第2章  冒険者ギルド編

冒険者ギルド編 1

 山中の険しい斜面、大小の起伏が存在する歩行が困難な山道。障害のようにそこかしこに生い茂る雑木林。周囲を見渡せば、目印になりそうなものが何もなく、全て同じ風景にしか見えない。加えて、今日の天候は灰色に覆われ、日の光も期待できない。そんな獣ぐらいしか生息できそうにない山で、颯爽と動く人影が一つあった。

 その人影は背に籠を持ち、大量の山菜と茸を運んでいた。そんな荷物を抱えているのに、斜面をものともしない軽やかな足取り。まるで、彼の行く先だけ整備された道があるかのように。雑木林の障害をものともせず、間隙を縫いながら素早く山を駆け下りていく。その途中の出来事であった。


 影は真っすぐ走っていたのに、突然大きく横にステップを踏む。傍から見れば影は足を滑らせたようにしか見えなかった。だが、それと同時に木の陰から鹿が飛び出してくる。完全に木の陰に隠れてしまっており、その姿は視認できなかった。だが、影はまるで動きでその鹿を避ける。それと同時に、腰に携えた大振りの鉈を片手で持ち、鹿の首めがけて鋭く振りぬいた。

 致命の一撃。その証拠として、鹿の首は分断されて地に落ちる。だが、その影の一撃はあまりに鮮やかなものだったせいか、残った胴は死んだことに気づかず直立したままそこに居た。影はその足を止め、残った胴に指で押してやる。そこでようやく、気づいたようにグラリと崩れて倒れこんだ。

 影の正体は少年……そう、ウェインであった。

 二年の月日を経て、多少背丈も伸びたが、そこまでの変化はない。だが、顔つきは幼さがとれ、体つきもガッシリと筋肉が付いてきており二年前とは比較にならない程男らしさが出ていた。

 倒した鹿に近づくと、あー、と溜息にも似た声が漏れた。



「参ったな、子供だったか。あまり子供は殺生したくなかったな。まぁ、仕方ない。こうなった以上、頂くか」



 倒した小鹿に一度手を合わせ、その鹿を脇に抱えてウェインは再び走り出した。子供の鹿とはいえ、その重量は籠に積んでいる山菜や茸の類とは桁が違う重さ。だというのに、ウェインは顔色一つ変える事無く山を下っていく。

 山を下りてからもその足色は衰えない。それに加えて息一つ乱すことがない。

 しばらく走り続けた後、開けた場所へと出る。そこは、ウェイン達の住む家がある場所であった。家の外で薪を割るケットシーと、その横に切り株を椅子代わりにして本を読んでいるエルーニャの姿があった。



「ただいまー、猫さんに師匠」



 ウェインの声に反応して二人の視線がウェインに向く。



「お帰りなさいませにゃ。おお、今日は大収穫ですにゃね!」



 籠の荷物と鹿の胴体を見てケットシーは喜びを隠さない。手に持っていた鹿の胴体を置き、それから背中の籠も下ろす。



「帰ってきたか。今日は随分と遅かったな」

「これでも急いで帰ってきたんだけどな。結構奥の方まで行ったから普段よりは遅くなった」

「そういう事にしておいてやろう。これからどうするんだ?」

「荷物を家に置いたらリドネ村に行く予定だよ。ちょっと村長さんに呼ばれてるからさ」

「それは建前で、彼女と会いに行くのが本音ではないのか?」

「あのな、以前から言ってるけどニーネとは彼女の関係じゃないんだよ」

「おや、失礼。私は誰とは言ってないんだが? そうか、そうか」



 意地の悪い引っ掛けに掛かったウェインは気まずそうに、唇をかみしめながらエルーニャを睨み、その悔しそうなウェインの表情を愉しむエルーニャ。



「相変わらずその口はどうにかならねぇのかよ」

「すまんな、この口の悪さは生来から持って出たものだからな。今更どうこうする気にもなれん」

「後何百年も生きる予定の師匠が何を言ってるんだよ」

「何だ? では、もっと私が可愛い言葉遣いしてくれた方が良いのか?」



 一瞬、そんなエルーニャを想像したウェインは、ぶるり、と体を震わせる。腕には鳥肌が立っており、どうやら予想以上に気色が悪いと考えたのだろう。



「いや、やっぱりそのままでいいや。なんか師匠じゃねぇ」

「そうだろう? ところで弟子よ、まだ時間は余っているか?」

「ん? ああ、まだ余裕はあるけど……どうしたんだよ?」

「そうか……では、手合わせをするか」



 中指と親指の腹を擦り合わせ、パチンと音を鳴らすエルーニャ。すると、何もない空間からエルーニャの手に合わせて降ってくる二対の木剣。その一振りをウェインに向けて投げつけ、それを片手で受け取るウェイン。



「最近、朝だけじゃ物足りず余った時間全部訓練に突っ込んでくるよな師匠。やられる方は結構キツイんだぜ?」

「なら、やられなければ良いだけの話だ。未だに一撃も当てれない不出来な弟子をもって指導する私も実に辛い」

「言ってくれるね。俺も、今日はアンタの澄ました顔に一撃叩き込みたい気分なんだよな」

「なら、やってみろ」



 ざっ、と一歩引くウェイン。手に持っていた木剣を前方に構え、エルーニャに対して意識を向ける。

 二年という時の流れは、ウェインを変えた。

 肉体を、精神を、そして、心を。

 剣の腕前は二年前とは比べ物にならない。先程、エルーニャは軽い口で罵倒していたが、実際はウェインの上達ぶりに目を見張っていた。二年前は赤子の手を捻るよりも簡単で、それは組手というよりも躾であった。

 だが、今は違う。

 押し一辺倒で、力任せにしか剣を振らない餓鬼ガキではない。状況を把握し、相手に対して圧力をかけ、隙をつく。そんな駆け引きを持てるまでに変化した。

 前後に細かく体を動かすウェイン。集中をしているのがエルーニャには分かる。その緩慢な動きは自身を事を。


 ――――面白い、ならば乗ってやろう。


 先に仕掛けたのはエルーニャ。

 火の出るような早い直線的な動き。そして、喉元めがけて素早く突きを入れるが、これをウェインが軽くいなし、反撃の一撃を加えるが、皮一枚でそれを避けられる。それから拮抗した打ち合いが始まる。

 左右、上段、下段と打ち分けながら攻撃を加えるウェインだが、全てエルーニャに躱される。攻勢に出ていたと思っていたウェインだが、気づくといつの間にか守勢に回される。この手品のような攻守の変わりが、ウェインが何時も一撃を入れれない理由であった。



「そらそら! 常に考えて戦えと言っているだろう! 攻撃が単調になってきているぞ!」



 波状のような攻撃を受け流すウェインに、喋る余裕はない。そもそも、この波状攻撃を受け流せているのは、ウェインの持っている能力「危機回避」のおかげであった。

 この二年でウェインの能力はレベルが上がり、人でしか判別できなかった危機を、今では動物や物を見ても判断できるようにまで成長し、最も能力の強さを実感したのは危険を事前に察知できるようになった点だ。


 エルーニャの攻撃は二手三手先を読んだような攻撃で、いつの間にかそこに誘われているという状況になる。釣りのように、撒き餌の攻撃をちらつかせ、トドメの一撃に誘われる。それが、エルーニャの剣術。

 能力のレベルが向上した結果、一瞬ではあるが、その攻撃を「予見」することができるようになる。

 何とか捌いているウェインはそれを待つ。そして、その機会は訪れる。

 上段、中段、と捌いた後、ウェインの眼に「予見」が発現する。そこにはエルーニャが剣でウェインに対して振りかぶった際に、もう片方の手で魔法を繰り出すという未来だった。

 それが見えたウェインは、剣を受ける事を止めて離れる。エルーニャはウェインがまだ剣で受けると思っていたのか、剣が空を切り、魔法を出す動作モーションで止める。



「ふむ、危機回避か。全く、本当に厄介なスキルだな」



 本当なら今ので終わらせる筈だったエルーニャは不満そうに愚痴を漏らす。だが、あれほどの打ち合いをしながらも、平然とするエルーニャ。それに対して、ウェインは流石に息を乱していた。



「くっそ、このスキルがあっても、全然勝てる気がしない……」

「何だ? もう降参か?」

「ふざけろ。こっからが本番だよ師匠。時間も無いから一気に行かせてもらうぜ?

『―――宿え、次元を超越する速さよ』」



 足元から湧き出る漆黒の蔦。それはウェインの足に絡みつき、刺青となって宿る。それを見たエルーニャの眉が僅かに動きを見せる。


「高速戦か。だが弟子よ、それはあまりに愚策としか言いようがないぞ」

「抜かせ。こっちだって考えてこれを使ってるんだよ」

「そういえば、私が考えて戦えとさっき言ったばかりだったな。考えている事はおおよその見当はついているが……いいだろう、弱点を指摘してやるのも師としての務めだな『――――宿え、次元を超越する速さよ』」


 同じ文言を口にし、エルーニャの足にも黒い蔦が宿る。そして、互いに口を揃えて詠唱を完了する。



踏めぬ影の領域ブラックアウト!』



 宿った黒い蔦が輝きを放つ。瞬間、ウェインとエルーニャの姿が消える。そこには影も形も無くなっていた。

 二人が居なくなった世界。だが、何も存在しない場所から、激しくぶつかり合う木剣の音が響き渡る。

 驚くべきことは耳に入ってくる音の速さだ。カカカカカ、と音のつなぎ目がないそれは、まるで洪水。押し寄せる音の波に思わず耳を塞いでしまいそうな暴力的なものだった。そして時折、畑や、家の壁が独りでに破損していく。彼等は常人に見えぬ速度での戦闘を繰り広げていたのだ。

 その鎬を削る音がピタリ、と消え去った直後。前触れもなく爆発が起こる。

 「んげ!」という悲鳴と思わしき間の抜けた声がすると、爆発に吹き飛ばされたウェインが何度も地面を転げてその姿を現す。



「痛ってー!」



 ダメージを受けたと思われる腹部に手を当てて、しゃがみ込む。そして、ウェインの目の前にエルーニャが一瞬にして姿を見せた。



「分かったか? 『踏めぬ影の領域ブラックアウト』は高速戦闘を可能にする魔法であるが、持続型の自己強化魔法バフの為、莫大な魔力の消費が伴う。故に、お前の魔力ではせいぜい十秒が限度だ。切れた瞬間、死ぬぞ」

「くっそ……高速戦闘に持ち込めば魔法使えないと思ったんだけど、まさかあの速い流れで魔法放てるのかよ」

「考えが浅いな。言っただろ? お前の考えていることは見当がついていると」



 持っていた木剣を、しゃがみ込んでいるウェインの鼻先に突きつけるエルーニャ。それを以て両手を挙げて降参の意図を示す。それを見たエルーニャが木剣を静かに下ろした。



「組手は終わりだ。そろそろ村に行く時間だろ」

「あ、いけね。すっかり忘れてた」

「そんな傷だらけで行っては誤解されてしまうな」



 エルーニャが手のひらをウェインに向けると、淡い緑色の光に包まれる。すると、目に見える火傷や傷が引いていき、真新しい皮膚に生まれ変わる。先程の激闘が何もなかったかのように、ウェインはスッ、と立ち上がると馬房に居る馬を駆ってリドネ村の方へと向かって駆けていった。



「随分と成長されましたね、ウェイン様は。素晴らしいですにゃ」

「まだまだだな。粗削りなだけに、もっと研いでやらなければならない」

「にゃかにゃか厳しいですね、エルーニャ様は。あれだけの腕前があるのであれば、もう少し褒めてあげてもいいのではないですかにゃ?」

「褒めてはいるさ。ただ、その割合があまりに少ないというだけだ」



 だが、ケットシーの言う事は最もだとエルーニャも思っていた。

 実際、ウェインの腕は飛躍的に上がっている。それは、エルーニャが当初予想していたものを良い意味で裏切っていた。



(ふむ……そろそろ頃合いかもしれんな)



 人間の寿命は短い。

 それはエルーニャからしてみれば蝋燭の火のように儚く、短い。だから、あまりゆっくりしている訳にもいかない。そのタイミングがやってきたと考えていた。



「しかし……一つ問題が発生してしまいましたにゃ」

「問題? 何だ、言ってみろケットシー」

「畑が滅茶苦茶になってしまったですにゃ……」



 見つめる視線の先、そこには先程の戦闘の影響を受け、あちこちに足跡が散見され、踏み荒らされた見るも無残な畑の姿になっていた。



「あ、これはすまなかった……」


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