第34話 バージニアの王女編 34

 ただならぬ雰囲気。二人の間に流れる緊張感は、今にも殺しあいをするのではないか? と思うほど重く、殺伐とした空気であった。とても声をかけられる状況ではなく、ニーネは心配そうにウェインを見つめるしかなかった。

 そんなニーネの心配をよそに、周囲の外野の興奮は最高潮に達していた。

 戦いを煽る野次が二人に飛び交う。

 ウェインは中央へ向かい、皮鎧の男と対峙する。男から木の棒を投げ渡され、その感覚を確かめる。見た目の細さとは裏腹に、ズシリと重かった。



(――――やっぱりか)



 これも、男の仕掛けた策の一つ。慣れてない者が振り続ければ、たちまち腕が上がらなくなるだろう。

 だが、ウェインには想定された重さであった。

 


「おい、一応ルールを説明しとくぜ。この戦いには制限時間がある。砂時計の砂が落ち切るまでに、お前が俺の身体に一撃入れることができればお前の勝ち。できなければ俺の勝ちだ。後、俺はお前に攻撃を加える事をしない」

「別に攻撃してくれて構わないよ。そっちも俺を殴りたいだろう?」

「……ハンデだよ、ハンデ。あまりにも力の差がありすぎるからな」



 男はゲラゲラと笑いながら語る。

 実際の所、男の言うようなハンデなどではない。あえて防御に専念することで攻撃を防ぐことに集中するためである。宣言したのは、周囲から逃げ腰などの非難を浴びかねない為だ。



「ハンデ、ね。じゃあもう一度確認するけど、俺が一撃を入れたら勝ち。それで間違いないんだな?」

「ああ。まぁ、お前が一撃入れる事は無理だろうけどな」

「分かった。それだけ聞ければ十分だよ」



 お互い、数メートルの距離を空けて対峙する。

 男は、ウェインをガキと侮っていた。

 この男自身も腕が立つのは勿論の事だが、様々な制限を掛けている事で自分が絶対負けないようにしている。

 男の正体は冒険者であり、そのランクは「Ⅳ」であった。

 鎧に刻まれている傷が物語るように、数々の修羅場を男はくぐり抜けてきた。

 自身よりも遥かに大きい怪物を相手にしたこともあれば、遺跡や迷宮の罠で命を落としそうになったこともあった。

 その培った経験は本物である。だから、目の前に居る子供に後れを取るわけがない。そう、信じて疑わない。

 ただ、懸念すべき材料が無いわけでは無かった。


 ウェインが腰に付けている剣である。

 子供が持つには明らかに不相応な代物。多少の剣の心得があるのではないか? と勘繰る。

 そんな警戒心が生まれるが、ウェインのとった行動によってそれは薄れる。

 ウェインは受け取った棒を手にしながら、構える事をしなかった。だらりとその棒は下向きに垂らされていた。



(所詮はガキか。警戒する必要もなかったな)



 男はあえてウェインが構えを取らない事を指摘しない。そんな敵に塩を送るような真似をする気もないからだ。



「それじゃあ、始めるぜ」



 壁際に座り込む子供に「おい」と男が一声かける。

 子供は言われるがまま、砂時計を逆さまにした後、鍋の底をおたまで叩いた。

 カーン、と歪な音が響き渡る。それと同時に、ウェインがとった行動は誰も予想しなかった事だった。

 あろうことか、持っていた棒を男の顔めがけて投げたのだ。

 意表を突かれた皮鎧の男は、驚きながらも何とか反応し、持っていた棒で弾く。しかし、その行動は誤りだった。

 弾いた後、男は気付く。ウェインが、既に自分の懐に飛び込んできていた事に。



「ま、待て!」



 男の制止の声より早く、ウェインの拳が皮鎧で覆われてない男の脇腹を捉えた。

 ドン! と鈍い音が聞こえてきそうな強烈な一撃に、男はたまらず膝をついて脇腹を押さえた。

 一瞬の攻防に、周囲の観客も何が起こったのか理解できず静まり返る。



「これで俺の勝ちだな」

「ふざけるなてめぇ! こんな汚い真似が許されるとおもってんのか!」

「確認した時、拳ではダメだと言うルールは無かった筈だけど?」

「普通に考えたら分かるだろうが! 認めねぇぞ、こんなインチキでの勝ち!」

「……分かったよ。次はキッチリ棒で倒すさ」



 弾かれて地面に転がった棒を拾い上げ、元居た位置に戻っていくウェイン。男も未だ痛む脇腹を押さえながらも、立ち上がる。

 仕切り直す二人。今度はウェインも棒を手に構える。

 意表を突かれたせいとはいえ、一撃を入れられた男の心中は穏やかでは無かった。



(このクソガキ……! 俺に恥をかかせやがって!)



 怒りに燃える男。力でねじ伏せて顔の原型が分からなくなるまで、叩きのめしたい衝動に駆られていた。

 だが、攻撃をしないと大衆の前で宣言した手前、それは出来ない。男が出来る事は、余裕をもってウェインの攻撃を退けた後、これ以上ない罵詈雑言を浴びせる事が男に出来る最良の選択であった。



「なぁ、オッサン。最期にもう一度だけ聞くけど、ニーネに謝る気は無いか」

「……あ?」

「今なら、すまなかった、の一言で済む」

「今更何のつもりだ? びびったのか?」

「横に居る子供に、情けない親の姿を見せたくないっていう配慮だよ」



 これに対し、男はウェインの挑発と受け取った。

 剣の腕では到底かなわないと思ったウェインが、そんな交渉に出てそれで手仕舞いにしてしまおうという魂胆だと。



「バカか。そんな見え透いた手に乗る奴がいるかよ」



 ウェインの提案を一蹴する男。それを聞いたウェインは憐れむような目を見せた。

 差し伸べた手を、男は払いのけた。話し合いで解決できないのであれば、残った選択は実力行使だけである。



「分かったよ。もう、言う事は何もない」



 ウェインは持っている棒を、改めて握り直した。

 慈悲もかけ、容赦もした。それでもなお、男は受け入れなかった。

 己の甘さに、ウェインは少し嫌気が差す。

 もし、この場にエルーニャが居たら、温情を与えようとする自分にきっと呆れていただろう。そんな事をウェインは考えていた。

 男もまた構える。今度は不意を突かれないよう、神経を尖らせる。

 


(ガキが、さっきみたいな手が二度と通用すると思うなよ)



 そして再び子供が鍋の底を叩き、周囲に歪な音が広がる。

 決闘が始まる。しかし、ウェインはその場から動かない。真っすぐに皮鎧の男を視界におさめたまま、微動だにしなかった。

 石像のように動かなくなったウェインに、観客もざわめく。それだけではない、ウェインだけではなく、皮鎧の男もその場から動こうとしなかった。

 動かない双方だが、二人には決定的な違いがあった。

 顔である。ウェインは未だに涼しい顔をしているのにもかかわらず、皮鎧の男には一切の余裕が見られなかった。



(身体が……動かねぇ!)



 腕はおろか、指先一つ、声すら男は出せなかった。

 もちろん、縛られたり固定されている訳ではないので、動かそうと思えば動かせる。しかし、動かした瞬間終わる事を男の勘が告げていた。

 子供だと侮ったのが運の尽き。

 男が修羅場を潜り抜けたというのであれば、目の前に居る子供はそれを凌駕する地獄を乗り越えてきたのだから。

 この対峙も長くは続かない事を男は悟っていた。

 何らかの外的要因がもたらされた途端、それが合図となって終わる事を。

 固まった二人に対して、当然周囲の観客のざわめきが大きくなり、やがてその時が訪れる。

 全然動かない二人に苛立ちを募らせた観客の一人が大声で叫んだ。



「おい! 何時までそうやって――――」



 瞬時に、ウェインが動いた。

 一瞬にして距離を詰め、棒を振りかぶり、そのまま頭を割る勢いで縦に一閃。その一連の流れが、あまりにも速すぎた為、皮鎧の男が認識出来た時には振り下ろされる直前であった。

 避ける事を諦め、それを棒で何とか受ける。だが、受けた衝撃は男が今まで感じた事の無いほど大きな物だった。

 棒から振動が腕に伝わり、痺れて力が入らなくなる。手から零れ落ちた棒は虚しく地面に転がる。

 ウェインが棒の先を男に向けると、男は観念したように手を挙げる。

 決着がついてから数秒の誤差があった後、事態をようやく飲み込めた観客から大きな歓声と拍手で迎えられた。



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