第23話 バージニアの王女編 23
一陣の風が舞い上がった。
女性の姿が消えた、と思った瞬間、彼女は既にエミリアの懐に潜り込んでいた。
二刀の短剣を逆手に持ち、重く大きな一呼吸を挟んだ後、殺意を
攻撃に備えて身構えるエミリア。
相手の攻撃に対処できる自信はあった。先の戦闘で不覚は取ったものの、あの程度であればすぐに対処し、即座に反撃を試みる予定だった。
だが、思わぬ誤算が生じる。
先程、カナンの女性は言った。全力で行く、と。
つまり、先の戦闘ではまだ実力を出し切っていなかったという事を意味する。
ギリッ、と短剣の柄を強く握り締め直し、二振りの短剣が唸りを上げる。
エミリアの目に飛び込んできたのは、視界を埋め尽くす無数の刃。それは、カナンの女性が繰り出した攻撃だが、あまりの速さに残像となって見えていた。
繰り出される攻撃の速さは先程の比ではない。
「――――ッ!」
視界を埋め尽くすほどの連撃に、反撃どころではなくなる。それらをエミリアは剣と鎧を利用して、弾き、いなす。しかし、それら全てを防ぎきる事は難しく、何ヵ所か傷を負っていた。
カナンの女性の猛攻は止まる事を知らない。繰り出す攻撃はおろか、その腕の動きすら視認する事が困難。二振りの凶刃が絶えずエミリアに迫り、それらを凌ぐ金属音が常に二人の間を飛び交う。
攻勢に出たいエミリアであったが、この攻撃の対応には苦慮していた。
その理由の一つに、相手の華麗な足捌きがあった。
とめどない動きの変化。一方的に攻撃を仕掛けておきながらも、攻撃が単調にならないように変化を加え続ける。それが、エミリアの対応を難しくしていた。常人ならばその変化と速さに追いつけず、全身を切り刻まれて命を落としていただろう。
圧倒的な手数を前に、エミリアは防戦一方。少しでも気を抜けば首と胴体が離れてしまう。カナンの女性の繰り出す、際限無き剣の舞に対し、辛うじてエミリアが致命傷を逃れている印象であった。
「くそっ! レーゼさんが完全に押されてる! 魔装は凄い武器防具じゃなかったのかよ師匠!」
仲間の窮地に頭を抱え、慌てふためくウェイン。だが、エルーニャは感情を露わにすることなく、二人の戦いを傍観していた。
しばし様子を見た後、退屈そうに欠伸をする。
「なんだ、つまらん。もう少しいい勝負になると思っていたのだがな」
「師匠がそこまで言うなんて……ああ! どうすりゃいいんだよ! このままじゃ、レーゼさんが負けちまう!」
「ん? 今、誰が負けると言った?」
「だから、レーゼさんだよ! 魔装なんて何の意味もないじゃないか」
二人が会話を続ける最中、カナンの女性の容赦ない猛攻は続いていた。
一方的に攻撃を続け、優勢の位置に立つ。最早焦点はカナンの女性が何時勝つのか? という状況。
――だが、実際の所は違った。
この状況に逼迫していたのはカナンの女性の方であった。
(――――切り崩せない)
本来ならば既に決着がついている予定だった。だが、未だその気配さえ見えない。
最初の勢いで仕留めきれなかった事を悔やむ。剣を重ねるごとに相手が信じられない早さで順応し、対応していく。その適応力の高さには驚かされた。
攻め続けているが、押しきれていないこの状況はほぼ互角。いや……何時、逆転されてもおかしくないとさえ感じていた。
激しい応酬が続く中、少しずつ変化が起こり始める。
その理由は、疲労であった。
カナンの女性は最初から全力で勝負に挑み、短時間で決着をつけるつもりであった。だが、それは結果として叶わず、時間だけが過ぎる。
常に全力で活動を続けられる生物などこの世には存在しない。魔法による強化はあれど、彼女の腕や足は既に疲労の蓄積で悲鳴を上げ始めていた。
女性の口から苦し気な呼吸音と、声が漏れ始める。攻撃の速度も陰りを見せ始め、目に見えて落ちてきていた。
「でぇやあああ!」
これ以上の維持は無理と判断したカナンの女性は、苦し紛れにエミリアの首に渾身の一撃を放つ。だが、それは容易くエミリアの剣によって弾かれ、一際大きな金属音が響いた。
カナンの女性は弾かれた力によって、よろめきながら後方へと下がっていき、熾烈な攻防が終わりを告げた。
疲労からか、カナンの女性は肩で息をしており、息を整えるのもままならない。対してエミリアはあれだけの攻撃を凌ぎきって尚余裕を見せる。
全力を出しきった攻撃で仕留めきれなかったという事実は、カナンの女性にとって少なくない精神的ダメージをもたらす。
だが、勝利を諦めたわけではなかった。
致命傷は無くとも、多少相手にダメージを負わせることは出来ている。こちらは未だ無傷で万全の状態。
(ダメージを比較すれば、こちらにまだ分がある)
これからどう立ち回るか、その思考を巡らせる。
基本、相手の弱っている部分をつくのが常套手段。エミリアの手傷のダメージを見てから対応を考えようと、女性がエミリアの身体を見たとき。
「―――――!」
声なき声が出た。
我が目を彼女は疑った。その微かな表情の変化をエミリアは見逃さなかった。
「どうやら、気づいたみたいね?」
エミリアは不敵な笑みを浮かべ、相手の反応を楽しんでいるようにも見えた。
それは、にわかに信じがたい光景であった。
つけたはずの傷が、エミリアの身体にはひとつもなかったのだから。
傷はおろか、血の一滴すら見当たらない。最初につけた袖の傷すら何も無かったように綺麗な皮膚となって元通りになっていた。
「これは……どういうことだ?」
「この鎧はね、身に着けている者に対して様々な効果をもたらしてくれるのよ。その一つが『
冗談としか思えぬ性能であった。もし、エミリアの言っている事が本当であるとすれば、それは正に魔装と呼ぶに相応しい代物であった。そして、女性の心を折り砕くには十分すぎる内容であった。
そんな女性に対し、容赦ない追い打ちをエミリアは突きつける。
「降伏して。これ以上の戦いは無意味だわ」
「なっ……!」
「貴女だってわかっているでしょ? 私の勝ちが揺るがないって」
「ほざけ! 一度として私の身体に傷をいれていないというのに、何を言うか!」
「そう……じゃあ、仕方ないわね」
エミリアはゆっくりとカナンの女性に向かって歩いていく。そして、エミリアの剣がギリギリ届く距離で立ち止まると、手の指を三本立てて女性に見せる。
「今から三つカウントダウンをとった後、貴女に攻撃を仕掛けるわ……これが何を意味するのか、貴女にはわかるでしょ?」
あえて自分の手の内を晒す。それは相手に対しての慈悲であり、愚弄であった。
”これだけのハンデを与えてなお、私はお前に勝てる”と。加えて、エミリアは剣先を下向きにして構える様子がない。
(私を甘く見たことを後悔させてやる。その素っ首、叩き落してくれる!)
苛立ちと怒りを胸に仕舞い、女性は構えを取る。
相手が仕掛けてくるタイミングが分かるのであれば、それに合わせればいい。幸い、乱れた呼吸は落ち着き、疲労の蓄積した手足も幾らか動かせるほどにはなっていた。
「じゃあ、行くわよ? 3……2……1」
刻まれるカウント。ひとつ数が減る度に、二人の間にある空気の緊張度合いが増していく。
カウントが刻まれる中、女性が危惧していることは、エミリアがカウントの途中で仕掛けてくる事であった。
十分にあり得る事ではある。わざわざ相手に手の内を晒してくるのだから、それぐらいの奇襲は考えておいて当然だ。
(来るなら来い。どのような攻撃であろうと、必ず反応して貴女の首を切り落としてみせよう!)
油断も慢心もない。五感を研ぎ澄ませ、来たるべき時に備えるカナンの女性。
「―――――ゼロ」
告げられた審判の時。同時に、閃光のような決着が訪れた。
彼女はエミリアのカウントを聞き漏らす事は無かった。そして、相手の攻撃を見て即座に反撃できる態勢を整えていた。
だが、彼女は動かなかった……いや、動けなかった。
カウントが終了すると同時に、その両足の太腿に激痛が伴う。あまりの痛さに「ガッ!?」と、短い悲鳴を上げてその場に膝から崩れ落ちた。
何が起こったのか理解できなかった。
痛みのある足を見れば、両足には何かで穿たれた痕が一つ残っており、そこから鮮血が流れ出ていた。
それを確認してエミリアの剣を見ると、剣先が朱に染まっていた。
相手があらかじめ攻撃をしてくる事が分かっておきながらも、その攻撃に反応する以前に、両腿を穿った筈の剣すら見えなかった。
動かすだけで激痛が伴い、立つことすらままならない。最早この両足は使い物にはならない。
それだけではない。あれだけのハンデをもらいながら、まるで対応できなかったという事実。まともにやりあった所で、結果は見えていたであろう。
痛みからか、その表情は苦し気で玉のような汗が滲み出ていた。自分を傷つけた怨敵を一度睨みつける。だが、直ぐにその表情が憑き物が落ちたような穏やかなものへと変化し、口元が緩む。
「一つ聞かせて欲しい。これほどまでの腕前があれば、早々に決着をつけれたはず。手加減をしていたのか?」
「勘違いしないで欲しいわ。対等の戦いならおそらく貴女に分がある。けれど、この鎧を着たのなら別なのよ」
「また、魔装とやらか。たった一つの鎧がそこまでの差を生み出すというのか?」
「ええ。この鎧は『
それを聞いたカナンの女性は一度目を丸くした後、クックッ、と笑い出す。
「見事だ、エミリア・レーゼ。新しい白金騎士よ。この足では戦えないだろう」
「投降して。命まで取る気はないわ」
「敵に温情を掛けるのか?」
「少なくとも、私は貴女を殺したくはない」
「甘いな、エミリア・レーゼ。貴女がそのような事を望んでいても、私は王女誘拐の大罪人。その処遇は甘く見ても極刑。例え運よく生き逃れられても、生きて陽の光を浴びることは出来ないでしょう。それに、私の目的は達成された」
「目的?」
「一つは白金騎士である貴女を見極める事。私よりも弱いのであれば、ロゼ様を守るには役不足だし、強いのであればそれに越した事は無い。貴女は十分な強さを持ち、そして、ロゼ様に対する忠義も見せて頂いた……貴女にならば、心置きなくロゼ様をおまかせできる」
「……もう一つの目的は?」
「ロゼ様の身柄をお前達に譲る事だ」
「! もしかして、貴女ワザと誘拐犯の仲間に?」
「……あとは、頼みましたよ」
カナンの女性は逆手に持っていた短剣の刃をくるっと上に向ける。その意味を、誰よりも早く、ウェインが見抜いた。
「レーゼさん! その人、死ぬ気だ!」
その叫びに、全員が反応した。
だが、もう止まらない。カナンの女性は持っていた短剣を自身の喉元めがけて突き刺そうと決意を決めていた。
一度だけ、女性はロゼの方を見た。
今にも泣き出しそうな顔が目に入る。彼女を残してこの世を去るのは心苦しかった。だが、生きていても彼女を守る事はおろか、傍に居ることすら無理な事は分かっている。
ただ、悔いが残るとすれば……昔の約束を果たすことが出来なかった事だった。
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