第7話 バージニアの王女編 7

 エルーニャに促され、ウェインは渋々その場所へと向かう。

 向かった先はバージニア王国内で、ある意味最も有名な場所であった。

 やってきたのは驚くことに『無法区画』であった。

 ウェインがエルーニャの弟子になって二年の間、一度として踏み入れていないこの地に、再びウェインは足を踏み入れた。


 無法区画はウェインが去った二年前と何ら変わりは無かった。

 他の区画が時の流れと共に繁栄していく一方、この区画だけはそんな時間の流れから置き去りにされたように昔と変わらない。

 そこかしこで腐敗臭と、すえた臭いが立ち込める劣悪な環境。

 壁や屋根が剥がれ、辛うじて家と呼べるような小さな木造の家屋。

 金が無く、身なりを整える事もままならない民衆が道に溢れる。

 人の捨てた物で使える物を漁る乞食や、行く宛てもなくそこらを徘徊する浮浪者などが目立つ。

 王国のあらゆる負の部分を凝縮したような場所であった。


 無法区画に関してはウェインの方がよく知っている為、先導して歩く。その後ろをエルーニャが付いていく。

 ウェイン達は、他の者と全く違う身なりなので、当然目立つ格好であった。

 そこら中からジロジロと羨望と妬みの視線がウェイン達に注がれる。



「アテがあると聞いてやってきたが、本当に情報はあるんだろうな?」


 

 疑問を呈すエルーニャ。こんな掃き溜めのような場所にあるとは、エルーニャには到底信じられなかった。



「師匠の言いたい事は良くわかる。けど、情報と聞いたらアイツ以外には思い浮かばなかったんだよ」

「それはどういう人物だ」

「昔、この区画に居た頃の知り合いだよ。この場所にいる人間というのは、目先の事だけで精一杯で、その日の飯すら厳しい状況。そんな中、そいつだけは美味い飯の種の方が重要だって何時も言ってたよ。昔は何言ってるんだ、って思ってたけど」

「変わった奴だな」

「師匠がそれを言うの?」

「私は何も変わってないが?」

「いや、十分変わってると思うよ。それで、そいつは色んな試行錯誤を繰り返して、何人かの組織を立ち上げて、情報を集める仕組みを作り上げた……らしい」

「らしい、というのはどういう事だ?」

「その組織が出来上がる前に、俺は師匠と出会ってしまったわけ。だから、どうなっているのかは全然分からない。生きてるとは思うんだけど」



 ウェインとエルーニャが話をしながら無法区画の奥へと進んでいく。

 二人の前から白髪の痩せた老人がウェイン達に向かって歩いてくる。

 ボロボロの小汚い色あせた服を纏い、右に左にと、おぼつかない足取りで真っすぐ歩けずにいた。

 まず、前を先導して歩くウェインとすれ違う。

 その瞬間。



「やめとけよ。アンタの命が無くなるぜ」



 ウェインが小声でつぶやく。それは老人とすれ違いざまに放った言葉で、独り言のようにも聞こえた。

 老人はそのままウェインの横を通りすぎ、後方を追いて歩いていたエルーニャへと近づく。

 ウェインの時と同様、老人はそのままエルーニャともすれ違うと思いきや、突然バランスを崩す。そのまま、エルーニャに寄りかかる恰好で肩をぶつけてしまう。



「おお、これはすまない」



 老人が申し訳なさそうにエルーニャに謝まる。そして、何事もなく老人は去ろうとしたが、何かに引っ張られるようにしてその場から離れられなかった。

 何故か? それは、老人の手がエルーニャのローブの中にある本に手を掛けており、その手をエルーニャが掴んでいたからだ。

 老人は驚き、その手を振りほどこうとする。だが、老人を掴むその手はビクともしない。それは、か弱い女性の力とは思えぬものであった。



「随分と躾のなってない犬だな。いや、野良犬だから躾も何もないか」



 エルーニャの手に力が籠る。老人の手がミシミシと締め上げられ、表情が痛みで歪み始める。



「わ、悪かった! もう盗みはしない! だから、手を離してくれ!」



 この通り、とエルーニャに頭を下げる老人。



「そうか。それでは、手を離してやろう」



 頭を下げた状態で老人はほくそ笑む。

 その性根は完全に腐っていた。エルーニャが手を離せばそのまま逃げて違う獲物を狙う算段を企てていた。



「ありがとう、心優しき女性よ」



 顔を上げた時にはその表情は一変していた。エルーニャをまるで神のように崇める老人。当然、それら全てが嘘で塗り固めた見かけだけの仕草。

 エルーニャは慈母のような優しい笑みを老人に見せる。



「ああ。ただし、条件付きだがな」



 ボキン、と嫌な音がハッキリと聞こえる。

 エルーニャが掴んでいた老人の指は、あらぬ方向に向いていた。それを見た老人は一瞬にして顔が凍り付き、大きな悲鳴が木霊する。



「ぎゃあああ! ワシの指がぁあ!」

「その程度で済んだだけありがたく思え。本来ならばその両腕をへし折る所だったのだからな」



 エルーニャにへし折られた指の激痛に耐えながら、老人はその場から去っていく。

 これで一件落着かに思えたが、先程の悲鳴を嗅ぎつけた他の住民がどこからかワラワラと湧いて出てくる。それらはエルーニャ達を取り囲む。

 その数は十人以上。逃げ場を失ったエルーニャとウェインは背中を預け合って目の前に居る住民と対峙する。



「やれやれ、大事おおごとになったな」

「師匠があんな事をするからだろ」

「元はと言えばあの盗人のせいなんだが? こうなってしまうと平穏無事に解決とはいかないだろうな」

「おいおい、師匠もしかして一戦交える気なのか?」

「なんだ? 私を心配しているのか」

「いや、そうじゃなくて……」



 ウェインには視えていた。

 取り囲む住民達全員に、黒い靄がかかっている事。それはつまり、ここで一戦交えた場合、被害者となるのは相手のほうだという事に。



「師匠が以前使った『深き眠りの森に誘う唄スリープルミスト』を使うのは? あれなら人的被害は最小で済むはずだろ?」

「断る」

「断るって、何で?」

「ここの奴らは目上の者に対しての礼儀というものを知らないようだからな。それを今から教えてやろう」

「師匠、よせ!」



 取り囲む住民が互いに頷き合い、合図を送る。そして、住民が一斉にウェイン達に襲い掛かろうとした時だった。



「やめろ! その客人に手を出すな!」



 若い男の声が、その場を稲妻の如く切り裂いた。


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