第29話 バージニアの王女編 29
ゴードンの顔から血の気が引いていく。
彼女が王女もろとも自分を殺す気であることを示唆していた。
(――――できるわけがない。できるわけがない!)
そう、自分に言い聞かせるゴードンではあるが、心中は穏やかではない。
ごくり、と生唾を飲み込む。
他の者ならばいざ知らず、この女だけは分からない。
「わ……儂もろとも殺す気か? 冗談であろう?」
本来ならば立場は完全に上だというのに、エルーニャの機嫌を伺うように
無言でその口元を不気味に吊り上げるエルーニャ。それを見たゴードンは脂汗が滲み出ると同時に狼狽する。
ゴードンの思惑は完全に空回りしていた。誰が王女もろとも殺すなど考えるだろうか?
奥の手である人質戦法が通用しないのは、ゴードンにとって誤算であった。
「ま、待て! 早まるな! 考えなおせ!」
「何を考えなおす必要があるというのだ?」
「い、一国の王女だぞ! 貴様が手にかけようとしているのはバージニアの王女だ! もしもその身に何かあれば、想像もつかぬ混乱が起こりえるのだぞ!」
必死になって事の大きさを訴えるゴードン。エルーニャは口許に指を当てる。
「さて、どうするか……」
「か、考えを改める気になったか? そうであろう、そうであろう! 自分のしようとしていることが、如何に愚かな行動であったか、理解した――――」
「何を勘違いしている。私が考えているのは、貴様をどうやって殺すかだ。一瞬で殺すのは味気ない、私を愚弄したのだからそれ相応の苦痛を伴うようなものが良いのだが……中々考えがまとまらないな」
ブツブツ、と独り言を呟くエルーニャ。その内容は常軌を逸したものばかりであり、それを耳にしているゴードンは気が気でなかった。
「わ、儂一人を殺すのに、王女を犠牲にするほどのことか! その後どうなっても知らんぞ!」
「お前は、蝿を殺すときに明日のことを考えるか? それが私の答えだ」
話が通じない。
目の前の女を説得する事は不可能だと悟ったゴードンは、ウェイン達の方へと目を向けた。
「お、お前たち! 良いのか! 王女がこの女に殺されるぞ!」
ゴードンはウェインたちに声をかけた。
彼等はエルーニャと違い話が通じる相手である。彼等から協力を取り付けてエルーニャの行動を阻止しようというのが、ゴードンの魂胆。
その声かけに反応する三人。上手く行くかと思われた――――が。
「この者の言葉に耳を貸す必要はありません」
その一言が全てを瓦解させる。
発した人物はロゼ。本来、助けを求める立場である彼女から意外な言葉であった。
「お、王女! 貴様、何を言っておるのだ! 死ぬ気か!」
「私にかかっている呪いが解けない以上、私の命はゴードンの掌の上。で、あるならば、これ以上迷惑をかける前に、私は命を断つつもりです」
ぐ、ぬぬ! と苦悶の声を漏らし、青筋を立てて王女を睨みつけるゴードン。
「進退窮まったな、老いぼれ。人質である王女にこうまで言われてはな」
「黙れ、黙れぃい! 王女の呪いを外せるのは儂だけだ! 見よ、この証を!」
そう言ってゴードンは左手の掌をエルーニャに向ける。そこには王女の背中に記された黒い紋様が記されていた。
「どうじゃ、これこそ儂と王女が繋がっている何よりの証拠。儂を殺せば、この紋様の呪いが直ぐにでも発動――――」
エルーニャは王女に向けて手をかざし、聞きなれぬ言語を紡ぐ。すると、王女の身体を黒い光が覆い、それは人の悲鳴のような音を上げながら王女の身体から離れて行った。
それを目撃したゴードンに、何とも言い難い不安がよぎった。
エルーニャは手を下ろし、笑みを浮かべた。
「そういえば言っていなかったな。私は別に、王女の呪いを解除できないとは言っていない」
「ま……まさか! 貴様!」
ゴードンは左の掌を見る。
そこにはあるべき筈の呪いの紋様が跡形もなく消え去っていた。
カタカタと震えるゴードンの手。そして、ゆっくりとその顔をエルーニャの方へ向けると、そこには海の底よりも冷たく暗い
「た、助けて……くれんか?」
「断る。今しがたお前の処罰も決まった。お前に良いものを見せてやろう」
「良いもの、じゃと?」
「本物の呪いだ」
本を開き、手を乗せるエルーニャ。本来なら後は魔法を唱えるだけで効力を発揮する筈なのだが今回は違った。
エルーニャは詠唱する。その言語は聞き取れず、その声を聞くものは思わず身を震わせ、耳を塞ぐ程おぞましい言葉であった。
ゴードンも初めて見聞きする呪文に、震え上がっていた。
本から大量の黒い煙が昇り、それは意志を持つかの如くゴードンの身体を包み込む。やがて、口や耳の穴から体内へと侵入していく。煙である以上、それを防ぐ術は無かった。
大量の煙を吸ったせいか、ゴードンはその場に膝から崩れ落ち、大きく咳込む。
「き、貴様! 儂に何を!」
「呪いだと言っただろ? 安心しろ、命を奪うとかそういう呪いではない」
「で、では何だと?」
「直ぐに分かる」
何の事か理解できなかったゴードンであったが、エルーニャの言う通り、彼は直ぐに理解する事になった。
一度体が大きく震えた後、ゴードンは大きな悲鳴を上げる。
「な、なんだこれは! 何故貴様らが! やめろ! 私をゴードン・アドムと知っての狼藉か!」
バタバタとその場で暴れ出し、終いには倒れて泡を吹き始める。その奇異な行動は周囲から見ても異常であった。
「あ、蒼い魔法使い様、これは一体?」
ゴードンの奇行に、流石のロゼも困惑していた。
「夢を見ているのだよ、バージニアの王女」
「夢ですか?」
「ああ。先程の呪いには幻覚作用が含まれていてね、対象の精神がギリギリ崩壊しない程度の悪夢を見せている」
「一体どのような夢を?」
「まぁ、あの様子からして誰かに殺されているのだろう。だが、奴は幻覚と認識できず死ぬまであの状態になるだろう。それが幻覚の死か本当の死か判別できずにね」
「恐ろしい呪いですね……」
ロゼはゴードンを哀れむように一瞥する。そこには、先程までの面影は一切なく、白目を剥き、奇声を上げ続ける老人が居た。
「まぁ、相手を見ずに喧嘩を売るからこうなる。くれぐれも、王女も気を付けた方がいいですよ」
「ご、ご忠告感謝いたします……」
戦いはエルーニャの圧勝で終わった。
そんな戦いの一連の流れを見ていたエミリアとゲオルグは、エルーニャに対する考えを改める事になった。
「ねぇ、少年君」
「どうしました? レーゼさん」
「一つ、言っても良いかしら?」
「どうぞ」
「エルーニャさんなんだけどさ、とんでもなく性悪な性格してるわね」
「……俺もそう思います」
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