プロローグ 6


 くしてエルーニャとケットシー、そしてウェイン達三人の生活が始まる。

 三人の朝は早い。太陽が昇る前に起床して馬の世話に、畑の作物の管理、井戸からの水汲みなどやる事は沢山ある。朝の作業を終え朝食が終われば、次に待ち受けるのはエルーニャの指導だ。

 指導には二つの項目に分けられる。

 ひとつは、魔法の授業。以前王国で買い漁った本の類は全てウェインの為に買われた本で、その内容はウェインにとって解読不能な古代文字のようであった。だが、そこでの泣き言は一切許されない。テーブルの上に山のように積まれた魔法書を、エルーニャの指導を受けてこなしていく。

 そしてもう一つは、実技だ。

 この実技は魔法ではなく、剣術の訓練になる。

 エルーニャ曰く「魔法使いになると同時に、お前は剣の腕も上げなければならない」と、ウェインからすればとんでもない無理難題であった。

 だが、何時間も慣れない魔法の勉強に拘束されるよりも、外に出てエルーニャ相手の模擬戦をした方がマシ……そんな考えが最初の頃はウェインにあったが、数日模擬戦をすると、そんな甘い考えはつゆと消えた。


 それには誤算が二つ。一つはエルーニャは魔法使いでありながら、剣の腕前にも長けていたことであった。

 実戦形式で行われる模擬戦。二人は木で出来た模造の剣を使用して戦うのだが、力任せに模造剣を振るうウェインの剣を容易くいなし、人体の急所を的確に捉えるエルーニャの剣術。その様子は子供と大人のようで、そこには歴然とした技術と経験の差が存在した。

 そして、もう一つの誤算は……実戦形式という事で、エルーニャが魔法も使ってくることだった。

 当然、威力は抑えた攻撃魔法だが、剣術だけでも差があるというのに、魔法まで使われてしまうと、最早ただの虐めにしか見えない程であった。

 魔法の勉強は精神がすり減り、剣術の指導は肉体が摩耗する。どちらをとっても地獄しかない。


 それが終わり夕方になると、ウェインは痛む体を押して背中に籠を背負う。それはウェイン達が住む場所の裏には山があり、そこでは山菜や茸、そして川魚などが豊富にあり、ここでの自給自足の生活が基本であった。

 裏の山での現地調達。この調達も、ウェインの頭を悩ませる種であった。山に入り、そこで山菜や茸を取るのだが、ウェインには茸の判別が全くつかないのであった。毎回持って帰り、それをエルーニャに見せると。



「この馬鹿者! お前が持ち帰った茸は全て毒持ちだ!」



 と叱咤され、茸を投げつけられるのが毎日。

 夕飯を無事終えようやく床につく。ウェイン達の寝る場所は一階の台所の床である。二階にベッドがあるが、それはエルーニャの寝室であるため使用できない。床の硬さと身体中の痛みで寝られない。ただ、家の中という事で、王国の時の現状に比べればまだマシなのかもしれない、とウェインは思っていた。

 そんな過酷な日々を二週間ほど続けたある日の朝。山羊乳の調達をエルーニャから頼まれる。それまではエルーニャ自身が貰いにいっていたものの、ウェインが生活に慣れてきた頃合いを見計らい、エルーニャからの通達を受ける。一度も貰った事がないウェインは不安そうな表情を見せる。



「何、心配するな。リドネ村で、このエルーニャの名前は広く知れ渡っている。私の名前を出せば山羊乳など一瞬で手に入る」



 山羊乳を入れる瓶をウェインに投げ渡す。不承不承ながらウェインは瓶を手にリドネ村へと馬車を走らせる。そして、エルーニャに教わった通り、農家に山羊乳を分けて欲しい旨を無骨で髭を蓄えるオジサンに伝えるのだが――。



「エルーニャさんに渡す山羊乳は無いね」



 返ってきたのは辛辣な言葉であった。

 簡単に手に入ると思っていた為、その言葉にウェインは思わず、ええ! と驚く。



「何か、渡せない理由があるの?」

「そうだ。あの人はなぁ、とにかく五月蠅いんだ! こっちは好意で売っているのに、あの人は毎回味について注文、難癖をつけてくる。そんな事、こっちは知った事じゃない! 悪いがウンザリでね、お前に恨みがあるわけじゃないが売る山羊乳は無いね」



 取り付く島もなく追い払われる。仕方なく、他の山羊を扱う農家をウェインは訊ねるが、何処も同じような理由で拒否される。確かに、エルーニャの言う通り自身の名は違う意味で知れ渡っていた。

 途方に暮れるウェイン。このまま帰ってもエルーニャは納得はしないだろう、と道端で考え込む。

 そんな時、誰かの視線をウェインは感じる。その方向を向いてみれば、こっそりと物陰から顔を半分だけ出してウェインを見つめる女の子の顔があった。目が合うと、女の子はあっという間に物陰に隠れる。その女の子にウェインは心当たりがあった。



「ニーネ?」



 正解を意味するように、物陰から再び女の子が顔を覗かせる。今度はハッキリとその顔を確認する。それは紛れもなく二週間前に出会ったニーネであった。



「やっぱりニーネだ! 久しぶり!」



 懐かしの再会に心躍るウェイン。だが、そこで一つの疑問が湧いてくる。

 何故、彼女はコソコソと影に隠れてしまっているのか? という点。もしかして、自分の事を忘れてしまっているのではないか? という考えが浮かぶ。ウェインとニーネが会話をしたのは極僅か。そこまで長い間滞在していたわけでも無く、時間が無くて直ぐに立ち去ってしまった。そんな短時間で彼女の記憶に残っているかと言われれば、正直難しいと言わざるを得なかった。



「あ、えっと……俺の事覚えてる? 以前会ったんだけど」



 途端にウェインの声のトーンが落ちる。ほら、あの、などと身振り手振りを交えて説明をするウェインであったが、それは取り越し苦労であった。



「う、ウェイン……だよね」



 ボソボソと小さいながらも、ハッキリとウェインの名前を口に出してくれる。ニーネが覚えていてくれたことで、一人で勝手に盛り上がっていたわけではなかった事にホッとするウェイン。



「今日はエマ達とは一緒じゃないのか?」

「うん、今日は一人。ウェインの姿を見かけたから気になって」

「そうだったのか。だったら気軽に声を掛けてくれてよかったのに」

「私の事忘れてると思ってたから……そう思うと、声をかけるのが怖くて」

「忘れるわけないだろ? 逆に俺の方が忘れられてると思ったよ」 



 ウェインからしてみれば、ただ思った事を口にしただけなのだが、それは彼女にとっては大事な事であったらしく、一度目を大きく開いた後、その気持ちを悟られないように顔を隠すように下を向いた。



「う……ウェインは何をしてたの?」

「ああ、そうだった! 実はさ――」



 この村に来た理由をかいつまんでニーネに話す。ニーネはウェインからの話を聞いて特に驚く様子もなくただ頷いた。



「エルーニャさんの事は知ってる。この村では結構有名だから」

「師匠そんなに有名なのか」

「うん。山羊乳に関して五月蠅くて、正直嫌われてる」



 ガクッ、と肩を落とすウェイン。村人の会話から感じてはいたが、まさか村全体にまで悪評が広まっているとは正直ウェインも予想していなかった。



「師匠の奴、どうしようもないな。しかし、このまま貰えなくて帰るとなると……」

「だったら、うちの持っていく? 私の家も山羊飼ってるから」

「本当かニーネ! たすかるよ!」



 渡りに船とはこの事か。思わぬところから現れた助け船に、ウェインは大いに感謝と感激をし、無意識にニーネの手を取り、両手で包み込むように握りしめる。それは数秒だけで、ウェインが自分の行動に気づいて直ぐに手を離した。



「ご、ごめん! つい、嬉しくて!」

「う、ううん! 別に大丈夫だから、大丈夫……じゃあ、案内するからついてきて」



 自分の家へと案内をする為、ウェインの前を歩くニーネ。そして、ウェインに握られた手にもう一つの手を重ね、何か思う所があるように、それをかみしめていた。

 先導するニーネの後ろをついていくと、赤い屋根の木造家屋が現れる。小さい家で、屋根には煙突がつけられていた。その家の裏手に回ると、小さな柵に囲まれたぞんざいな造りの小屋が現れる。そこには白い動物が二頭と、それに牧草をあげている女性の姿があった。



「母さん、ただいま」



 牧草をあげている女性にニーネが話しかける。すると、女性はニーネの方をむく。

 白い頭巾をかぶった女性で、顔は深い皺が刻まれ、やや出っ張った鼻。今にも怒鳴りそうな威圧感のある人相。背丈も大きく、手に持っている大きなシャベルが凶器に見えなくもない。



「おお、ニーネ! どうしたんだい今日は? 帰ってくるの早いじゃないかい」



 我が娘という事もあってか、その怖い人相から柔らかい笑みが零れる。



「母さん、山羊乳を分けてあげられない?」

「どうしたんだい急に……ん? そこの男の子は誰だい!」



 ウェインを見るなり、ニーネの母親の態度は一変する。

 ニーネの家族は母親との女の二人暮らし。父は病気によって既に他界し、女手一つでニーネを育ててきた母親は、目に入れても痛くないぐらい可愛い娘として溺愛していた。そのため、ニーネに近寄る男に対しては誰であろうと警戒をしていた。一目見るだけでニーネの母親はウェインがこの村の人間でない事が分かる。どこの馬の骨とも分からぬ人間のウェインから我が娘を守るように、自分の側にニーネを寄せてシャベルをウェインに向ける。向けられたウェインは敵対意思は無い事を示すように小さく両手を挙げる。



「アンタ誰だい! うちのニーネにちょっかいかけて、タダで済むと思わないことだね!」

「お、おれはウェイン・ルーザーと言いまして、そこに居るニーネさんとは友達というか何というか……」

「はん、信用ならないね。そう言ってうちの娘をたぶらかす……」

「お母さん! ちゃんと話聞いてよ! ウェインが困ってるじゃない!」



 親の突飛な行動に、たまらず大声をあげるニーネ。ニーネの母親は、思わず直ぐ横にいる娘を見た。

 彼女は驚いていた。ニーネがこんなハッキリと大声で意見を言う事に。

 自分の知っている娘は内気で人見知り。友達と分かる人間は、同姓のエマという女の子だ。それでも、ここまで感情を露わにすることは滅多にない。いや、見た事があったかどうか。



「ウェイン君、と言ったわね。アンタ、うちの娘と何時知り合ったんだい?」

「えっと……二週間前に一度。それだけです」



 それを聞いたニーネの母親は増々信じられなかった。人見知りの激しい我が子が、たった一度だけ会った人間にここまで慣れ親しんでいる事に。しかも、それが異性の男の子という事実に。

 こうなると、母親の心情は複雑になる。おそらく、いや、それは最早確信に近いものがあった。娘の気持ちを尊重するべきではあるが、そんな簡単にはいかない。仕方ないので、ニーネの母親は『奥の手』を使う事にした。



「ウェイン君、ちょっとこっちに来な」



 手招きをして自分の目の前に誘導するニーネの母親。膝を曲げ、ウェインと同じほどの背丈まで屈みこみウェインの顔を覗き込むように見ると。



「――――『価値を判別する鑑定眼スペクタクルアイ』」



 それをニーネの母親が言うと、キィイイン、と一瞬だけ耳鳴りの様な音が鳴る。母親の眼は黒い色をしていたはずなのに、気づかぬうちに金色の輝きを宿していた。



価値を判別する鑑定眼スペクタクルアイ



 その昔、ニーネの母親が若い頃は王国で「鑑定士」として働いていた。家の中に眠っていた古い骨董品は勿論の事、冒険者などが未知の遺跡から発掘したアイテム、真贋の難しい偽造品など活躍は多岐に渡る。ニーネの母親の鑑定士としての実力は超が付く一流である。彼女の能力である『価値を判別する鑑定眼スペクタクルアイ』を使用すればどんなものでも、どういう価値がある骨董品か、真贋の見分け、それらは全て見極められる。ただ、彼女自身がこの能力に置いて、最も重要と見ている事は他にある。

 それは、人間の価値の判別であった。

 この能力を使用すれば、その人間がどれだけ自分にとって価値がある人間なのかという判別が出来る。自分に害をなす人間なのか? 利となる人間なのか? その判別を行う事が出来る能力なのだ。

 つまり、ウェインが自分にとって利となる人間なのかを判別できるのだ。

価値を判別する鑑定眼スペクタクルアイ』でウェインを覗いた結果、母親は思わず言葉を失った。

 その身体は光り輝き、圧倒的な利をもたらす人間という事が分かる。母親は今まで見てきた人間は数知れないが、ここまでの輝きを持つ人間は一度として見た事が無かった。それは、亡くなった自分の夫でさえも。

 手放してはいけない。そう、判断した母親は策を講じる。



「ふむ、なるほど……アンタは山羊乳が欲しくて来たんだったね?」

「ああ、そうだ。大丈夫なのか?」

「構わないよ。但し、条件がある。それを飲めるのなら、喜んであげるよ」

「条件? 俺が飲める条件であるなら、喜んで」

「欲しい時は今度からうちを利用する事。決して他の所を利用しない、取りに来るのは夕方それが出来るかい?」

「えっ! そんな事で良いの? むしろ喜んでお願いするよ!」



 どの農家の人間にも断られたウェインにとって、母親の出した条件はむしろ願ったり叶ったりの事であった。喜ぶウェインであったが、もっと喜んでいる人間がいた。

 ニーネである。母親が出した条件を考えると、また必要になった時には家を訪ねてくる事になるからだ。



「良かったね、ウェイン」

「ああ。これも全部ニーネのおかげだよ、ありがとう」

「わ、私じゃないよ……お母さんが承諾してくれたからだよ」

「いや、私は娘に頼まれなかったらあげる気は無かったよ。アンタ、うちの娘に変なちょっかい掛けるのは許さないからね?」

「お、お母さん!」



 慌てふためくニーネを尻目に母親とウェインは面白可笑しく笑った。

 持ってきた瓶に山羊乳を補充すると、ウェインはお礼を述べて去っていく。その姿が見えなくなったのを母親が確認した後。



「ニーネや、あの男の子の事が好きなのかい?」



 前触れもなく核心を突く母親の発言に、素っ頓狂な声を上げて身をビクリと震わせて固まるニーネ。「あ、いや……」と、肯定も否定もしなかった。

 素直な所が娘の良さでもあり、悪さでもあるのを母親は知っていた。



「あの子、もしかしたら結構モテる子かもしれないね」

「ええっ! そ、そうなのお母さん!」

「まぁ、ニーネには関係ないだろ? あの子の事を何にも思ってないだから」

「い、今はそうかもしれないけど、これから違うようになるかもしれないもん!」



 目にうっすらと涙を浮かべ、思いの丈を母親にぶつける。ニーネの母親はそんなムキになって反論する娘を可愛いと思うと同時に、その思いが本物であることを再認識することになった。

 それからウェインは約束した通り、必要になったら夕方にニーネの家を訪ねる事になる。その際、ウェインは裏山でとった茸を持ってやってくる。それはニーネ達にお礼として配る物ではなく、毒があるかどうかの見極めをしてもらう事だった。ニーネの母親が持つ能力は、子であるニーネにも受け継がれており、ウェインが持ってきた茸の判別が出来る程の鑑識眼を持っていた。全く見極めが出来ないウェインの代わりに、ニーネに判別してもらう。その楽し気に話すニーネの様子を見て、母親もウェインの事を邪見に扱うような事は少なくなっていた。




 ―――そして、それから二年の月日が経つ。




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