プロローグ 5
村を出て馬車の旅路はようやく終わりを迎えようとしていた。
空は赤を超え、少しずつ黒へと移り変わり始めていた。山道と言う事もあり、夜を迎えると、視界も悪く、周囲の木々が怖い雰囲気を醸し出す。ウェインはエルーニャの指示通り山道を走らせるが、なだらかな斜面が続き、中々思うように進まない。
「師匠、まだなのか?」
時間に追われているわけではないが、勝手の知らない道に加え、未知の場所という事がウェインの気を焦らせる。
「もうすぐだ。そろそろ見えてくるはずだ……お!」
何かに気づいたらしく、エルーニャの声に嬉びの色が交じる。先を見ると、何やら立て看板が刺さっていた。そこには「エルーニャ・ウィンタリーの家」と書かれている。それを見れば、流石にそこがエルーニャの家なのだと、ウェインも判断できる。
目的地に到着して気持ちが軽くなったのか、ほっ、と溜息がウェインの口から漏れる。初めて見るエルーニャの自宅。それは一体、どういうものなのか? ウェインは興味津々だった。
ついに坂を上り切り、そこには開けた場所が出来上がっていた。だが。
「…………え?」
目に飛び込んできたエルーニャの家。それは、ウェインが想像していた物と全く違うものだった。
そこにあったのは、住居と思わしき簡素な二階建ての丸太小屋。その横に馬房らしき建物。そして、井戸があり、横には畑が耕されていた。
「えっと……ここが師匠の家?」
「そうだ。どうした? 立派なものだろう?」
「いや、師匠ってもっと立派な豪邸に住んでいるのかなって思ってたから、肩すかしだった」
「そうだな、確かに豪邸に住んでみたいと思った事もあるが、どうしても金が貯まらない。何故だろうな」
「それ、師匠の金銭管理が悪いんじゃ……」
後ろに積んである荷物をウェインは見る。様々な品が買われており、その中には必要なさそうなものも見受けられる。酒場での話もあるし、おそらく金銭に関してあまり執着を持たない方なのだろうと考えていた。
「じゃあ、馬を馬房に戻しに行くぞ師匠」
「ああ、ちょっと待て。その前に畑に行け」
進路を畑の方に向けて近づくと、畑に誰かがいる事にウェインは気付いた。それが何なのか、後ろ姿しか見えないが、ゴーグル帽をつけ、肩に布を巻き付け、その体は小さく、黒い毛並みで覆われており、ふわふわの尻尾がついていた。近づくと「ほいさ、ほいさ」と掛け声と共に鍬で地面を掘っていた。
「おーい、ケットシー。今帰ったぞ」
作業を続けるその黒い毛並みに覆われた人物に、エルーニャは声をかけた。すると、その人物が振り返る。
そこには、猫の顔があった。開いているとは到底思えない細い目。愛嬌の良さそうな可愛い丸顔の猫。その猫は、二足歩行をして立って、鍬をもっていた。
「ありゃりゃ、お帰りなさいませご主人様。買い物は終わりですかにゃ?」
「ああ。今日は随分と収穫があったぞ」
「それはご結構な事です……はて? その若人はどちら様ですにゃ?」
「こいつの名はウェイン・ルーザー。私の弟子だ」
それを聞いたケットシーの反応は、驚きや喜びなどではなく、溜息にも似た声が漏れた。そして、ウェインを見るその視線は明らかに同情の眼差しだった。
「ご主人様の弟子になられるとは、また奇特なお方ですにゃ。畑仕事に、山でのお使い、寝る間も無く散々コキ使われ、脱走する弟子は数知れず。今度は何時まで持つのか気が気でないですにゃ……」
「おい、師匠。滅茶苦茶な事言われてるぞ」
「ああ、心配するな。全部本当の事だからな」
「心配しかないぞ!」
「ケットシー、荷物を家に運びたいから手伝え。農作業はまた後で良い」
「かしこまりました。ご主人のご命令とあればにゃ」
持っていた農具をその場に捨てて、軽やかなステップを交えて馬車に乗り込むケットシー。
「よし、それじゃあ馬を馬房に戻した後、荷台の荷物を全て家に運ぼう。進路を馬房の方へ向けろ」
はいはい、とウェインは馬を馬房の方へと向けて歩かせる。乗り込んだケットシーにウェインは気になって仕方ない様子。
「なんだ、ケットシーが珍しいのか弟子よ?」
「まぁ、そりゃ。猫の亜人って結構いるけど、基本人で、猫耳、尻尾が付いてるのがほとんどだから、ここまで猫の姿っていうのは見た事ないから」
「ケットシーは亜人ではない。私の使い魔だ」
「つ、つかいま? 使い魔って何だよ」
「精霊の一種だ。精霊は神の使いとされており、代表的なシルフ、ウンディーネは基本火の神、水の神の使い魔だ。しかし、ケットシーは単独の使い魔であり、どの神にも属さない」
「そ、そんな凄いのか……」
「いや、そうでもないですにゃ。特定の神に属していないという事は、身分の低い精霊という事ですにゃ。私のような下級使い魔は沢山おりますし、戦いは不得手で、雑用をこなすのが精いっぱいの精霊ですにゃ」
「謙遜するなケットシー、お前のおかげで私は大いに助かっている」
「お褒めの言葉、ありがとうございますにゃ」
左手を前にして腹部に当て、右手は後ろに回し深々と礼をするケットシー。それは位の高いものに対する尊敬と感謝を表すもの。
「えっと、俺はケットシーさんの事を何て言えば良いの?」
「何とでもおよび頂いて結構ですにゃ。私はウェイン様とおよびさせていただきますにゃ」
「うーん、じゃあ猫さんでいいかな?」
「構いませんにゃ」
そうこうしているうちに馬房へと辿り着き、馬を馬房内に戻す。それから今日エルーニャが買い集めた食料品や、本を三人で手分けして丸太小屋へと運び込む。丸太小屋に入ると、一階は台所を兼ねている部屋で、食事をとれるテーブルと、寒さを凌ぐ薪ストーブ、そして石造りの薪をくべて料理をする場所に鍋などの調理器具が見受けられる。中央に置かれている燭台に、師匠が詠唱を唱えるて指先を向けると、炎が一瞬にして灯り、明るさが部屋に宿る。
「良し、では食料品は地下に。本は二階に運んでおいてくれ」
「地下?」
「そこにあるだろう」
ビシッ、とウェインの足元を指さす。そこには正方形でかたどられ、コの字形の把手が付いた石の扉があった。その把手をウェインは掴み、思いっきり力を入れて引き上げると、そこから下へ続く石段があった。石段の先から、冷気を感じ、思わず身震いをするウェイン。
「寒っ! なんだよこれ!」
「貯蔵庫だ。ケットシーと一緒にその階段を下りて食料品を収めてこい」
ケットシーは手慣れたもので、その手には小皿の上に乗せた蝋燭があり、食料品を近くに置いてあった麻袋に入れて降りていく。ウェインもケットシーを真似て袋に詰めて降りていく。
人一人が通れるほどの幅で左右は石の壁に挟まれ、身震いする寒さと、コツコツ、と歩く音が響く。
上から覗いた時は、永遠と続きそうなほど長い石段のように思えたそれは、実際の所驚くほど短いものだった。直ぐに石段は底に辿り着き、目の前には扉がある。施錠はされておらず、ケットシーが把手を掴み押すと簡単に中へと入る事が出来る。中は小さな部屋を形成しており、全て石の壁で覆われていた。そして、部屋の中は棚が置かれ、木箱に幾つもの食材が積まれていた。
部屋に入ると、より一層の寒さが伝わってくる。
「ここは……?」
「ご主人様がお造りになられた貯蔵庫でございますにゃ。一定の温度をどの季節に置いても保持できる造りになっておりまして、食料の保管に大変役立っておりますにゃ」
幾つもある木箱を仕分けして取り出し、その中にケットシーは手際の良い手つきで買い込んだ食料を入れていく。ウェインもケットシーに助言を受けながら手分けして食料を入れていく。その棚の木箱とは別に、赤錆色の宝箱も見つかる。中を覗くと、やはりそこには山羊乳が入ってた瓶が保管されており、それを手に取るウェイン。
「山羊乳なんて美味いのかな?」
「ご主人の大好物ですから仕方ないですにゃ。そして、無くなるのも早いので、弟子となった人は毎回それを取りにいかされてましたにゃ」
「完全に弟子というか、使用人扱いだな……」
手に取った瓶を元に戻し、再び木箱に移す作業に戻る。
全てやり終え、来た道を引き返して地上へと戻ると、そこに火を使って料理をするエルーニャの姿があった。
「師匠、何してるんだ?」
「見てわからんか? 今日は弟子を招いた最初の日だ。こうして料理の腕を奮おうと思った次第だ」
「料理……」
本来、こうして家主であるエルーニャが直々に料理を振舞う事は、実に喜ぶべきことなのだろう。だが、ウェインはおろかケットシーにも顔に笑みはない。なぜなら、エルーニャが手にしている平鍋の中の鳥の肉は完全に焦げ付き、横に置いてある鍋からは得体のしれない匂いが鼻についていた。
「あの、猫さん。師匠の料理の腕前は?」
「見ての通りですにゃ。大抵は私が料理をするのですが、おそらくウェイン様に良い所を見せたいのでしょうにゃ」
ひそひそ、と小さな声で意見を交わすウェイン達。そんなウェイン達の不安を余所に、エルーニャは料理の仕上げに取り掛かる。何やら、香辛料のようなものを振りまいた後、平鍋の肉を大皿に移し替える。
「さぁ、出来たぞ! 存分に食せ!」
テーブルの上に置かれるエルーニャの料理。大皿の真っ黒に仕上がった鳥の肉と、個別に分かれた皿の中には野菜と思わしき破片と、何色も混ぜたような一言では言い表せない複雑な色に仕上がったスープがウェインとケットシーの前に置かれる。それを見た二人はゴクリ、と固唾を飲んだ。
「師匠……一応聞くけど、これは何?」
「知らないのか? これは野菜のスープだ。少し、私流に手を加えている。見た目はあれだが、味は保証しよう」
平然と言ってのけるエルーニャ。手をどれだけ加えれば、このような異物が爆誕するのか? 味の保証よりも命の保証があるのか? と、ウェインとケットシーは考えていた。
「では、いただくとするか」
手を組み、お祈りを捧げるエルーニャ。それに倣って二人もお祈りを捧げる。それを終えて、食事をしようとした時にウェインは気付く。スープがエルーニャの分だけ無いことに。
「師匠、スープが無いぜ」
「すまないな、実は大量に作ったはずのスープがそれだけしか鍋の中に残ってなかった。不思議ではあるが、丁度二人分はあったからお前たちに譲った次第だ」
目の前にあるこの世のモノと思えぬスープもどきを、二人はまじまじと眺める。ケットシーは猫らしく、そのスープの匂いをスンスン、と嗅ぐと、悩ましい表情を浮かべる。ウェインも匂いを嗅ぐが、いい匂いとは思えない。好奇心よりも警戒心の方が強かった。
「どうした二人とも? 早く飲まないと、スープが冷めるぞ」
作った本人は全く悪気はないのか、勧めてくる。二人は互いに目を合わせ、微かに頷く。今日出会ったばかりだというのに、それはまるで長年苦楽を共にして連れ添った友のような阿吽の呼吸。恐る恐る目の前のスープからスプーンで一杯を汲み取り、ケットシーとウェインは同時に飲んだ。
一杯ぐらいなら、と思ったその行動。それは、直ぐに軽率だったと二人は身をもって知る事になった。
「ふぎぃい!」
短い悲鳴が二人の口から出る。形容しがたい不味さと、それに含まれる危険物質が身体中を駆け巡る。脳が味をこれ以上知ることを拒否するため、二人は同時にスプーンを手から零してテーブルの上に倒れこむ。朦朧としていく意識の中で。
「どうした? あまりの美味さに気絶したのか?」
そんな見当違いなエルーニャの声が聞こえる。
違う、と反論する事も許されず消えゆく意識の中で、たったひとつだけ、ウェインは誓った事があった。それは「師匠に料理を絶対にさせてはいけないという事だ」
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