第32話 バージニアの王女編 32

 ニーネは悩んでいた。

 この日は朝も早くから起床した。普段から早起きな彼女ではあるが、この日は三日前から楽しみにしていたこともあり、気合が入っていた。

 普段通り家の用事を昼までに済ませ、それからは何時も以上に流麗な長い黒髪を整える彼女。今日に限って彼女は普段以上……いや、今までで一番身だしなみに気を使っていた。

 それを終えて彼女は今、真剣な眼差しで自分の部屋にある大きな姿見を見ていた。

 その手には二つのドレス。右手には少し派手な黒いドレス。左手には白く可憐なドレスがあった。

 この日の為に、親と一緒に街で買ったもの。どちらも甲乙つけ難い為、彼女は少し背伸びをしてドレスを二つ買ったのだ。

 二つのドレスを手にし、交互に自分の身体に合わせる。どうやら、彼女は着た時の自分自身を比べていた。



「どっちが良いんだろ……」



 そんな事をぼやきながら、彼女は1時間ほど悩む。

 本来、彼女はそこまで服に気を掛けるタイプではないが、この日だけはどうしても妥協できない理由があった。

 こっちかな? こっちかな? などと永遠に終わらぬ押し問答を一人続ける。



「なんだいニーネ。まだ決まらないのかい?」



 部屋から出てこない娘が気になり、ニーネの母親が部屋に入り声をかける。



「あ、お母さん! 丁度良かった。ねぇ、どっちのドレスが似合うと思う?」

「ニーネならどっちを着ても大丈夫だよ」



 母親の言葉に、ニーネは少し頬を膨らませた。



「もぅ! 適当に言わないで、ちゃんと選んでよ!」



 しかし、母親は決して適当に言ったわけではなかった。

 ニーネが持っている服は、どちらも似合っていると感じたからだ。

 どちらを着ても、ニーネの魅力を最大限に引き出してくれるだろう。だが、それをニーネに伝えた所で彼女は納得しない。

 正解は親の言葉ではなく、ある男の言葉にあるからだ。

 再び姿見に向かい合い、彼女は意を決する。



「こっちに決めた!」



 それは黒いドレス。

 彼女は着ていた服を脱ぎ、ドレスに着替える。

 自分自身は少し地味だと感じていたニーネ。だから派手な衣装を手にした。

 着てみると、胸元がV字で、魅惑の谷間が少し覗く。腰の辺りもピッタリと張り付き体のラインが浮き出るほど薄い素材。下半身は傘のように開いたスカートが足を覆う。

 姿見に映る自身のドレス姿を見て、白い頬が仄かに朱に染まる。

 特に胸元の大胆さは、彼女にとって冒険しすぎたものだった。



「や、やっぱりこれは……派手だよね?」



 親に自分の姿を見てもらう。



「良いんじゃないかい? あの男も悪い気はしないと思うよ」

「で、でも、こんな格好恥ずかしい……」

「じゃあ、もう一つのドレスに変更するかい?」



 どうするか悩んでいると、ドンドン、と扉をノックする音が聞こえる。



「ウェインだけど、ニーネ居る? 今日約束してた祭りの日なんだけど」



 玄関からの声に、びくりと身体を震わせるニーネ。慌てふためきその場でオロオロし始める。



「う、ウェイン!? ど、どど、どうしようお母さん!」

「こうなったら腹をくくるしかないねえ」

「ええっ!」

「ほら、行った、行った」



 ニーネは覚悟を決める。黒いドレスを着たまま、玄関の向こうに居るウェインと向き合う事を。

 部屋から出て、ゆっくりと家の玄関の扉の前に立つ。そして、そのドアノブを手にしてゆっくりと開いた。

 扉を開くと、何時もの服装をしたウェインがニーネの目に飛び込んできた。

 ニーネの目にとびこんできた、という事はウェインにもニーネの姿が視えている。恥じらいながらも、ドレス姿を見せるニーネ。



「あ、あの……どうかな?」



 ウェインの反応を窺う。

 彼はニーネの姿を見て、ピクリとも動かない。その様子に、ニーネは不安が少しずつ募り始める。

 やはり、もう一つのドレスの方が良かったのか? そんな事が思いをよぎる。

 だが、ウェインが瞬き一つすらしない事にニーネが気づく。



「ウェイン?」



 目の前で手を振るが、反応がない。

 やがて、ニーネはある事に気づく。



「おかあさん! ウェインが息をしてない!」



 家の中にいる母親に助けを求めた。

 母親はウェインの固まった姿を見て顎に手を当てる。



「ああ、これはあれだね。ニーネの姿が衝撃すぎて意識が飛んでるんだね」

「それって、似合ってないって事?」

「んなわきゃないよ。うちの可愛い娘を見て、そんなこと言う男ならこのまま帰ってもらって結構だ。おら、起きな」



 ニーネの母親は遠慮なくウェインの頬を掌で何度も叩く。痛みによってウェインはようやく意識を取り戻す。



「あれ? ここは? ニーネの母親?」

「あんたはうちの家の前で意識を失ってたんだよ。ほら、うちの可愛い娘を見て何か言う事は無いのかい?」



 くい、と顎でニーネの方に注目するよう向ける。

 ドレス姿のニーネを見たウェインは、今度は意識を失わないが、明らかに動揺しており、目のやり場に困っていた。



「あの、どうかな? 似合ってる?」



 おそるおそる、ニーネがドレスに対しての感想を訊ねる。ウェインの顔は信じられないぐらい赤くなっており、何度も咳払いをする。



「……似合ってる。綺麗すぎて、びっくりしてる」



 照れくさそうに口にすると、ニーネの表情は明るくなる。

 そして、嬉しさのあまり、思わずニーネはウェインに抱きついてしまった。

 感情の高まりによって生じた行動に、ニーネは気付き慌ててウェインから離れる。



「ご、ごめん! あの、いきなりこんな事して、その……」



 何とか言い訳を取り繕うニーネであるが、既に遅かった。

 ニーネの大胆なスキンシップが、ウェインに多大な影響を与えてしまった。その結果。



「あー、だめだねニーネ。この男、また意識が飛んでるよ」

「ええっ!」




 ♦♦♦




 ウェインとニーネが王国へと辿り着く。

 色々なやり取りがあった為、当初の予定よりも少し遅れる結果となる。

 昼を少し超えた辺りではあるが、王国内は祭り当日とあって信じられないぐらいの盛り上がりを見せていた。

 そこかしこで飛び交う声に、見慣れぬ屋台。大通りは人の群れで混雑していた。

 その人の多さに、二人は圧倒されてしまう。

 二人共、来たのは良いがどうすればいいのか途方に暮れていた。



「よっ、そこの若い二人」



 軽薄そうな声が二人の耳に入ってくる。

 そちらに向くと、出店をしている怪しげな男がいた。

 男はやや鼻が尖った痩せた人物。顔から種族は人間とも、ドワーフともとれる。

 彼の前にはズラリと宝石を加工したアクセサリーの類が並んでいた。



「若い二人って、俺達の事?」



 ウェインが自分を指さすと、店の男はそうそう! と何でも頷く。



「良かったらさ、うちの商品買ってよ。そこの可愛い女の子にピッタリだと思うよ」



 そう言われてウェインとニーネの二人は男の店を覗く。

 幾つか並ぶ宝石のブローチや、ペンダント、ネックレスの加工品。それをウェインはまじまじと見つめる。



「なぁ、このネックレスは幾ら?」



 ウェインは翡翠の宝石が括られたネックレスを指さす。



「お目が高いね、お兄さん。そいつは10万オーラルだよ」

「じゅ……じゅうまん?」



 顔色が青ざめる。

 そんな大金、当然ウェインは持っていない。出来る事ならニーネのプレゼントに、と思っていたが流石に手が出なかった。

 諦めようとした時。



「だけどね、お兄さんがもし買ってくれるなら、1万にしてあげるよ」

「本当か!」

「ああ。可愛い女の子にプレゼントしてあげたい気持ち、おいらも分かるからねぇ。赤字覚悟のサービスだよ」



 元値よりも半額以下のサービスに、ウェインも食らいつく。

 安い買い物ではないが、ニーネの喜ぶ顔が見たいと思ったウェインは買う気だった。

 浮かれるウェインが、横に居るニーネを見た。そこには、自分以上に真剣に商品を見つめる姿のニーネが居た。

 その様子を見たウェインは、ニーネに声をかけるのを躊躇う。



「ねぇ、おじさん。このネックレスについている翡翠色の宝石は何?」

「お嬢ちゃん、そいつは『エスメラルド』だよ。イグダスの山でしか取れない希少な物でな、その美しさから貴族も愛用してる程の――――」

「ちょっと触ってみても良いですか?」

「ああ、いいとも。但し、傷はつけないでくれよ?」

「ありがとうございます」



 ニーネはそれを手に取ると、太陽の光を当てる。

 少しの間光を当て続けていると、その色が少しずつ赤く変わっていくのが見えた。

 それを見た後、ニーネは肩を落としてその商品を戻した。



「おじさん、どうもありがとうございました。それじゃあ、行こうかウェイン」

「ちょ、ちょっと待ったお嬢ちゃん! この男の子は君の為に高いエスメラルドのネックレスを買おうと……」

「ジルコニウムの間違いじゃないですか?」



 ニーネの指摘に、店の男は全身を震わせ、冷や汗をかき始める。



「ニーネ、ジルコニウムって?」

「ジルコニウムはエスメラルドに似た鉱石。ただ、エスメラルドと比べると大量に発掘されてるし、簡単に手に入る。少し加工してエスメラルドとして高く売りつける商人も多いの」

「見分け方とかあるの?」

「簡単に見分ける方法として、さっきみたいに太陽の光を当て続けると、不思議と赤く変わるの。だから、間違いなくエスメラルドではないよ」



 ペラペラと流暢に語るニーネに驚くウェイン。どこか誇らしげで、自信に満ちたその姿は今までのニーネとはまるで違った。



「く、詳しいんだな、ニーネ」

「お母さんが鑑定士だから、それに倣って同じように詳しくなったの」

「お、お嬢ちゃん、言いがかりは良くないぜ! こいつは正真正銘エスメラルドだ! 折角安く売ってやろうと思っていたが、ヤメだヤメ! とっとと失せろ!」



 先程まで厚意的だった男の態度が一変する。

 さっさと出て行くように、手で追い払うような仕草を見せる。



「そうします。けど、もしエスメラルドでなければ、こういう偽物を売りさばくことは重罪なので気を付けてくださいね」



 そう忠告してニーネは店の前から離れる。当然、それを追うようにしてウェインも後を追う。

 ニーネ達が街の奥へと向かう中、しばらくしない内に、その店は早々に畳んでいなくなってしまった。






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