~幕間~ カナンの女性と王女


 ――――あれは、六年前の出来事だった。



 当時の私は、あどけない普通の女性だった。

 カナンの民という一族ではあったが、それ以外は他の女性と何も変わらない。

 その日は、私の誕生日だった。

 誕生日のお祝いを兼ねて、両親と一緒に朝から街に出掛けていた。

 イグダスは日中は陽射しが強く、雨も中々降る事が無いため非常に暑い気候な事が多い。その為、人々は薄い服装か、腕や足の肌を露出する恰好を好む。また、建物は石を積み上げた粗雑な物から、日干しレンガを用いた家が一般的だ。

 この日は催し物があった為か、多くの人々が街を出歩いていた。私もその中の一人であり、買い物や食事をして、家族団欒で幸せな一時を過ごしていた。

 だが、そんな幸せは一瞬にして崩れ去る。

 突如、武装した集団が大挙して私のいる街を襲ったのだった。

 野盗である。内乱で敗れた兵士が行き場を失い、盗賊になる事は珍しくない。この日襲ってきたのもそんな連中であった。

 馬に跨り、黒いターバンとゆったりとした黒い衣服を着た男達が、曲刀を振り回して街に押し入る。そして、手近にいる街の人間達を次々と殺害していく。


 

 逃げ惑う人々。我先にと、出口に向かって押し寄せてくる濁流のような人波に巻き込まれ、私と両親を引き裂いた。

 両親は私に向けて必死に手を伸ばし、私の名前を叫んでいたのが耳に残っていた。だが、直ぐに両親の姿は人波に飲まれて見えなくなり、私は両親と離れ離れになってしまった。

 平穏な街は、一瞬にして戦場へと変わってしまった。

 飛び交う怒号と金切り声が街を満たす。



 ――ここにはいられない。



 誰もがそう思っただろう。私も、命からがら必死に逃げる事だけを考えた。

 この時、自分の事に必死で、両親の安否など考える余裕は無かった。

 この死地から逃れる事だけに私は集中した。

 何も持たず、ただ振り返ることなく街の出口を目指した。

 耳を手で塞ぎ、ただひたすら出口を目指した。

 塞いだ指の隙間から、周囲の音や声が微かに伝わってくる。

 振り向くな、惑わされるな。

 それは悪魔の誘いである。一瞬でも気を取られれば、命は無いと自分に言い聞かせた。


 兎に角、走った。

 走って、走って、走り続けた。無我夢中で走り続けた。

 それが功を奏したのか、私は五体満足で街を離れる事が出来た。

 後の事は良く覚えていなかった。とにかく走り続けて、体力の限界が来てようやく立ち止まった。



「ハァ……ハァ……」



 膝に手を置き、破裂しそうな心臓の鼓動を整える。そこでようやく、自分の場所を確認する事にした。

 見渡す限り、白い砂の大地が広がっていた。


 イグダスでは有名な『ゲラ砂漠』だった。別名「死の大地」と呼ばれる砂漠。

 広大な砂の大地は、他所から来た者にとっては珍しい為、名所として知れ渡っている。

 頭上には太陽が燦然と輝いており、白い砂が光を反射して、想像以上の熱さを演出していた。

 ゲラ砂漠を超えるには、それ相応の準備が必要だ。

 飲み水の確保に、足となる動物は最低限の備え。この地域を初めて訪れたものならば、案内役ガイドを帯同させなければならない。でなければ、一面同じ世界を歩き続けて方角を見失うのは間違いないからだ。


 私には何もない。

 飲み水も、足となる動物も、方角すらも分からない。

 来た道を真っすぐ戻れば街に戻れるだろう。だが、それは悪手としか思えなかった。あの悪漢達が占拠しているかもしれない無法地帯に再び戻る、それを考えるだけで足が震え、立ちすくむ。


 この砂漠を超えることを決意した。

 どうせ死ぬかもしれないなら、救いのある方を選びたい。

 果ての無い砂漠の横断が始まる。それは、地獄の行進だった。

 足を取られかねない柔らかい砂が、足に纏わりついて一歩踏みだすのに大きな力を必要とする。加減をしらぬ頭上からの陽光が降り注ぎ、砂がそれを照り返す。急速に体内の水分を奪っていく。


 どれほど歩いただろうか?

 疲労と眩暈で、時間の区別がつかない。一瞬とも永遠とも思える時間を歩き続ける。

 先に音を上げたのは自身の体であった。

 一度も水分を補給せずこの強い日差しの中を歩き続けた結果、痙攣を起こしてその場に倒れ込んだ。

 もう、一歩も動けなかった。

 僅かに残った思考で、今まで生きていた思い出が起こされる。



(もう一度、パパとママに会いたかった……)



 視界が歪み、意識が遠のいていく。

 朦朧とした意識の中――――人の声を耳にした。





 ♦♦♦







 気が付くと、見知らぬ場所に私は居た。

 何か柔らかいものの上に横たわり、見覚えのない天井が視界に映る。少なくとも、自分の家で無い事は分かった。

 建物の中とはいえ、イグダス特有の暑さがまるでない事が不思議だった。



(……ここは何処だ?)



 ゆっくりと身体を起こす。周囲を確認すると、どうやらベッドの上に寝かされていたようだ。だが、そのベッドは一般庶民が手にできるような薄く固いものではなく、羽のような軽さと、綿のような柔らかさを持つものであった。

 それだけではない、部屋の中を見れば見た事もない、豪華な装飾に彩られた室内であることが分かった。

 状況を把握しようとしても、全く理解できず困惑した。不意に眩暈と頭痛が襲ってくる。思わず頭に手を当てて、顔をしかめると。




「あら、起きられたのですか?」

「! 誰だ!」



 声の方を向くと、部屋の奥から一人の年端もいかぬ小さな女の子が現れた。その衣服は翡翠色のドレスに身を包んでおり、一目で格が上の人間だと理解した。

 私が警戒して睨むように視線を送ると、女の子は全く意に介さずニッコリと微笑む。



「もう少しゆっくりしてください。お医者様に聞いた話だと、貴女は砂漠で死ぬ寸前でしたのよ?」

「死ぬ寸前……もしかして、貴女が助けてくれたのですか?」

「いえ、発見したのは私ですが、助けたのは隣にいる人ですよ」

「隣?」



 振り返ると、そこに一人の男が立っていた。

 腕組みをして壁にもたれかかった一人の男性。怪訝な表情でこちらを見つめる……いや、睨んでいる青年。白髪の短い髪をした男であった。

 先程、部屋を見渡した時にもこの腕組みをしている男に気づかなかった。



「彼は、アシュフォード。少し怖い人に見えるけど大丈夫ですよ」

「……アシュフォードだ。色黒の女、命拾いしたな。姫様がお前の事を発見し、助けろと命令しなければ、今頃はくたばって亡骸はモンスターの餌にでもなっていただろうに」



 男はこちらを睨みながら皮肉たっぷりな言い方をする。だが、今思うのはそこじゃない。



「姫様? 姫様というのは一体?」

「知れた事。あちらにいる少女の事だ」



 再度少女の方を見る。気品ある姿と衣装で、格の上の方とは思っていたが、まさか姫とは思わなかった。

 少女はスカートの裾を持ち、優雅に挨拶をする。



「お初お目に掛かります、私の名前はロゼ。ルリアン王の一人娘です」







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