第15話 バージニアの王女編 15

 万が一の事態。それは必然的に最悪の事を想定される。

 敵によって王国に魔の手が忍び寄った時、王族達を逃がすための手段としてそれは造られる。

 城の真下に建設された地下道。それを通り、雑木林の石碑へと続く脱出ルート。

 あらゆる事態を想定されて作られた地下道には、敵軍に囲まれて地上への帰還が困難になっても、ある程度の日数をやり過ごすことのできる保存食も用意。そして、休息が取れる部屋も設置されている。最も、それは簡易的なもので、普段王族が使っている部屋とは比べ物にならないぐらい粗末なものだった。

 四方を頑丈な石壁に囲まれた小さな部屋。そこにあるのは人一人が寝れる寝台だけで、寝心地の方は石の床で寝るよりかは遥かにマシだろう。


 そんな部屋に、似つかわしくない女性が寝台に腰かけていた。

 淡緑色のした高級感溢れるドレスに身を包み、背中まで伸びた栗色の長髪が揺れる。その風貌を見ただけで、どれだけ高貴な女性なのかは一目瞭然であった。

 長い時間閉じ込められているせいか、そのドレスも髪も輝きを失っていた。しかし、瞳に宿るその揺るぎなき心は未だ輝きを失わない。

 その手は後ろ手に縄で縛られ、不自由な身を余儀なくされていた。


 彼女がここに囚われてから五日が経つ。

 突然現れた見知らぬ三人組に拘束されたものの、別段手荒な真似を受けてはいない。その証拠に、彼女の肌は一点の曇りなく白く美しい。



(うーん、参ったわね)



 ここから何度か脱出を試みた事はした。

 だが、身動きのとりづらいドレス姿では逃げることも叶わず、また、この部屋の入口の扉には必ず一人の監視役が存在していた。

 そんな彼女に残された方法と言えば。



(女神アルテアよ、どうかこのロゼをお助け下さい)



 祈りを捧げるしかなかった。

 手を縛られ、組むことができない為頭を下げ心で祈りを捧げる。



「何だぁ? 一国のお姫様ともあろうものが、お祈りでもしてるのか?」



 下品な声が聞こえる。

 耳障りな雑音は、部屋の入口から聞こえた。見れば、ニタニタと笑いながら扉越しに覗き窓から部屋の中を伺う男がいた。

 短髪に角ばった顔と、黒い顎髭を生やした人相の悪い男。それはウェイン達が追っているボルボであった。

 自分を攫った三人の内の一人であるボルボに対し、ロゼは鋭く睨みつけ顔をボルボから背けた。



「なんだぁ、その眼は! ちょっとは自分の立場を考えた方が良いぜ、姫さんよ」



 語気を強めて男は言う。だが、ロゼは語る口を持たないと言わんばかりに男を無視する。この反応には、ボルボも苛立ちを募らせた。



「良いぜ、テメェがその気ならこっちも考えがある」



 覗き窓から姿を消すと、ジャラジャラと金属が擦れる音が聞こえてくる。

 不意に、ガチャリと音が鳴る。ロゼは反らしていた顔を、入口の方に向けると、扉を開けて男が入ってきていた。

 ローブを脱いだその身体は、鍛え抜かれた上半身が露わになり、それを汚れた布で包み、黒に染まった脚衣を履いていた。男の身体の大きさは、ロゼよりも一回りは大きい。

 部屋に入ってきたボルボを警戒し、その身がたじろぐ。



「……何のつもりですか?」

「こちとら姫さんを傷つけるなとは言われてるが、逆に言えば傷つけなければ何しても良いってことだ」



 ボルボが笑う。

 その笑い方に見覚えがあった。

 女性を食い物と勘違いしている、そんな最低極まりない下品な笑い方だった。



「来ないで! 来たら、ただじゃすみませんよ!」



 寝台から咄嗟に立ち上がり、ボルボから逃れるように離れ、部屋の壁に背中を預ける。

 逃げ場など無い。それはロゼが一番良く知っていた。



「最近、こんな地下の生活ばかりで女に飢えてたんだよ。目の前にこんな上玉が居るんだ、手を付けない方が失礼だからなあ」



 舌をなめずりまわすその顔に、ロゼは恐怖と吐き気を覚える。

 だが、それは決して表には出さない。

 何故なら、少しでも弱みを見せれば相手が付け上がるだけだと知っているからだ。

 薄気味悪い声と共に、その蚯蚓のように太い指を持つ手が嫌らしく動きながら王女の身体に触れようとした寸前、動きがぴたりと止まった。

 石化したように、ボルボの身体はその場に固定される。

 何が起こったのか、ロゼは状況を見極めていると、ボルボの喉元に鈍い銀色に光る短刀の白刃が突きつけられていた。

 その刃を辿って出所を見ると、何時の間にかローブを纏った人間が男の背後に立っていた。



「その薄汚い手をロゼ様から離せ。指一本触れることは許さない」



 若い女性の声。音色のように響く綺麗な声色であった。



「べ、別にいいじゃねぇか、少しぐらい。こんな若くてきれいな女を放っておくなんてできねぇよ」

「もう一度言う。その汚い手を早くどけろ」



 女性の声には明確な殺意がこもっていた。

 ぐっ、と喉と白刃の距離が詰まる。女性の気迫に押されておそるおそる、ボルボはロゼから手を遠ざける。完全に手を離したのを見て、女性は短剣を下ろす。



「お、王女がダメならお前が俺の相手をしてくれても良いんだぜ? あ、アンタも美人なんだからよ。少しぐらい触らせてくれよ」



 げへへ、と笑いながら問うボルボ。その返答と言わんばかりに、フードの奥から氷のように冷たい視線が向けられ、ボルボは日和る。



「お前が私に触る事が出来る時は、私が死体になった時だけだ」



 そう告げた後、女性はゆっくりとロゼの下にやってくる。正面から女性を見ると、フードの下の素顔を垣間見る事が出来る。

 驚くことに、女性の髪は白髪だった。

 首元当たりまでの短い白髪に、褐色の肌。気の強そうな目に、その瞳は深い青さを宿していた。

 その容姿は何処か男性のような秀麗さも持ち合わせた美しさがあった。



「お怪我はありませんか? ロゼ様」



 先程ボルボに対して痛烈な言葉を発していた女性とは思えぬ優しい声色。その声はどんな相手でも一瞬にして心の壁を取り払う魔力が備わっているように思えた。

 未だにロゼ王女の身に危険が及ばないのは、この女性の存在あっての事だった。

 他の二人と違い、この女性はロゼの事を何かと気にかける。それはロゼ自身も感じていた。

 この女性が扉の前でこちらを見ている時は、監視というよりも護衛に近い印象を受けていた。



「ありがとう……良ければ、あなたの名前を聞かせてくれない?」



 ロゼは何度も彼女の名前を知りたがった。だが。



「……私は貴女を誘拐した者。ただそれだけの者です」



 何度聞いても答えは同じ。

 彼女がロゼに対して使う常套句であった。



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