冒険者ギルド編 3
白いベッドに横たわる目を瞑った若い女性。
薄赤色の長髪に、息を呑むような美形。無防備な白い裸体を黒の薄い夜着が包む。その対比は見る者にとっては、あまりにも刺激の強い色気を放つ姿であった。
彼女の一日は、まだ日も昇らぬ深い闇に覆われた時間から、一日が始まる。
窓から聞こえる鶏の鳴き声。それを合図に、女性の目が微かに開く。
次に行ったのは、枕元に置いてある細工の施された貝を彷彿させる丸い細工物を手に取る。その上部分に値する場所に手をかけ、持ち上げる。そこには一から十二の数字が円を描くように配置され、中心には短い矢印と長い矢印が付いていた。その矢印が数字を指していた。
これは、バージニア王国の魔法学園が昔に作り上げた一日の時間を示す魔法時計であり、これを頼りに王国の人間は一日を過ごしている。
女性は魔法時計の示した時間を見て、重い瞼を何とか起こしてベッドから這い出た。
水で顔を洗い、髪を整えた後に彼女は部屋にある衣装棚から服を取り出す。皺ひとつない綺麗なグレー色のチュニック。それに着替え、魔法時計と入口近くに置いてある持ち運び可能なランプを手に取る。中に入っている蝋燭に火を灯し、外へと出ていく。
家の外に出ると、夜と何ら変わらない闇に染まった光景が広がっていた。
手にしたランプを頼りに、女性は小走りをする。
彼女の家はバージニア王国の南に位置する大通りにある。入口と、城の丁度挟まれた中間に位置する場所に彼女の家がある。
小走りをして大通りを横切って数分と経たぬうちに、彼女の足はある建物の前で止まる。
目の前にあるのは見上げるほど大きな高い建物であり、その入口付近には有名なゼファーの銅像が置いてある。そう、ここは冒険者ギルドの建物であった。
百年以上の歴史を誇る冒険者ギルドの建物は、老朽化を機に、ここ最近新しく生まれ変わっており、その外見は他の建物と比べて明らかに真新しい。
冒険者ギルドに在籍する冒険者の数は膨大。その全てを収容することは出来なくとも、その数に見合うだけの広さを持つ二階建ての建物であった。
彼女はギルドの建物の入口からではなく、裏手に回る。そして、そこには壁に何かの文字が刻まれていた。女性はそこに手を当てる。
「――ギルド職員、アイナ・メイスフィールドです」
それを口にすると、壁の文字が淡く青白い輝きを放ち、目の前にある壁は消え、扉が現れた。
ドアノブに手を掛け、建物の中へと入っていく。
視界に飛び込んできたのは、別世界の光景であった。
未だに外は暗闇に染まるというのに、このギルドの建物の中は昼のような明るさを保持していた。
その原理は建物を建設する時に施された魔法の一種で、周囲の明るさに合わせてその光量を調節するというもの。冒険者ギルドは建て替えの際、魔法学園の知識とドワーフ達の技術者の技術の粋を結集させて作り上げたもので、建物の強度は城壁並みで、そこかしこに魔法の仕掛けが施されている。
ロビーでは、同じ服を着た職員があわただしく動き回る姿があった。そんな彼らを素通りし、奥へと消えていく。
奥の扉を開けた部屋には、膨大な数の衣装棚が並ぶ部屋があった。衣装棚一つの大きさは人一人が入れる程度の横幅と、高さがある細く縦長。それらが規則的にズラリと並ぶ光景は壮観でもあった。それぞれ名前札がついてあり、アイナも自身の札がついてある衣装棚の前に向かう。自分の名前札のついてある棚の隣で、毛先が波打つように巻いた髪を持つ金髪の女性が着替えていた。
金髪の女性はアイナを見て、爽やかな笑顔と共に、小さく手を挙げた。
「おいーっす、アイ。お早うっす」
「お早うカリン。今来た所?」
「そうっす。さっき他の子に聞いたけど、結構依頼来てるらしいから、今日の仕分け大変らしいっすよ」
それを聞いたアイナは「うわっ」っと小さな悲鳴を上げた。
「最近さ、依頼多くない? 気のせいかなカリン」
「気のせいじゃないっす。うちも『イグタス』方面の依頼の仕分け、管理をやってるけど、明らかに増えてるっす。特に、怪物や魔物関連が」
「やっぱりそうなんだ……何か怖いわね」
世間話をしながら二人は衣装棚の中に入っている服を取り出し、それに着替える。
衣装棚に入っている服は、白を基調とした固い着崩れしない制服。胸に小さな衣嚢がついており、そこにはギルドのエンブレムである鷲のマークが入っている。
それは冒険者ギルド職員だけが着用をゆるされる制服である。白色は清潔、清廉をイメージし、ギルドは何者にも従わない。何色にも染まらないという事を意味して白を基調とした服装になっている。
その意味を、アイナは知っている。
この仕事を続けて三年。ギルドで働く職員の中では経歴は浅い方。しかし、その仕事ぶりと愛嬌の良さ、真面目さが評価されて今では受付の教育係にも抜擢されるほど出世をしている。
そして、この制服に袖を通すことを以前は誇りに思っていた。
制服に袖を通したアイナは自身の身なりを、部屋に置いてある姿見を見て確認する。自身の姿に不備が無い事を確認していると、鏡に映るギルドのエンブレムに目がいく。それを見て、アイナの目は僅かに曇る。
「アイ? どうしたっす?」
背後からのカリンの声に驚き、アイナは僅かに体を震わせた。そして「何でもない」とアイナは言う。
「そうっす? うちも準備できたっすから早く行こうっす。きっと、エルザ管理官も首を長くして待ってるはずですっす」
「あ、待ってよカリン!」
パタパタと足音を立てて部屋の入口へ向かうカリン。その後ろから一緒についていくアイナ。
二人は部屋から出ると、そこにはやはり同じ服を着た大勢の職員が動き回り、怒声に近い大声が飛び交う。
ギルドで一番の忙しい時間帯と言えば、この朝になる。前日の夜に受け取った依頼の羊皮紙を地域、必要ランク、報酬などの様々なチェックを行い、細かく分けていく。空が明るくなるころには冒険者たちが依頼を求めてこのギルドへとやってくる。それまでに、抱えている大量の依頼を仕分けしなければならない。
カリンはアイナと別れてどこかへと消えていく。アイナはギルドの入口の方へと向かって歩いていくと『ギルド関係者以外立ち入り禁止』と書かれた扉の部屋へと入っていく。
扉を開けると同時に聞こえてくる悲鳴に近い声。外も忙しいが、部屋の中だけあってその熱量が伝わってくる。長机の上に並べられた仕分けの箱に、いくつもの書類が入っており、それを十人以上で分けていた。皆、机の前で一心不乱に目の前にある羊皮紙の束と睨めっこしながら分けていた。
その中で一人、黙々と冷静に手早く分ける女性がいた。
しなやかな白髪を後ろで束ねて巻いており、その姿勢からは気品さが溢れていた。聡明な顔立ちに加え、眉と目には鋭さが備わっており、どこか近寄りがたい。極めつけは、その耳が尖っていたことだった。
そんな女性の隣にアイナは座る。
「お早うございます、エルザ管理官」
愛想を目一杯浮かべた顔をエルザに向けるアイナ。エルザは「おはよう」と、アイナに見向きもせず、返事をする。エルザの素っ気ない返事は何時もの事なのでアイナは気にしない。
目の前に置かれた書類を、アイナは素早く目を通して仕分けをしていく。その手つきは慣れたもので、他の職員とは明らかに速さが違っていた。その手際の良さに、思わず見惚れ、動きの止まる職員もいたが。
「随分と手が止まっていますが、何をしているんですか?」
鋭い視線と共に、エルザの激が飛ぶ。それを聞けばどんな職員でも、逃げるようにして動きだす。
目の前にあった山積みの書類は、アイナが座ってから三十分と経たずしてあっという間に無くなってしまう。
「では、エルザ管理官、私は受付の方へ回ります」
「ええ、お願いします」
ここでもエルザの視線は書類の方に向いたまま。見てもいないエルザに向かって、一度深々と礼をして部屋を出ていくアイナ。
アイナが書類の整理を終えて、建物の窓からは陽が昇り始めていた。もうじき、ギルドを開く時間が迫っている。ここまでくると、大分落ち着いて建物のロビーに響く声は大分静かになっていた。
ようやく、ここでアイナは本来の職務に戻る。
ロビーの前には幾つものカウンターが設置されており、それぞれにギルド職員が椅子に座って、冒険者達を迎える準備をしていた。
担当は各々違うが、アイナの担当は冒険者の希望に沿った内容の依頼を紹介するというもの。入口から入ってきた冒険者から見れば、どの内容の担当をしているか、仕切りで区切られているように見える。だが、職員側からはスムーズに移動できるように仕切りは見かけだけである。
自分の担当の椅子にアイナが座ると、隣には着替える時に会ったカリンが横に居た。
「あれ? カリンどうしたの今日は『
「そうなのっす。どうも、担当の方が休んでしまった為に私がこっちにまわされてしまったっす」
「あら、それはお気の毒」
うう、と悲しそうな表情をするカリン。その理由は、ここがバージニアの領土である以上、その依頼内容の大半がバージニアである為。つまり、カリンが今まで担当しているイグタスとは比べ物にならないぐらい大変だということだ。
そうこうしているうちに、窓から差し込む朝の光。そして、外から甲高い教会の音が一度鳴り響く。
「さ、仕事が始まるわよカリン」
「はーいっす」
正面の大きなギルドの玄関が開放される。すると、同時に堰き止められていた水のように大量の冒険者がなだれ込んでくる。その様相を見て、カリンの顔が一瞬引きつるが、そこはプロ。満面の笑顔を持って迎え入れる。
その日は何時になく忙しい日になっていた。
早朝から冒険者がやってくるのは日常茶飯事。だが、ここ最近の依頼の多さが影響してか、遠く離れた腕の立つ人間も飯のタネにありつこうとやってきている。
幸か不幸か。
依頼を出すということは、苦しんでいる者がいる。しかし、依頼を生業とする冒険者にとっては嬉しい事。
ロビーは冒険者でごった返し、その対応に誰もが四苦八苦していた。彼等職員には休む暇すら与えられず、気づけば昼の休憩を告げる鐘が外から響く。
鐘の音が鳴った頃に、ようやく冒険者達の数も目に見えて減り始めていた。そこで誰にも悟られないよう、アイナは小さく息を吐く。
「うえええっす、やっと、やっとひと段落ついたっす」
隣のカリンは普段とは全く違う数の冒険者を相手にしたためか、目の前のカウンターに腕を投げ出して倒れこむ。
「カリン、まだ仕事中よ」
「もう無理っす、休ませてほしいっす」
「はぁ……しょうがないわね。とりあえず私が担当しておくから、休憩してきていいわよ」
それを聞くや否や、ガバッと起き上がり、カウンターの上に『休憩中』の札を置くと、脱兎の如く職場から離れていくカリン。それを見たアイナは、少し後悔をする羽目になっていた。
話相手もいなくなり、アイナはふとロビーのコルクボードに貼られてある羊皮紙に目を通す。それは最早彼女にとって職業病のようなもので、暇があればどのような依頼があるのかをチェックする。
大抵、依頼の受注はギルド職員との話し合いによって決まるが、このコルクボードに貼られているものは、初心者向けの簡単なものである。初心者が受けられる依頼など、僅かしかなく、話し合いの必要もないため、このボードに貼られている依頼を手にして経験を積むというのが通例である。
何気なく目を通していた中で、一枚の羊皮紙の依頼に手が止まる。
「これ……!」
見覚えがあった。
その依頼内容に目を通すと、アイナの顔が強張っていく。
「どうかしましたか、アイナさん」
後ろから声を掛けられ、振り返るとそこにはエルザ管理官の姿。
「エルザ管理官。この依頼……覚えてますか?」
コルクボードに貼られている依頼を指さすアイナ。鋭い視線で、それをまじまじと見つめるエルザ。
「ええ、覚えてます。これが何か?」
「何か? では、無いと思います。何故『これ』がこの中に入っているんですか」
「依頼だからでしょう。それ以上でも以下でもありません」
「エルザ管理官! これはここにあるべきものではない筈です。一刻も早く――」
「アイナさん!」
強い口調でエルザはアイナの語りを制止する。それはまるで魔法でもかかっているように、アイナも口を塞ぐしかなかった。
「アイナさん、この依頼内容に目を通しましたか?」
「……はい。ゴブリンの巣窟を討伐する内容です。報酬は三千オーラル」
「そうです。これはゴブリンの討伐で、報酬は三千オーラル。これをこなせる冒険者は駆け出しの冒険者。違いありませんね?」
「ですが!」
「これは、ギルドの
何か言い足りなさそうな表情をするアイナだが、これ以上言っても無駄だという事は理解していた。ただ、小さくうなだれて、はい、としか言えなかった。
よろしい、と一言告げてエルザはその場から去っていく。そして、エルザは名の知れた冒険者を見て媚びへつらい、談笑を交わしていた。
その光景がたまらなく歯がゆかった。一度、依頼の羊皮紙に目を向けた後、肩を落として受付の方へと戻る。
さっきまでの元気は薄れ、ただ俯いていた時。
「あー、すまない。ここがギルドの受付になるのかな?」
目の前に現れたのは男と女の二人組。
話しかけてきたのは女性だった。その容姿の美しさに一瞬、目はおろか、心すら奪われるほどだった。
優雅に蒼い長髪を靡かせ、整った目鼻は造形の域。容姿端麗という言葉はこの女性にこそ相応しい。長身で、その身を純白のローブで纏っていた。
見た目、自身と同じぐらいの年齢だというのに、その肌には皺ひとつない。どのような手入れをすれば、この女性のような玉の肌を手に入れられるのだろうか?
その女性の背後には背丈の低い男性。上は赤いゆったりとした生地の服を纏い、その上に黒いベスト。下は同色の下衣を身に着けていた。何処か落ち着かない様子で、ギルドの中をキョロキョロと見渡していた。こちらは一目見ると、ただの目つきの悪そうな子供にも見えるが、服の上から見える筋肉の付き方は、普通の男性で無い事が分かる。
「うん? どうした? ここが受付ではないのか?」
「えっ? あ、はい! 受付で間違いありません!」
「そうか。では、冒険者登録をしたい」
「冒険者登録ということは、こちらを利用するのは初めてですか?」
「私は違うが、後ろに居る弟子はそうだ」
「……弟子?」
小首をかしげるアイナ。
「名前はウェインという。まぁ、この私が育てた弟子だからな。そこらの冒険者など相手にならんぐらい腕がたつぞ」
「は……はぁ」
一瞬でアイナは悟る「あ、これ、面倒くさい人だ」と。
早い所仕事を済ませようと、カウンターの下から羊皮紙を一枚取り出す。
「では、こちらの方にご署名を。何かアピールできる部分がありましたら、ご記載いただけると、ギルド加入時の位に多少箔がつく事があります」
「分かった。おい、弟子。ここに記入しろ」
背後に居た男性が、だるそうな返事をしてやってくる。差し出された羊皮紙に、筆で記載をしていく。その署名自体はものの数分で終わり、それを受け取るアイナ。
「はい、これで登録完了です。今日からあなたは冒険者となりました」
職員のアイナは二人に向かってそう告げる。だが、目の前の二人は顔を見合わせ、何か話し始めた。そして、アイナの方に振り向くと、女性が口火を切る。
「え、これで終わりなのか? ほら、冒険者になるには幾らかの試験とその証明の発行がされるのではないのか?」
「それは昔の規定ですね。今は冒険者の数も非常に多くなりまして、こちらとしても一人一人管理してその証明と言うのを人数分用意するのは非常に金銭的にもかかりますので、こちらの羊皮紙を保管管理するだけとなっております」
「昔とは随分変わったのだな……」
「まぁ、いいんじゃないのか師匠。こうして簡単に冒険者になれたんだから」
「そうだな。では、依頼を早速受けたいのだが……」
「申し訳ありません。冒険者に成ったばかりの方には制限がかかっておりまして、受けられる依頼はあちらのボードに貼られている依頼だけとなっております」
コルクボードのある方向に手を向けて、あちらへどうぞと誘うアイナ。しかし、目の前の女性はふふ、と何か含みのある笑いを浮かべる。
「実は、私はこういう者でね……」
ローブの下から取り出したものを、女性はカウンターの台の上に置く。
それは見事な彫刻が記された銀製の鷲のペンダントだった。
「これ……」
「分かるか? そう、ギルドでも最高位に位置する冒険者しか手にする事が出来ない『銀翼鷲のペンダント』だ。何を隠そう、この私はあの有名な――――」
「これ、何ですか? 見事なペンダントみたいですけど?」
格好よく名乗りを上げていた女性は、アイナの一言にガクッと肩が崩れる。
「な、何ですかだと……! 銀翼鷲のペンダントだ! これはギルド屈指の実力者しか手にする事の出来ぬ、いわば唯一無二の証明なはずだ!」
頭に血が上っているのか、カウンターの台を強く叩く女性。そんな女性に対して、背後にいる男性が宥める様子。
「まぁ、何となくそういう気はしてたぜ師匠。流石に二百年も前の物が今でも通じるとは思っていなかったよ」
「な……! お前は分かっていて黙っていたのか!」
「どうせ分かる事だし。それに、憶測で言うべきではないと思ってたからな」
「な、ならば! エルーニャ、エルーニャ・ウィンタリー! この名前に聞き覚えはあるだろう? な?」
女性の焦りに満ちたその表情からは藁にも縋るような思いである事はアイナにも伝わっていた。しかし、現実というのは残酷なものだ。
「すみません、どのような方かご存じありません」
傷つけぬよう、アイナはやんわりと言ったのだが、エルーニャは酷くショックを受けたらしく、そのままぐらりと態勢を崩したかと思うとその場に倒れてしまった。
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