第16話 バージニアの王女編 16

 犯罪者である以上、自身の名前を伝えるなどあり得ない。

 だが、ロゼにはこの女性がそれだけが理由ではない気がしていた。

 そんな二人の背後でボルボは忌々しく女性を睨みつけていた。

 折角の獲物を横取りされて、良い気はしない。だが、ボルボはこの女性に対して力でねじ伏せようなどという考えは全く無かった。

 理由は、王女の誘拐を成功させた立役者はこの女性だからだ。

 王女の護衛となれば、腕の立つ者が選ばれるのは必定。下手をすればこちらの命が危うい仕事であった。

 実際、護衛との戦闘では思った以上にボルボは手を焼いた。

 だが、この女性は違った。

 襲い掛かる護衛達を簡単にあしらうほどの腕前。そして、手足だけを傷つけ戦闘不能にする技巧を兼ね備える。

 もし、本気で殺す気があれば護衛は一瞬で物言わぬ骸と化していただろう。それだけの戦闘力としての差がそこにあった。

 そんな手腕をまざまざと目の前で見せられたボルボは、戦えば自分が死ぬことがハッキリと分かっていた。



「なんじゃ、騒々しい。まさか、王女に逃げられたか?」



 部屋に入ってくるローブを纏った最後の犯人。

 声はしゃがれており、年齢がかなり上だということがそれだけでもわかる。背丈は他の二人に比べ低く、その手には水晶玉が先端についた杖を手にしていた。

 入ってきた最後の犯人は、直ぐ横に居たボルボに顔を向ける。



「そんなへましてねぇよ。王女ならそこにいるだろうが」



 ボルボは握りこぶしを作って親指を立てると、何度も王女の方に向けて指す。



「ふん、どうだかな。貴様の事を儂が知らぬとおもったら大間違いだぞ?」

「何の話だ?」



 白を切るボルボに対し、最後の犯人は持っていた杖をボルボの鼻先に突きつける。



「儂の言いつけを破って地上に出ている事だ」



 ぐっ! とボルボの口から声が漏れると同時に顔色が悪くなる。



「二日後の誕生祭が終わるまで、勝手な行動は慎めと言い聞かせたはずだ。にも、関わらず貴様は約束を破った。それがどういうことか、分かっているだろうな?」

「ま、待ってくれよ! 確かに旦那の言いつけを破ったのは悪かった。だが、それもこれも、あの女が俺に「気晴らしに地上に出てきたらどうだ」と促したせいでもあるんだぜ!」



 鼻先に突きつけた杖を下ろすことなく、顔だけを女性の方へ向ける。



「……それは真実か?」

「そうだ。そいつがあまりにも暇そうだったからな。こんな地下で何日も過ごせば気分も落ち込む」



 女性の助け舟もあり、最後の犯人は納得したのか杖を下ろした。何とか許されたボルボは緊張からか、額に滲み出た汗を拭っていた。

 最期の犯人はゆっくりとロゼの方へと近寄る。



「気分はどうですかな? ロゼ王女」

「おかげさまで最低よ。一体、私を攫ってどういうつもりかしら……ゴードン」



 最期の犯人が一瞬身体を強張せる。

 その姿はローブに身を包んでおり、顔もフードを目深にかぶっている為素性は分からない。にもかかわらず、ロゼはその名前を口にした。



「一体、誰の事ですかな?」

「とぼけても無駄よ。バージニア王国に仕える宮廷魔法使い『ゴードン・アドム』の事よ。その声と、手にある古い火傷の痕が何よりの証拠よ」



 ロゼの指摘通り、犯人の右手にはうっすらと火傷の痕が付いていた。注意深く観察せねば分からない火傷の痕。それを見抜かれた犯人は、途端にクック、と笑い声を上げる。

 最早隠す必要も無くなったのか、自らかぶっていたフードを外す。

 そこには、頭皮が薄くなった頭に、落ち込んだ眼。年相応の皺にまみれた顔と白ひげを蓄えた老年の顔があった。



「些か驚きですな、こんな事で正体が明らかになるとは。それに、私の名前を憶えているという事も」

「馬鹿にしているの? 家臣の名前や特徴を覚えている事なんて、上に立つ者として当然の事よ」

「そんな風には見えませんでしたがね。貴女は我々を疎んでいるとしか思えない行動をとっておりましたから。我々の意見など、聞いたことがない」

「それは貴方達が現実を見てないからよ! 下から上がってきた意見だけを鵜呑みにして、間違った情報を元に運営しようとする。そんな意見を採用するわけが無いわ」

「家臣を信用してないという事ではないですか」

「信用に値しない家臣って事よ」



 会話を遮るように、ゴードンは持っていた杖の底で強く床を一度突く。石の床からはカツン、と大きな音が響き渡る。



「やはり、貴女には話が通じませんな」



 言い争いが不毛と感じたのか、会話を強引に打ち切った。

 くるりと踵を翻し、ロゼに背を向けて部屋からゴードンは出ていこうとする。



「待ちなさいゴードン! これは一体誰の差し金? 貴方だけが企てた計画とは思えないわ。誰なの?」

「……それを貴女に言う必要はありませんな。どのみち、貴女は二日後にはいなくなるのですから」

「どういう事?」

「それは――――む?」



 言いかけて、奇妙な声をゴードンが発する。

 その場で立ち止まり、その視線は虚空を見る。まるで、聞き耳を立てるように注意を払う。やがて表情が一変し、険しいものになる。ジロリ、と、今度はボルボの方を睨みつけた。



「な、何だよ?」

「貴様……やはりつけられていたか」

「どういう意味だ旦那?」

「侵入者だ。こっちに向かってくるぞ」



 その一報を聞いて、歓喜と悲哀の二つの色の声が混じる。



「ま、マジかよ旦那! ここは普通の奴らには入れない場所じゃなかったのかよ!」

「そうだ。だが、やってきたとなればそれ相応の奴らが来たという事だ」

「それ相応? ならば……白金騎士プラチラルか?」



 褐色の女性の言葉に、ボルボは「げえっ!」という大仰な反応を見せた。



 「まだ分からぬ。どれ、侵入者の面を拝ませてもらおうか」



 杖を構え、目を瞑りなにかの詠唱を告げるゴードン。すると、ゴードンの意識は地下道の中を駆け巡り、やがて一つの団体の姿を遠目に捉えた。



「見えた。どうやら、石碑の入口から入ってきたようじゃな。数は……四人。ほぅ、見知った顔がおるわ。一人は、冒険者ゲオルグ」

「ゲオルグだと!」



 その言葉を聞いた途端、ボルボは震えて声を張り上げ憤慨する。



「どうした? ゲオルグが嫌いなのか?」

「たりめぇだ! 奴は必ず俺の手で抹殺してやる! どんな手を使ってもな!」

「血気盛んでいい事じゃな。そしてもう一人は……新しい白金騎士じゃな」

「……やはり、か。ゴードン、私との契約を忘れてはいないだろうな?」

「分かっておる。そちらはお前に任せるとしよう」



 ゴードンは残りの二人を観察する。

 どちらも見た事がない顔。見た目年齢も若い事から、それほど戦いの経験がないように見えた。



(まぁ、大方ゲオルグと白金騎士の取り巻きと言ったところか。ゲオルグと白金騎士の二人をどうにかすれば何とでもなろう)



 そう、高をくくる。

 そのまま観察を続けていると、青髪の女がおもむろにローブから本を取り出す。そして、女が本に手を当てた瞬間、ゴードンの意識がそこに留まることが出来なくなり強制的に戻される。



「っ――!」



 強制的に戻された反動からか、ゴードンは軽い眩暈を起こしてしまう。

 なんとか頭を振って眩暈を振り払い、正常に戻す。



(なんだ今のは……まさか、気づかれた? いや、ありえん。意識体だけを飛ばした儂に感づくことなど)



 自分が魔法のコントロールを出来なかった。そう、結論づけるとゴードンは次の行動へと移す。



「奴らはこちらに向かって来ておる。場所を変えて迎え撃つぞ」

「おいおい、逃げないのかよ旦那?」

「何、案ずるな。こちらにも策というものがある。お前達にもひと働きしてもらう事になるぞ?」

「元よりそのつもりだ。だが、ゲオルグは俺がもらうぜ?」

「構わん。おい女、お前は王女を連れてついてこい」

「分かった。だが、少しロゼ様と話をさせてもらおうか」

「手短にしておけよ? 直ぐに侵入者がやってくるからな」



 ロゼを監禁していた部屋からボルボとゴードンの二人が出ていく。それを確認した後、女性はあろうことかロゼに対して片膝を折り、頭を下げる。



「ロゼ様、このような思いをさせて申し訳ありません。ですが、貴女の安全は約束します。どんな事があろうと、私が生きている限り守って見せます」

「貴女は他の二人とは違うのですね。このような状況下でも、貴女という方がいた事で私は取り乱さず冷静でいられました。感謝しています」

「勿体ないお言葉です……私のような罪人にそのような言葉」

「……私を逃がしてはくれませんか?」



 その問いかけに、褐色の女性は力なく首を横に振る。



「残念ですが。これは私の目的の為にも、ロゼ様が必要なのです」

「貴女の目的?」

「はい。白金騎士のエミリアという女性と一戦交える事。それが、私の目的です」



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