声が鳴り止むことは無かった。

 そのうち、猟銃を構える一人の男の姿が目に入る。

 憲明は、怒りを込めてその男の背中を掴んだ。


「なぜ、撃ったんです! 指示はまだ出していないのに!」

「村長に金を積まれた。何としてでも撃ち殺せ、と」

「なに……?」

「どうせこんな化け物だ。放っておいたら被害が出るに決まってる! 射殺するなら今しかない」


 言い争いに発展しそうになったところで、憲明の声で唸り声がした。龍が地面を踏みしめる、その一歩ですさまじい地鳴りが走る。龍はすぐ近くまで来ている。

 さっきまでの穏やかな様子ではない。禍々しいほどの殺気が、感じられる。


「だから言ったんだ、射殺するより他はな――」


 男の言い訳に聞き入る道理はない。全てを言いかけるその前に、体当たりをかまして、同時に引き金を引いた。


 グアアアア!!


 銃弾は龍の喉元に食い込んだ。いよいよ怯み始めた、その隙に胸、頭部、と思いあたる限りの急所を間髪入れずに銃撃する。

 あちらこちらから銃声が木霊し、輝いていた群青の鱗は、赤黒い血に濡れて光を失っていった。もう、こうなっては後には引けない。こちらを攻撃する意思も見せた後ならば、射殺するしかない。とはいっても相手からの反撃は、こちらの攻撃に対する反抗と考えても、弱弱しい。じたばたと藻掻もがいているだけといっても過言ではないものだった。


 辺りに硝煙の臭いが立ち込める中、血みどろになった龍は、ついに身体を横たえてしまった。


(やったか――?)


 そう思いかけた数十秒の沈黙の後。

 照準から目を外し、ゆっくりと態勢を解こうとした、その瞬間に、龍がいなないた。


 憲明はすぐさま狙いを定め、腹の底から叫んだ。


「撃て!」


 最期の力を振り絞って立ち上がろうとしたところを、一斉に攻撃され、龍は再び地面に崩れ落ちた。そのまま四肢を力なく動かした後、ゆっくりと目を閉じた。

 人間のエゴによる惨たらしい最期。憲明の目には、そう映っていた。彼の命令を無視してまで攻撃を開始した他の四人はというと、龍を仕留めたことに沸き立っていた。


(結局、村長に金を積まれたら、それを優先するのか。自分たちより若い俺の言い分など、知ったことではないのか)


 やり場のない怒りが、胸中にこみ上がってくる。


「龍の死体はどうするか」

「肉は食ってみるか」

「皮はなめしてみたら売れそうだ」


 そんな呑気な会話に参加する気にはとてもなれず、とぼとぼと冷たくなった龍の屍のもとに向かう。むせ返るような血の臭いを感じながら、やけに膨らんだ腹部を見て、憲明は勘付いた。


(辰之子池……、そういう、ことか……)


 夜が明けて、早くも龍の屍は所々傷み始め、強い臭いを放つようになった。腐ってしまわぬうちにと解体する過程で、腹の中から卵が見つかった。

 もともと龍は、辰之子池に向かおうとしていた。ならば、水辺で子育てをする生態だったのか。考えれば考えるほど罪悪感が胸を深く抉った。

 卵はもちろん処分することになった。殻の中で、龍の子供はかえる寸前まで育っていたが、母親と同じく、既に屍となっていた。こちらは、はく製にして博物館に寄贈することに。

 母親の龍の解体作業もひとしきり終了したところで、憲明の命令に従わなかった四人は、祝杯を挙げるぞ、などと騒ぎ始める。


(誘ってくる様子もないあたり、潔いな)


 心の中で呟いて、もう村を出てしまおうと心に決めた。

 憲明は、その数日後、息子が働いている街で家を借りてそこに移り住んだ。引っ越してきてから初めてとった新聞の三面記事で、辰田村の村長と、彼と宴会をしていた四人の男性が不審死を遂げたことを知る。

 どれも見知った名前だった。

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