Ⅰー2

「ちくしょう。餓鬼・・・だな。」


そこには、自分が仮定したとおり、人為らざる者として思い浮かべた異形がいた。

己が知っている餓鬼そのものの姿があった。


濡れたざんばら髪の間から、髑髏どくろに皮を張り付けたような痩せこけた顔が覗いている。目の周りは落ち窪んでいるが、そのくせ眼球はぐいと主張し、琥珀色であろう双眸を際立たせていた。


ひび割れた唇の隙間には、獣の如く尖った歯が見え隠れし、かつて犬歯であったであろうそれは、肉食獣の牙と言って差し支えない立派なものであった。


最後に自分の変貌を決定付けたものをまじまじと確認する。

やはりつのであろう。

小指の先ほどの大きさ程、恐らくは黒色に見えるそれは、ツンと上に反り、確かに身体から生えていた。


身体の特徴とも相まって、やはり自分が持っている餓鬼像そのものであった。


「餓鬼はないだろぉ・・・餓鬼は。」


天を仰いだ。


と、同時に背後で、ばちゃばちゃっと水音が響いた。

驚き振り返ると、鈍色の斧らしきものを振りかざしながら飛びかかってきている何かがいた。


ごぎゃん、めき、ごり


そんな音が同時に聞こえたような気がする。


熱さがあったような痛みがあったような気がする。






まどろみの中から意識がゆるりと浮き上がってくる。

それと同時に飢えと飢餓がむくりと起きる。

たまらず目を開けた。


疎らな木々と渇いた大地。

知っている光景だった。そのまま頭上を見上げると。知ってる巨木が自分を支えていた。


ハッとして身体をまさぐる。体、腕、腰、足、そして頭。

異常はない。餓鬼の身体としてではある。相変わらずの飢えと渇きもある。

最後に見た光景を思い出す。


「あれは緑色した・・・何か。」


襲われたのか?殴られたんだよな。傷はない。痛みもない。

治療された?それにしてはなんの痕跡もない。

あるのは記憶だけ。

でも生きてる。もっとも、ここが死後の世界でなければだが。


さてどうしたものかと思案する。

ここでひもじさに膝を抱えたところで何も解決しないのは明らかだ。

ならば行くしかあるまい。


「事件は現場で起きてるんだよ。」


現場100回。足を使ってこそわかる事がある。

往年の刑事のごとき思考を浮かべてはいるが官憲の職に就いたことはない。

実録〇〇系の受け売りである。


よし、と気合いを付け、今度は武器にも成りそうな太めの枝を握りしめる。

ぶんぶんと振り回し、ふんすと鼻息荒く歩み出す。


木立をかいくぐり、乾いた大地を踏みしめながら岩の切れ目までやってきた。

そのまま丘をめがけて突き進むと、やはり眼下に緑と遠目に湖が見えている。


「迷わず行けよ。行けば判るさ。」


シャーこの野郎。元気が出た。やや顎も出た。


駆けずにゆっくりと進んでいく。敵対する何かがいるのが判った以上、慎重にならざるを得ない。

遠くに見える水が渇きをより疼かせる。だが焦らない。索敵は怠らない。


ようやく草が生えている地点まで下ってきた。

前回は夢中で走っていたが、改めて辿ってみるとそこそこ距離があると感じた。


更に進む。段々と草の丈が伸びているようだ。

視線を遠目に移し、一歩一歩と進んでいるとふいに左脚に熱を感じた。


「んんっ!」


驚き視線を足下にやる。遅れて激痛が襲ってきた。


「いっでええええ!」


もこもこした獣が鋭い爪を突き立てしがみつき、前歯らしきものを足首に突き刺さし齧り付いていた。

バランスを崩し倒れる。


「はなれろッ!このッ!」


右足で蹴りつけるが、歯と爪を食い込ませしがみついている。

一見プレーリードッグに似ている。体調は50cmほど。鋭い前歯とモグラの如き爪が凶悪だ。


転んで手放した太めの枝をまさぐる。あった、と握りかけた瞬間その右腕にも激痛が走る。瞬時に目をやると2匹目が齧り付いていた。

声にならない叫びがあがる。

瞬時に空いている左手で2匹目を殴る。離れない。

2度、3度と殴り続ける。


そして左の脇腹に三度みたびの激痛。3匹目が無防備な腹に凶器を突き刺したのだ。悶絶。ぶちゅり、ぐちゅりと腹の中の柔らかいものが潰れる感触が中から伝わり、力が抜ける。


死ぬ。言葉が脳裏をかすめた時、4匹目の刃が視界の隅に映り、首筋に振り下ろされた。


身体から何かが抜けていく。生きたまま喰われてる。・・・痛い。・・・寒い。






目を開く。知ってる飢えと渇き。

見上げる。知ってる大木。

起き上がり身体をまさぐる。


「死に戻り・・・。なのか?」


いや、まだ断定はできない。

調べなければ、知らなければ。何も判らずに終わるのは嫌だ。


前回の死に様を振り返る。

おのれプレーリー。この恨み晴らさでおくべきか。

あんな恐ろしい体験は二度と御免だ。


これで緑のヤツとプレーリー、2つの敵対勢力が判明した。

考えをより引き締めなければいけない。

少なくともここは俺の知っている場所じゃない。それだけは確かだ。

当たり前のように命の危険がばらまかれている。

何よりまた戻れる保証なんてないのだから。


ふと思い至る。戻ったところで餓鬼なのは変わらないんだよな、と。

ぶるりと身が震えた。今は止そう。


何か探さなくては。身を守る物。武器になる物。

このまま水辺に行ったところで同じ轍を踏む可能性が高い。

渇きを癒やしたいのは山々だが、死んでしまえば元も子もない。

そうと決まれば探索だ。


ぐりんと振り向き巨木の裏に回ってみる。

中に入れるほどの洞がぽっかりと口を開けていた。

ここで雨をやり過ごすこともできそうだ。ありがたい。


そのまま岩山の切れ目とは反対に歩を進める。

木々の間を抜けながら、めぼしい物がないか上に下にと目を配る。

自分の足が目に入った。裸足である。

木の根や石と踏みつけているのだが、あまり痛いとは思わない。皮膚は人間のそれより堅いのかもしれない。


目的の岩山に歩を進める。近づくにつれ、落ちている石も大きな物が目立ってきた。

何かないかと散策し、落石によって欠けたであろう、片手で持てるサイズの尖った石片をいくつか発見。

岩にぶつけて割ってみたり、石片どうしを擦り合わせては成形し、不格好ながら石のナイフを3本といびつな槍頭(みたいなもの)1つ作り上げた。切れ味などお察しだ。尖った部分が刺されば御の字。後は打撃のお供よ。


うーん、石器時代。


まぁ着ている物も腰布一枚だし、原始時代と大して変わらん。願わくば黒曜石くらいは欲しい物である。詳しい探索は後に回す。


次は落ちている太めの枝の中から堅そうな物を選別。石のナイフを使いガリガリと削ってゆく。途中、あまりにも腹が減りすぎて削った木の皮を囓った。木の皮の味がした。

自分の身長よりやや短い、槍の柄の部分が一応の完成をみた。持ち手としてはやや太め。何の細工もできないため、少しでも耐久性を持たせようと考えた。


つる性の植物が、岩山の切れ目から少しずれた岩肌に垂れていたのを覚えていた。それを使う。岩山によじ登りむしり取る。柄の先に槍頭を挟み込み、これでもかとグリグリにツタで巻き締める。途中、あまりにも腹が減りすぎてツタの葉っぱを食べた。青臭かった。


ようやく武器らしき物が用意できた。見てくれも悪く、強度も心許ないが何もないよりはるかにマシ。人類は道具を使ってこそである。多分人ではないが。


できあがった槍もどきをみて、自然と笑みが出た。なんだろうこの不思議な達成感。昔に似たような感情を味わった気がするが思い出せない。


けど


「悪くない。」








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