プロローグ 4

 宿を出たウェインはエルーニャの買い物に付き合わされる。元々、エルーニャの当初の目的は街での買い物であり、その流れは至極当然であった。

 ウェインはその荷物持ちに抜擢され、両手に抱えきれないほどの荷物を持つと、大通りを歩いて街の入口付近にまで戻る。そこにエルーニャが乗ってきた馬車が留めてあり、その荷台へと移し、再び買い物へと繰り出す。それを何度か繰り返すと、荷台には溢れんばかりの果物や食料品、何に使うかわからない空の瓶と、見ているだけで頭が痛くなりそうな本が山積みされる。

 買い物を終えると、エルーニャに言われてウェインが馬車の手綱を握らされる。当然、この城下町でずっと過ごしていたウェインには馬車を操作したことなど一度も無く、その手つきはたどたどしく、ぎこちない。

 


 「ほら、焦るな。こうして馬車を操るのも勉強の一つだぞ」



 隣に座っているエルーニャがウェインの手に、自分の手を重ねる。その手は冷たく、とても艶のある滑らかな手触りがした。

 エルーニャの指導の甲斐もあり、ウェインの馬車を操る手綱捌きは直ぐに上達した。何とか馬を操る事が出来るようになり、エルーニャの指示によって北へと進路を取る。バージニアの城下町を離れたのは陽が真上から少し傾きかけてきた頃だった。 指示通り北へと馬車を走らせるウェイン。バージニア王国から伸びた街道が敷かれており、その街道が導くままに馬を走らせていく。



「このままでいいのか師匠?」

「ああ、構わない。このまま走らせると、二股の道が出てくるからそこまで走れ」



 土地勘が全くないウェインはエルーニャの言葉を信じて進む。すると、エルーニャの言った通り、二股の道が現れる。その別れる真ん中に矢印の表札が地面に打ち込まれており、そこには文字が記されていた。



「師匠、どっちだ?」

「左だ。左には『リドネ村』という村がある。その村を抜けた先に私の住居がある。ちなみに、右に行けば神殿があるぞ」

「神殿?」

「ああ。最も、厄介になる事は無いとは思うがな」

「何の神殿だよ?」

「火の神『ヴォルケウス』の神殿だ。今は廃れて誰もいない」



 ふぅん、とウェインは右の道を見ながら返事をする。その先にあると言われる火の神を祭る神殿の姿は遠目からでは見えない。確かに、厄介になる事もなさそうだ、と考えてウェインは進路を左へと取った。

 ガラガラと馬車の車輪の音がよく響く。二股の街道を越え、そのまま走らせると両側が森に囲まれた領域に入る。真っすぐ伸びた街道だけが目立ち、両側の森は沢山の木々が生い茂り、先も暗い。ウェインはこの道に入ってから自然と両側の森に対して注意力を高めていた。



「どうした? やけに手綱を握っている手に力が籠っているようだが?」



 対照的に、エルーニャは口を大きく開けて欠伸をする。ウェインに掛けた声も、警戒感を強めている事を知っておきながらワザと声をかけたのだからたちが悪い。



「この辺りはちょっと嫌な感じがあるからさ……」

「その見立ては間違ってはいないな。この辺りは見ての通り森に両脇を挟まれている道だ。つまり、この道を通る商人や村人を狙った盗賊にとってはうってつけの隠れ場所って事になるからな」

「やっぱりかよ」



 その説明を聞いてウンザリと言った様子のウェイン。何も起こらない事を願いつつ、そのまま馬車を走らせる。

 走らせ続けていると、目の前の街道に誰かが倒れているのが見える。それは黒いローブを身に纏っており、顔はすっぽりとフードで隠されており、顔立ちの確認もままならず、男女の判別すら難しい。



「ふむ、人が倒れているな。弟子よ、お前ならどうする?」

「俺なら? うーん、そうだな……」



 倒れている人間をジッと見るが、黒い靄のようなものはかかっていない。自分に実害を及ぼす相手ではない、とウェインは判断した。



「助けても良いんじゃない? とりあえずあの人は”害”がなさそうだし」

「ふむ、それが危機回避能力の判断か?」

「まぁ、そうなるな。師匠は?」

「私は最初から決めてある、轢け」

「えええっ! 本気なのか師匠!」



 迷いのない冷酷ともいえる判断に、驚き声を上げるウェイン。



「あれはどう見ても盗賊の罠だ。無視するのが一番だろう」

「ええ? でも、全然俺の能力スキルは反応しないぞ?」

「そうか。ふむ、何事も経験するのが一番だからな。良いだろう、あの倒れている奴を起こしてやれ」



 倒れている人間に近づくと、一旦馬車を停めてウェインは降りる。十分に警戒をしながらそれに対して声をかける。



「おい、大丈夫か?」



 ローブの人間にウェインが触れると、被っていたフードがはらり、と外れる。そこから現れたのは粗雑に作られた木製の人形だった。

 人形と判明すると同時に、周囲の森から飛び出してくる四人の男。それらは明らかにただの民間人ではなく、その誰もが一癖も二癖もあるような顔や、簡素でけがわらしい服の出で立ちをしており、手には全員が刃物を持ち合わせている所から見ても、好意的な感情を持ち合わせていない事が分かる。

 薄ら笑いを浮かべ、馬車を取り囲むようにして布陣を組んでいた。

 


「へっへっへ……まんまと罠にかかりやがって。馬車を置いてけ。そうすれば命だけは助けてやるぜ」



 四人の中で頭に赤い布を巻きつけた男が、下品な笑いを伴いながらエルーニャ達に勧告をする。数で上回る賊達は、自分達が圧倒的に有利である事を信じて疑わない。だが、それは賊達だけの話である。



「どうだ? 分かったか? 今のお前の危機回避能力は、レベルの低さ故、対象が人間以外では分からないのだ。だから、こういう事態を招く」

「はー、なるほど」

「おい! てめえら無視してんじゃねぇよ!」

「ああ、これはすまない。まだ居たのか? 早く帰った方が身のためだぞ」

「コイツ……! 女、テメェは生け捕りにして痛い目見せてやる!」



 おい、とリーダー格の男が合図を他の三人に対して送る。それを聞いて三人は馬車への距離をじりじりと詰める。相手に対して倍の数であるのにも関わらず、その慎重すぎる山賊たちの手際の悪さに、エルーニャは憐れにすら感じていた。



「全く、力の差がわからぬというのは、実に悲しい事だ」



 ローブから青色の表紙に金の意匠が施された厚い本を取り出す。すると、本は意思を持っているかのように、自然とページがめくられていく。目的のページに辿り着いたのか、それはそこで止まった。そして、エルーニャがそこに掌を当てる。



「――――深き眠りの森に誘う唄スリープルミスト



 芯の通った綺麗な声。一言エルーニャが告げると、馬車の周囲に凄まじい勢いで濃霧が立ち込める。



「な、なんだ! 何が起こった!」



 動揺がリーダー格の男から賊達にも伝わる。それは一瞬にして賊達を包み込み、眼に見える範囲全てが白い霧によって隠される。視界不良で、右も左も分からぬほどの濃密な霧。一歩でも踏み出そうものなら帰ってこれないような錯覚すら感じる。



「おい! お前ら何処にいる! 返事をしろ!」



 迂闊に動けない、と判断したリーダー格の男は近くに居る仲間と連絡を取る事を考える。

 しかし、返事は無い。そんな声の聞こえないほど遠くにいたわけでも無いというのに、その無言の答えがただただ不気味だった。

 どう行動するかリーダー格の男は考えるが、急に立ち眩みを起こす。頭を振って気を取り直そうとするが、眩暈は酷くなる。ふらりと足取りも悪くなり、立っていられないほどに。そのまま声も出せず、前のめりに地面に倒れこみ意識を失った。

 霧は役目を終えたように自然と消えていく。晴れたその場には、エルーニャとウェインを除く盗賊四人が地面に倒れている姿があった。



「安心しろ、眠らせただけだから命までは奪ってはいない。まぁ、もう聞こえてはいないか」



 開いた本を閉じてローブに仕舞う。一瞬にして荒くれ者達をねじ伏せたエルーニャの魔法と強さにウェインは茫然としていた。



「この寝ている奴らはどうするの?」

「放っておけ。当分目を覚まさないから、害はない。後は誰かがこいつらを捕まえるかどうかは私たちの知る所ではない。さっさと行くぞ」



 寝ている盗賊達に対し、一度目を向ける。

 自分達に危害を加えようとした時点で、彼等に同情の余地はない。エルーニャの言う通り、ウェインはそのままにして運転席へと戻り、再び馬車の手綱を握って馬を走らせた。

 盗賊とのいざこざがあってから二十分程馬車を走らせていると、遠くに木で作られた侵入者防止の高い柵に囲まれた村が見えてくる。しかし、その村を見てウェインは驚く。何故なら、村と聞いたウェインの想像は小さな集落のような感じの物を想像していたからだ。見える村は、視野の範囲では捉えきれない程の長い柵に覆われていた。唯一、村の入口と思われる部分が開口してあり、そこには番人と思わしき、槍を持った中年の男二人が立っていた。



「ええ……これがリドネ村?」

「そうだ。広大な土地に、高い柵。中では農業や畜産が盛んだな。村人もそこらの村とは違ってかなりの人数が住んでいるぞ。私の家はこの村を抜けた先にある」

「ここ通れるのかよ? なんか厳重だけど」

「当たり前だ。私はこの村の人間とは顔見知りだからな」



 なるほど、とウェインは納得する。

 馬車で村へ近づくと、遠目で見た時よりもハッキリとその姿が明確になる。柵というよりも最早壁。これを乗り越えるにはかなり労力を要するだろうな、とウェインは見ながら思う。入口に来ると、門番をしている村人が近づいてくる。



「ちょっと待て。ここに何をしに来た?」



 門番の一人が運転席に座っているウェインに話しかけてくる。ウェインはエルーニャの方を見て助けを求める。



「私だ。買い物から帰ってきたところだから通してくれ」

「ん? ああ、エルーニャさんか。あんた朝出かけた時は一人だったはずだが? この男は誰だ」

「私の弟子だ。城下町で私の弟子にしてほしいと志願されてな。断り切れず、弟子にしたという次第だ」



 そのエルーニャの作り話にウェインは苦虫をつぶしたような顔を見せる。一言、二言ならず、色々とツッコミ所は満載ではあったが、それで自分の立場が改善されるわけでもないので、無言を貫く。門番も、エルーニャとは顔見知りの仲らしく、その嘘八百な話を完全に信じ込んでいた。



「そうだったのか。そういえば以前、アンタの下には弟子が何人かいたが、皆逃げて行ったよな」

「まぁ、あれらは堪え性のない奴らだったからな。コイツは大丈夫だろう」

「え! ちょっとまて! 師匠、他に弟子いたのかよ!」

「言ってなかったか? 昔、弟子を育てようとしたが、耐え切れず逃げ出していったんだ」

「全然聞いて無いぞ」

「安心しろ、お前は逃げたくても逃げれないから大丈夫だ」

「それは大丈夫って言わないんだよ!」



 村人から村への入場を許可され、笑顔で門番に別れを告げるエルーニャ。新事実の発覚に、ウェインは気持ちが落ち込み、肩を落として溜息を漏らす。

 門番が入口の扉を開き、村の中へと進む。

 そこに広がる景色は、王国とは全く違う景色であった。

 長閑な村の風景。時期が春の為か、まだ成長途中の広大な小麦畑には緑が広がる。 王国で見る精巧なレンガ造りとは違い、歪な木造家屋が幾つか点在する。そこかしこで牛や馬、山羊の鳴き声が聞こえ、放し飼いされている鶏が道を歩く。それと共に外で無邪気に遊び回る子供の姿があった。

 王国の城下町に住んでいたウェインにとって、外の世界で初めて見る村。王国の殺伐とした雰囲気に比べると、なんと穏やかな事か。しかし、ウェインはこの空気が嫌いではなかった。

 初めて見る村に対して目移りをするウェイン。



「あれ? 師匠、あれは何だ?」



 ウェインが興味を示したのは大きな歯車が付いた小屋。それは近くを流れる川の水を利用して歯車が回転をしていた。



「あれは水車だ。川の水を利用し、勝手に動く仕掛けになっている。それを小麦の製粉などに使っているのだが……知らないのか?」

「ああ。王国から出た事ないから、初めて見るよ」

「そうか、ならば見聞を広めるいい機会だな。そこに馬車を繋ぎとめる柱があるから、そこに括りつけて暫く村を散策してみるのもいいだろう。私は少し用事があるからな」

「用事?」



 荷台の方へエルーニャが向かうと、そこから中身の入ってない大きなガラスの瓶を取り出す。



「今から私は山羊乳ミルクを貰いにいく」

「山羊乳? なんでそんなものを貰いに?」

「美味だぞ。一度飲めば中々病みつきになる」

「美味って言うけどな……山羊乳は保存が効かない。今は暑くないとはいえ、一日持たないぞ?」

「良く知ってるな。だが、大丈夫だ。実は旅の行商人から良い事を教わってな。暫くは日持ちする方法がある」



 瓶を手にしてエルーニャは馬車から降りる。



「私が帰ってくるまでの間、村でも見ておくと良い」



 では、と手をひらひらさせて村の奥へと歩いていくエルーニャ。ずっと馬車の上に座っておくのも退屈と思ったウェインは、言われた通り馬車を入口近くの柱に括りつけ、村を散策することにする。

 これといった目的もなく、ただひたすらぐるぐると村の中を見て回っていると、何か怒鳴りあう声が聞こえてくる。関心をそちらに向けたウェインは、行く先を声のする方へと向けた。

 辿り着くと、そこには同じ年代と思われる若い子供が三人。男が一人、女が二人。それぞれが向き合う形でいがみ合っていた。

 男の方は明らかに女の子に対し、高圧的な態度を取っており、対する女の子も一人は腰に手を当て反抗する態度を示す。だが、もう一人の女の子は女の子の背に隠れて怯えていた。怯えている少女は片目が漆黒の前髪で隠れており、華奢で何処か儚さと脆さを合わせ持ちながらも、美しい印象をウェインは受けた。

 男と女の口喧嘩。両者どちらも噛みつきそうなぐらいの剣幕で罵り合う。少し距離を離してそれを見届けていたウェイン。



(部外者の俺が入ったら揉めそうだからやめとくか)



 手を出さず、傍観者としての選択を取るウェイン。ただし、口では無く、取っ組み合いの喧嘩が始まった場合は止める気持ちではいた。



「だから! どうしてジェフは毎回いつもニーネにちょっかいかけるのよ! ニーネだって嫌がってるじゃない!」

「う、うるさい! なんでエマが口出してくるんだよ!」

「あたしはニーネと友達だからよ! 最近ジェフのニーネに対するちょっかいは度が過ぎてるわ。お父さん、お母さんに言いつけるわよ」



 飛び交う話の内容を聞いて、怯えている女の子に対して、ちょっかいを男がかけるので、それを見かねた女の子が見かねて口をはさんだ為、現在に至るという解釈をウェインはした。

 よくある子供同士の諍い。周囲に大人もいるが、皆気にはしていない。ウェインの興味は喧嘩そのものではなく、怯える女の子に向けられる。

 自身でも気づかないぐらい集中してその子を見ていた時。急にウェインの視界が一変する。


 背景が黒く染まり、その中で唯一そのままの色がついているのは喧嘩をしている三人の子供。そこで口論していた女の子が男に平手打ち。それに男の子が怒り、平手をかました女の子を両手で突き飛ばす。その勢いで背後にいた女の子も押されて吹き飛び、地面に放置してあった農具のフォークが背中から刺さる。少女が血にまみれる姿を見た。

 異様な光景。ウェイン自身、生まれてこの方、一度も感じた事の無い感覚に陥り、初めての体験であった。


 そして、何の前触れもなく世界に色が戻る。まず、ウェインが目をやったのはおびえている女の子の後ろだった。そこには放置してある農具のフォークが確かに置いてあった。そして、喧嘩している子供たちを見ると、先程みた光景と同じように女の子が平手打ちを男の子に当てる。その時点で、ウェインの足は走り出していた。

 まるで芝居だった。全く同じ動きで男は目の前の女の子を突き飛ばし、その勢いで後ろの女の子も巻き添えをくらう。ぐらり、とバランスを崩すと用意されていたフォークが今か今かと待ちわびる。

 間に合わない。他の子ども達はただ、それを見届けるしかない。その背に鋭利な爪が刺さる瞬間を。そして、今まさに串刺しになろうとした時、間一髪ウェインが少女の身体を両手で受け止めた。



「大丈夫か?」



 問いかけるウェインに、小さく頷く少女。男の子は一度腰を抜かし、自分のしでかした罪の重さに耐えられなくなったのか、うわ言のように何かを叫びながらにげるようにして去っていく。



「あ、ちょっとジェフ!」



 逃げるジェフをエマは呼び止めるが、彼の耳にその声は入っておらず、止まる気配はない。追いかけようと足を一歩踏み出すが、優先順位を考え、今はニーネを優先する事にした。口論していたエマと呼ばれる女性はウェインの方を向く。



「ニーネを助けてくれてありがとう。私の名はエマって言うの」



 生まれてから罵られたことはあれど、お礼を言われることなど一度もなかったた為、ウェインにとってそれは新鮮だった。急に、胸の奥からどこかこそばゆい感情がわきあがり、あたまを掻く。



「あ、いや……と、とにかく無事でよかったよ」

「ねぇ、良ければ名前を聞かせてくれない?」

「ウェイン。ウェイン・ルーザーだ」

「じゃあ、ルーザー君と呼ばせてもらうわ。ほら、ニーネも挨拶した方が良いよ」



 ウェインの傍らで立っていたニーネはもじもじ、と何処か恥ずかしそう。顔を下に向けて、時折ウェインに視線を向けては直ぐに下へ向けてしまう。



「ごめんね、ルーザー君。この子極度の人見知りだから」

「構わないよ。ニーネと、エマか。さっきの男の子は?」

「さっきのはジェフ。いつもニーネにちょっかいかけてくるのよ」

「まぁ、さっきの子も結構今の事気にしてるみたいだから、何とか立ち直ってくれるといいな」

「ダメダメ! 少しは頭冷やした方がいいのよ、ジェフは。今回のは冗談とかではすまされないんだから」



 明らかに怒っている様子のエマは、ジェフに対しての悪口が止まらない。性格から始まり、好き嫌いな食べ物、果てにはジェフの口癖や仕草に至る。聞いている方も驚くぐらいの情報量。濁流の如く押し寄せる言葉の波に、ウェインはたじろぐ。



「悪いけど、時間無いから帰るよ」



 ここに居ても延々と彼女の愚痴を聞かされるだけだと悟り、即刻退散することを決意。それじゃ、と馬車のある方向へ足を向けると。



「あ、あの……」



 気弱でか細い声が背後から聞こえる。ウェインが振り返ると、ニーネと呼ばれた女の子が声を出し、水晶のように透き通った目で真っすぐ見ていた。



「あ、ありがとう……」



 照れくさそうに拙い感謝の言葉をウェインにニーネは送る。その頬はほんのりと赤く染まっていた。そのニーネの声を聞き届けたウェインは気持ちの良い笑顔を作る。



「じゃあな、ニーネ。また会えるといいな!」



 手を振って走り去っていくウェイン。その背中をニーネは自分の視界から見えなくなるまでずっと見つめていた。

 馬車に戻ると、既に用事を終えたエルーニャが運転席の横に座っていた。腕を組み、指を小刻みに動かしている。帰ってくるウェインを見て、遅い! と、一言文句を付け加える。



「何処をほっつき歩いていた。遅いではないか」

「悪い、悪い。ちょっとゴタゴタに巻き込まれた。師匠の方は用事終わったのかよ?」



 馬車を停めていた紐を外し、運転席へと戻るウェイン。



「ああ、もちろんだ。少々手間取ってしまったが、山羊乳をもらった」

「で、その山羊乳は?」



 荷台を指さすエルーニャ。そこには金属で出来た赤錆色の宝箱のようなものが置いてあった。運転席から荷台に移り、その箱を開けてみると、中に瓶と一緒に氷が大量に入っていた。



「何でこんな保管の仕方を?」

「旅の行商人から聞いた知恵だ。氷と一緒に詰めて冷やしておくと長持ちをするという話だ。実際、試してみたが長持ちするぞ」



 へー、とウェインは微妙な反応。半信半疑と言った様子だった。

 開けていた箱を閉め、運転席へと戻り手綱を手に取る。



「で、これからどうすれば良いんだ師匠?」

「このまま真っすぐいけ。村の反対側にもう一つ入口があるからそこを抜けて、山道を辿っていけば直ぐにつく」

「了解、了解」



 はっ! と、掛け声と共に手綱を動かすウェイン。それに反応して馬車がゆっくりと動き出す。ゆっくりと馬は歩き、村の反対側の出口を出る。

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