第10話 バージニアの王女編 10
王国から帰ったウェイン一向は、その日を無事に過ごした。
夜が明け、ようやく世界が照らされようとする早朝の時間。周囲は不穏な霧の中に包まれていた。
未だウェイン達は寝静まっている。エルーニャだけは二階で寝ており、ウェインとケットシーは一階で寝息を立てて寝ていた。
ぴくり、とケットシーの耳が動く。すると、眠たい眼を擦りながらウェインの方へと近寄る。
「起きてください、ウェイン様」
耳元で囁き、起床を促すケットシー。
「うーん……ニーネ」
夢の中なのか、独り言をつぶやくウェイン。本来ならばケットシーも寝かせておきたいところではあるが、事はそうはいかないのであった。
「ウェイン様、この家に誰かが近づいてきますにゃ」
それを聞くや否や、ウェインの両目は開き、直ぐに上体を起こした。
先程まで寝言をほざいていたとは思えないほどしっかりとした顔つきになる。
「数は?」
「馬の蹄の音からおそらく一人ですにゃ。けど、金属の臭いが少々漂ってきていますにゃ」
「武装してると考えて良いという事?」
「それが妥当と思いますにゃ」
「分かった。とりあえず俺が出て対処するけど、念のため師匠を起こしてくれ」
壁に掛けてある服を手に取り、素早く着替える。腰に安物の剣を身に着けて外へ出ると、辺りはまだ暗闇に包まれていた。加えて霧がその視界の悪さに拍車をかける。
ウェイン達の家に辿り着くには一本道の坂の入口を上がってくる他ない。ウェインは耳を澄ませ、音を頼りに相手を待つ。
幾らか待った後、ケットシーの情報通り、馬の蹄の音が聞こえてくる。その音は真っすぐにウェインの方へ向かってきていた。
警戒を解かずその相手を待つ。
大きくなる蹄の音。その足音が早いリズムを立てて向かってくる。少しずつだが見えてくる相手の姿。そして、視認できるほどに近づいてきた時、向こうもウェインを視覚で捉えたのか、馬を落ち着かせた後、下馬する。
現れたのは銀色の甲冑に身を纏った人間。腰には剣を備え、頭の先から足の先まで鎧で身を固めている為、その顔を窺い知る事は出来なかった。
その甲冑は少なくともバージニア王国騎士が使用しているものとは違うため、一般の装備品として売られているものと分かる。
ウェインは自身の『危機回避』能力によって、相手がこちらに対して危害を加える気はないと確認する。
「こんな場所に何の用だ。迷子になったなんて言い訳はしてくれるなよ」
朝早くに現れた不審者に対し、ウェインはその理由を問う。
「私は『青の風』に仕える隊員の一人。ハワード様の命によりここへ参った」
「ロイの命令で?」
「失礼だが、貴方はウェイン・ルーザーであられるか?」
「そうだ。それがどうした?」
甲冑の人間は目の前に居るウェインを見つめた後、頻りに頷く。
「ハワード様のおっしゃっていた風貌と瓜二つ。間違いではなさそうだな。では、これを受け取られよ」
甲冑の人間は丸められた羊皮紙を持ってウェインに手渡す。
「確かに渡したぞ。それと、その手紙は直ぐに確認をしてもらいたい」
「何故?」
「火急の用事である、とハワード様の申しつけだ。内容については私も確認はしていないので質問は受けられない」
甲冑の人間は伝え終えると再び馬に跨り、その腹を蹴って元来た道を駆けだしていく。その姿は霧の奥へと消えていった。
「なんだ? 終わったのか?」
背後からの声に振り向くと、そこにはエルーニャの姿があった。
その髪は乱れ、のんびり歩きながら欠伸をする。
「随分と呑気だな師匠。敵が来たかもしれなかったのに」
「お前に任せているからな。それで、倒したのか?」
「実は――――」
ウェインは先程起こった事のあらましをエルーニャに伝える。
「なるほど。それがその手紙か? 見てみろ」
ウェインは丸められた羊皮紙を広げ、中を確認する。
羊皮紙にはお世辞にも綺麗とは言えない文字が綴られていた。
その手紙の内容を確認するウェイン。
「内容は何て書いている」
「えっと……『先日会えて嬉しかった。急な申し出だけど、今日また会えないか? 二人が知りたがっていた事について知らせたい事がある。本日の陽が一番高い時間に、昨日の場所で待っている』らしい」
「昨日あれだけ言っておいて、どういう風の吹き回しだ」
「でも、教えてくれるなら良い事じゃない?」
「どうだかな。正直、私はその手紙を疑わしいものと考えている」
「何故?」
「手紙に内容を記していないところがだ。甘言を用いて私達を誘い出し、何か罠にかけようとしているのではないか?」
「ロイが? まさか、ロイに限ってあり得ないよ」
「随分と信頼しているんだな? お前は」
「長い付きあいだからね。それで、どうするの?」
「折角のお誘いだ、受けてやろうではないか」
♦♦♦
支度を整えた二人は王国へとやってきた。たどり着いた時には太陽は昇り、世界を照らしていた。活気づく街。祭りの準備も追い込みにかかっている。
喧騒に満ちた大通りを二人は肩を並べて歩いていた。
「どうする師匠? まだ時間があるけど」
「少し寄りたいところがある。ついてこい」
エルーニャが率先して歩き、その後ろをウェインはついていく。辿り着いた先は剣のデザインが記されている看板が飾られた店の前であった。
鉄で出来た重厚な入口の扉を押して中へ入った。
二人を出迎えたのは大量の武器と防具。壁に立て掛けられる剣、槍、斧。それが林のように立ち並ぶ。
鎧に兜という防具品も、人を模した人形に装備させて見映えを見せていた。正面にカウンターが設置されており、店主と思わしき白髭を貯えた樽のような寸胴な男が男性客と話をしていた。
男性客は白ひげの店主から武器を授かり、上機嫌で帰っていった。
「おう、いらっしゃい。なんだ、お前さんか」
白ひげの店主はエルーニャを見て、やれやれといった様子。
「相変わらず私は好かんか?」
「悪く思わんでくれ。これはドワーフ特有の病気みたいなものだからな」
「師匠、この人はドワーフ族で?」
「ああ。腕は一級品で確かだが、ドワーフ族はエルフを毛嫌いしているからな」
「ああ、それで師匠の事を毛嫌い……って、師匠は全然エルフじゃないだろ」
「儂も最初はそう思っていたんだが、ひょんなことからハーフエルフと知ってしまったからな。こればっかりはどうにもならん」
むう、と丸太のような腕を組み、眉を吊り上げて店主はエルーニャを見る。
「そんな事より、店主。あれは出来ているのか?」
「おお、出来てるぞ」
店主は店の奥にある扉へと向かって出ていき、しばらくすると帰ってきた。
その手には赤い鞘に収まった一振りの剣を手にして。
持ってきた剣を店主はカウンターの台に乗せる。そして、その剣をエルーニャは手にして鞘から抜き放つ。
白銀の剣身。磨き抜かれた鏡面のように透き通る美しさを持つ。両刃の刃には一切の刃毀れすらなく、触れただけで切れてしまいそうなほど見事なものだった。
あまりに見事な輝きを放つ剣を見たウェインは、思わず固唾を飲む。
(……あれ?)
ウェインは刀身に薄っすらと文字が彫られているのを見つける。そこに記された文字は、ウェインの知識では理解できない物であった。
「見事なものだな。流石は王国一を自負するだけの鍛冶屋だ」
「当たり前だ。と、言いたいところだが、儂がしたのはあくまで鞘の錆を落としただけだ。中の剣の方は新品同様のままだったわい」
「だろうな」
剣を見るエルーニャの表情はどこか思い出に浸るように遠い目をしていた。
素早く鞘に剣を納めると、エルーニャはそのまま剣を受け取った。
「師匠、その剣は?」
「私の持ち物だ。長年使っていなかった為、埃と錆にまみれていたからここで研磨してもらった次第だ」
「へぇ……まぁ、師匠は剣も扱えるからな」
「これは私が使うのではない」
エルーニャはその剣を、ウェインに向けて差し出す。
「お前が使うんだ」
は? と、間の抜けた声がウェインの口から漏れる。
「な、何言ってるんだよ師匠! そんなの受け取れないぜ!」
「そうだな。だが、お前が持つに相応しい」
「けど……」
「師からの贈り物を受け取れないのか?」
そこまで言われてしまうと、流石のウェインも受け取るしかなかった。
震える両手でそれをしっかり受け取ると、その軽さに驚いた。
見た目に反して、羽のように軽い剣の重量。思わず鞘からそれを引き出す。
先程まで見た白銀の剣身は、間近で見ると自身の顔が鮮明に映りこむほどの磨きが掛かっていた。
「あのさ師匠、これ一体幾らぐらいしたんだ?」
「知らん。それは貰いものだ」
「ええ! 貰い物だったのかよ!」
「理由ありでな。言っておくが、それ以外の剣を買う気は無いぞ。大事に扱え」
「なんか美味い話だと思ったら、そういう事かよ。まぁ、そういう事なら心置きなく使わせてもらうぜ師匠」
「それでいい。使われてこその道具だからな。先にお前は店の外で待っていろ、私は店主と話がある」
「はいはい、了解です」
剣を鞘に入れた後、腰に備えて店の外へとウェインは出ていった。
入口の扉がバタンと音を立てて閉まる。それを確認した後、エルーニャは店主に目配せをする。
「さて、と。私に何か聞きたい事があるんじゃないかと思ってね」
「察しておったか。なら、話は早い。あの剣……何処で手に入れた?」
「言っただろ。貰い物だと」
「にわかに信じがたい。あれだけの物を、易々と手放す者がいるのか?」
「ほぅ、あれの価値が分かるのか」
「伊達にこの道80年もしておらんわ。一見何の変哲もない剣に見えるが、あの剣の形状、刃の厚み、細部の造り。どれをとっても一級品。極めつけは使い込まれている筈なのに、その刃は今しがた出来上がったような美しさを保っておる。人間はおろか、ドワーフのなかでもあんな物を仕上げられる者がおるとは信じられん……あれはもしや『魔装』の類いではないのか?」
「想像に任せるさ。代金の支払いは幾らだ」
「必要ない。あれだけの物を生きているうちにお目にかかれたという事が料金の代わりとして受けよう」
「そうか、それは助かる」
店主に背を向け、店の外に出ようとしたエルーニャ。
「最後に一つ聞かせてくれ。何故、価値の分からぬあんな若造にあれを託した?」
「不満か?」
「勿体ないであろう。あれを預けるに相応しい者とは思えん」
「相応しいさ。むしろ、他にいないぐらいにな」
「どういう意味じゃ?」
その問いにエルーニャが答えることはなく、店を出た。
入口を出ると、直ぐ横でウェインがエルーニャを待っていた。手持ち無沙汰でやる事も無かったウェインは、街中を行き交う人の流れを眺めていた。
おい、と一言エルーニャが声をかけると、ウェインは直ぐに視線をエルーニャの方へと向き直る。
「あれ? もう終わったのか師匠」
「ああ。代金の事で揉めていただけだからな」
「師匠らしい。それで、これから何処に行く?」
「昨日の店にでも行くか。あそこならば腹も膨れて時間も潰せるだろうからな」
エルーニャの提案に対し、ウェインは賛成するように頷く。
次の目的地が決まったウェイン達は、昨日と同じように小路を通って店の前へとやってくる。
相も変わらず店内に客がいないのか、静けさを保っていた。
入口の扉に手を掛け、中へと入る。
ギィ、と建付けの悪い扉の音が店内に響く。二人が店内を見渡すと、そこには一人の先客が存在した。
「……あ」
ウェインから言葉が漏れる。
驚きと、呆気。それら二つが混じったものであった。
そこに居たのは女性であった。
シルクのように艶やかで優雅なブロンドの長髪。女性の色香が溢れた息を呑む美しい容姿の女性。
その姿はバージニア王国の騎士である服に身を包まれている。
忘れもしなかった。
それは昨日、ハワードの屋敷で見た女性騎士であった。
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