~幕間~ カナンの女性と王女2
「ルリアン王……! では、ひょっとしてここは……!」
「バージニアです。貴女を見つけた時、私とアッシュはイグダス国の遠征による帰りの途中でした」
そうか、道理でこの部屋ではイグダスの時に感じていた暑さを感じないわけだ。
だが、そうなると不可解な事がある。
倒れた私を発見したのは、当然イグダス国内だ。ならば、治療するにしてもイグダスにある街でも良かった筈。そして、この部屋が病室とは思えない。
「何故、私をバージニアに連れてきたのでしょうか? それに、この部屋は?」
「命を救ってもらっておいて、随分な物言いだな女。そんなに気に食わないか」
男がジロリとこちらを睨む。明らかな敵意を私に向けていた。
「そうではない! ただ、私はイグダス国内で倒れていた筈。それなのにバージニアに来ているというのは不思議と思ってもおかしくないだろう」
「貴様を付近の村に置いて帰るという事も考えた。だが、姫様が衰弱してしまっていたお前の身を案じてしまった為、このような状況になっている。私は捨て置いた方がいいと伝えたのだがな」
「王女様が……私の身を?」
信じられない。何処の誰とも知らぬこの私を、そこまで世話をしてくれるとは。
「体調が良くなったのであれば、とっとと帰れ。貴様をここに置いておくというのは面倒な事になるからな」
「それはどういう意味で?」
「簡単な事だ。貴様の事は極僅かな者しか知らぬからだ。内密にこの部屋まで運び込み、看病していた。それを他の者に知られれば、よからぬ噂となる」
「それは何故?」
「出発した時にはいなかったイグダスの女を連れて帰った。しかも、それは素性の分からぬ不審者。それだけで理由は十分だ。後は勝手な憶測が一人歩きした後、姫様が貴様と良からぬやり取りを行っているという風評被害が起こるだけだ」
「バカな! そんなやり取りなど起こるわけもない!」
「起こる、起こらない、などはどうでもいい。ただ、怪しいという事が知れ渡るだけでいいのだから。姫様を良く思っていない輩というのは貴様が思っている以上に居る。ただ、それだけの話だ。だから、貴様を助けるなどという、危ない橋を渡る必要など一切ない、と進言はしたが……」
はぁ、と白髪の男は顔に手を当て、重い溜息をついた。
見ず知らずの私を助けるという行為が、それほどまで悪影響を及ぼすとは知らなかった。
「アッシュ、そのような事を病人の方に伝えて、不安を煽るような真似はやめてください」
「事実ではないですか。周囲の者は陰口がお好きですよ」
「放っておきなさい。そんな些細なことは言わせておけばいいのです。今はこの方の身体の方が大事なのですから」
優しい気遣い。何とよくできた人格者であろうか。
このような方に対し、恩を仇で返すような真似をしてはならない。尚更王女様に無理を掛けられない。
「王女様、そこの男のおっしゃる通りです。助けて頂いたことには感謝しても、しきれません。しかし、その好意に甘んじて長居をすることは出来ません」
「私としては、もう少しゆっくりしてもらいたいぐらいなのですが」
あからさまに残念そうな表情を見せる王女様。そのような顔を見せられると、こっちとしてはどうすればいいのか悩まされる。ここから立ち去るべきなのか、王女様の傍に居た方がいいのか。
「姫様。このような訳の分からない輩を助けただけではなく、何故そのような温情を与えるのですか? この女が手の汚れた者かもしれぬのに」
「アッシュ、この方はそのような者ではありません」
「何か確信が?」
「目を見れば分かります。この女性は凄く綺麗な瞳をしておられてます。悪人などではありませんよ」
にっこりと屈託のない笑みを零す王女様。
私は悪人などではないが、そのような笑みを見れば悪人であろうと改心してしましいそうな程眩しいものではある。
「王女様。何故、私を助けてくれたのですか?」
「おかしなことをいうのですね? 人を助けるのに理由が要りますか?」
「折角助けていただいたのに、私には返せるものがなにもありません」
そう、私には何もない。
街を襲撃された際、この身一つで放り出されてしまった。せめてもの恩返しをしたいというのに、それすらも叶わない。
「お礼をいただくために助けたわけではありませんよ?」
「そういうわけにはいかないのです。カナンの民として、施しを受けたのであれば、その恩に報いるのが決まり。何か、お礼をさせていただけませんか?」
しばし王女様は考え込む。そして、何か思い付く。
「でしたら、一つお願いしても良いですか?」
「私で叶えられるものであれば」
「私とお友達になっていただけませんか?」
意外というか、予想してなかった。
まさかそのようなことを言われるとは夢にも思わなかった。
「友達、ですか?」
「はい! 良ければ、ですが」
「何故私と?」
「実を言うと……私には友達がいないのです」
困り顔で語る王女様。彼女の反応を見る限り、本当のようだ。私からしてみれば、信じられない事ではあるが。
「王女様ほどのお人ならば、慕う者は多いのでは?」
「慕う者のは全て部下であって、私を友人とは見ません。その点、貴女なら部下でも無いので遠慮しなくても良い筈です」
「いえ、流石に王族の方と接するとなると、遠慮はしますが……」
「大丈夫です。私と貴方は友達なのですから、そこに遠慮はいりませんよ」
にこにこと嬉しそうに語る王女様。
本当に変わったお方だ。私のイメージで王族というのは威張っている印象しかない。
「私で良ければ、是非王女様の友達に」
花開いたような笑顔を見せる。たかが、そんな事でこのような喜びを見せるなどとは。
無邪気な方だ。きっと、誰にでも好かれる性格だろう。
王女様は私の傍らにまで近づくと、私の両手を包み込むようにして握りこむ。その手はまるで赤子のように綺麗で柔らかい。
「どんなに離れていても、私と貴女は友達ですよ? 困った時は何時でも頼ってくださいね」
まるで天使のような暖かい笑みと共に、人をダメにしそうな甘い囁きが彼女から漏れる。だが、その言葉は私にとって無意味だろう。
けれど、彼女の気持ちを無碍にすることは出来ない。
「ありがとうございます、王女様。困った時があればいつでも呼んでください。微力ながらではありますが、必ずお力になりましょう」
心臓の位置に手を持っていき、指で十字を切る。
その約束に偽りはない。あの時、この方が手を差し伸べてくれなければ私はとうの昔に命は尽きていただろう。ならば、この命を彼女に捧げても悔いはない。
「…………」
「どうしました? 王女様?」
「いえ、先程貴女が何か十字を切っていたので、どうされたのかと思って」
「ああ、これですか? これは、カナンの民に伝わる習わしです。心臓の位置で十字を切る。これは相手の無事を祈る意味と、これを用いて約束をすれば、それは必ず約束を果たすという意思を示すもの。我々の中では『
「
王女様は同じように自身の胸元に指を持っていき、同じように十字を切る。そして、そのまま胸に手を当てた。
「誓います。私は、貴女が困っている時、力になります」
何の拘束力も無い口約束。だというのに、何故か彼女が言うと本当に力になってくれるような気がしてならなかった。
不意に部屋の扉からコン、コンという軽いノック音が聞こえる。
「! 隠れて!」
王女様が小さく短い声で指示をする。それを聞いて素早く私はベッドのシーツを自分に被せて姿を隠した。
私が隠れた後、何やら話し声が聞こえてくる。内容は良く分からないが、頻りに王女様と男が話し合っている声が聞こえる。
やがて、扉が閉まる音が聞こえると、部屋の中が静まり返る。
「もう、大丈夫ですよ」
王女の言葉に私はシーツを取り払い、身体を起こす。先程同様、王女と白髪の男以外の人は見かけない。ただ、王女の表情が少し曇っているような気がした。
「何かありましたか王女様? お顔が優れないようですが」
「ええ。先程使いの者が来たのですが、少し離れた場所へと向かうため、しばらくここには帰ってこれないのです」
「そうでしたか……」
これは仕方のない事だ。彼女は王女という身分である以上、常に部屋にいるわけにもいかない。やはり、それを考えれば私がこの場所に留まる事は難しいだろう。
「王女様、助けていただきありがとうございました。やはり、私はこの場所に留まるべきではないでしょう。できる事なら、直ぐに元の国へと戻ろうと思います」
「そんな! まだ何も話してないのに!」
「元より、このような王女様と知り合う機会は私には不相応だったのです。しかし、こうして王女様と出会えたのは、神様の思し召しだったのかもしれませんね。せめて、今日中には――――」
「貴様を帰らせる手筈なら既に済ませてある。事情を良く知る行商人に話を通してある。その行商人の馬車に乗ってとっとと帰るがいい」
話の途中に割り込んでくる白髪の男。ぶっきらぼうな言い方をする男に対し、王女様が「アッシュ!」と声を張り上げて怒鳴った。私の為に怒ってくれる王女様を、なんとか宥める。
「良いのです。彼のおかげで首尾よく帰る事が出来そうです……アシュフォード、でしたか? 最後まで迷惑を掛けます」
「礼などいらん。俺は貴様を長居させるつもりが無かっただけだ」
男の手配のおかげで、王女様に迷惑をかける心配も無くなった。
私は直ぐにベッドから立ち上がり、一度王女様に会釈をする。
「では……王女様、ここでお別れです。貴女に良き未来がありますように」
男のほうに目配せをすると、男は一度部屋を出て行く。そして直ぐに帰ってくると、その手には全身を覆い隠せるローブを持っていた。
「これを身に付けろ。後は私の後ろをついてくればその商人まで会わせてやる」
「お願いします」
「待って! 私も行きます! 彼女は私の友達ですから、最後まで見送りを――」
「姫様がご一緒だと何かと目立ちます。ご遠慮ください」
「ですが……」
「姫様の心配は重々承知しております。ですが、このアシュフォードにお任せください。必ずこの女を……いえ、ご友人を間違いなく無事に送り届けます」
「……その言葉に、偽りはありませんね? アッシュ」
「無論です。身命を賭して」
アシュフォードという男は両方の踵を綺麗に揃え、直立して真剣な眼差しで王女を見た。それを見た王女は駄々をこねず、小さく息を吐いた。
「分かりました。ですが、最後に彼女と一度話をさせてください」
その願いを男は受け入れたのか、反論はしなかった。
「こんなに早い別れが来るとは思っていませんでした。もっと話をしてみたかったのですが」
「王女様はどのような話を望まれていたのですか?」
「色んな事です。紅茶を飲みながら、イグダスの事や貴女の事。バージニアの事も聞いて欲しかったですね。私は行動が制限されているので、そういう他国の話などはあまり聞ける機会が無いので」
「そうでしたか」
「ですから、一つ約束をしませんか?」
「約束?」
「ええ。何時かもう一度こうして出会った時、紅茶を飲みながら二人で楽しい会話を気が済むまでするという約束を」
王女様は簡単に言うが、これは難しい話だ。バージニア領内に入るにはある程度の手順を踏まなければならない為、厄介である。加えて、彼女は一国の姫様だ。私などが、謁見を許されるとは到底思えない。
もし、彼女が私の事を覚えていたのであれば可能性としてはあるかもしれない。
だが、その可能性は極めてゼロに近い。
彼女と会うには何年かかるだろうか? 1年や2年では到底きかない。王族ともあれば、その人間関係は非常に多く、覚えなければならない人間も多いだろう。それが、ほんの一瞬の時間で知り合った私を覚えている可能性に賭けるなど無謀もいいところだ。
――――それでも私だけはこの約束を覚えておこう。
例え彼女が私を覚えていなくとも、どのような形であれど、私は必ずこの方の為会いに行く。
再度私は心臓の位置に指を持っていき、十字に切る。
「誓います。もう一度、ロゼ様にお会いできた時その約束を果たしましょう」
「約束ですよ……っと、そう言えば貴女のお名前をお聞きしてませんでしたね? 貴女のお名前を教えてください」
「はい。私の名前は―――――――」
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