第232話~荒む心~

 あれはつい先程の出来事だ。義耳と義尻尾、人耳と男声を隠すための口元を覆う布。それに服と外套を買い揃えた俺はルプスちゃん達が服を買い終えるを外で待っていた。


 ふと横にある小さな路地に目がいく。正確には俺の方をじっと見つめる黄色の瞳と目が合ったからだ。路地から覗くその瞳の持ち主は一目見て社会的に最下層の住民と分かった。


 ボロボロで、まるで雑巾のように黒く汚れ、小さな穴が空きまくった麻布を来た少女。耳は先っちょがツンととんがった猫耳。


 頬から数本の可愛いおヒゲが生えている。尻尾が上下にくねくねとうねっており、そちらの方に自然と目を引かれた。俺は未だこちらを意味ありげに見つめる少女のことが気になって軽く近づいていく。



「どうし──」



 そう声を掛けようとした次の瞬間、その女の子の後ろから俺に向かって成人男性が飛びかかってきた。驚きながらも腕を捕まえ、そのまま地面に組み伏せる。



『がはっ!? お、女に負けた……?』


「いや女じゃ……おう、女だぞ私は」



 驚愕した顔で俺の方を見てくる獣人の男の言葉に俺は否定の言葉を発しようとしたが慌てて止め、自分の性別が女であることを主張する。危なかった……!



「んで……そっちの女の子はグルか?」


『ち、違うっ! 俺が無理やり──』


『ご、ごめんなさい! 謝るからっ、だからお父さんを殺さないでっ!』



 女の子が飛び出してきて俺の足元に来る。男の言葉を遮ったその言葉に眉をピクリと動かしながらも状況を整理すると、どうやら男の方は父親のようだ。



『お金が、お金が無いからお姉ちゃんが……!』



 少女の言葉に俺は頭を働かせる。恐らく病気の姉でも居て、そのために彼らは結託して俺から身ぐるみを剥ごうとした。俺の腕からは自然と力が抜けていた。



『あ、あの……お姉ちゃんの怪我、治せないですか?』



 縋る思いで尋ねてきたのだろう。彼らからすれば軽度な怪我でも重症化する危険性がある。幸い俺には《回復》もあるから、酷くても多少の痛みを和らげることはできるかもしれない。



「分からないけど……見せてくれない?」


『あ、ありがとうお姉ちゃん!』



 少女はパッとにこやかな笑みを浮かべ、父親の手を取り俺を先導して路地裏へと入っていく。そして右に曲がって入ってきた光景に息を飲んだ。



『こんにちは……』


『あの、治せます?』



 そこに座っていた少女には手足が2本とも無かったのだ。つまり四肢が欠落していた。しかも、まるで無理やりちぎられたような跡も……。俺を連れてきた少女が泣きそうな顔で尋ねてくる。



「《回復》」



 有無を言わさず俺は魔法を使った。琴香さんなら《再生》を使って治せるかもしれない。だが俺では無理だ……だから形だけでも整える。



『あ、ありがとうございます……!』


『ありがとうお姉ちゃん!』



 その場にいた俺以外の全員……特に姉が驚いた顔をしながらもお礼を告げてきた。俺を連れてきた妹の方は感極まったのか抱きつきまでしてくる始末だ。



『ありがとう優しいお姉ちゃん!』


「うん」



 その後、父親や少女や少女の姉に数分間お礼を何度も告げられた俺は逃げるようにその場を後にする……いや、しようとした所で立ち止まった。



『ダメっすよソラの姉貴……』


「ヴォルフとルプスちゃん、ごめんちょっと用事があって」



 ヴォルフとルプスちゃんは服を買い終わって俺が居なかったから探しに来たのだろう。ちゃんと一言、少しだけ不在になる事を告げていかなかった件を責めてくる。


 だが、次のヴォルフの言葉は予想の斜め上から俺の心に突き刺さった。



『違うっすよ。あの親子には罰が必要っす』


「ん?」


『ほら、さっさとソラの姉貴から盗んだ財布を返せっす。今なら同情も込みで見逃してやるっすから』



 ヴォルフの言葉があまり理解できなかった。だが体は正直だ。反射的に懐に手を伸ばし財布の所在を確認する。うん、無かった……。



『逃げるぞ!』


『うんっ!』



 それを見た獣人の2人……俺を先導した少女とその父親が一目散に逃げ出す。当たり前のように四肢のない少女の姉は置き去りにして……。



『ソラの姉貴!』



 ヴォルフの言葉でとっさに俺の体は動き、一瞬の間に2人を取り押さえることに成功した。少女の懐から俺の財布が飛び出してくる。



「……ぁ、さっき私に抱きついた時に」


『クソ! あと少しだったのに余計な邪魔が入ったわ!』


『腕は強くても頭はチョロそうな女だったから狙ったのに、ガキの方が頭良いとかふざけるなよっ!』



 俺が先程の出来事を思い出した瞬間、2人の様子が急変する。口調も悪くなり、まるで別人のようだ。



『ソラの姉貴、ちょっと箱入り娘すぎっすよ』


『悪いけど私もそう思うわ、ソラお姉様』



 ヴォルフとルプスちゃんにも責められるような目を向けられる。俺は先程から起こっている出来事を上手く頭の中で処理できない。



『1度目は実力行使。失敗したら同情を求め、油断した所でお金だけでも盗む。よく考えられてるっすね。でも俺は騙せないっすよ。残念っすね』


『ソラお姉様を騙そうとしたのが運の尽きね』



 ヴォルフとルプスちゃんはなんて事ないように彼らの目論見を暴いていく。こんな中学生になったばかりのような子供がだ……。


 ダメだ、ずっと思っていたけど本当に価値観が違いすぎる。日本が平和だった事もあるが……。例えば豚人族の集団は奴隷商人と明らかにそう言った人達だった。


 だが今押さえつけている2人はただの一般人。チラチラと他の路地角から覗く視線の数を改めて数えれば、どこにでもいるだろう身分であることは明らかだ。


 ただの……現実世界で言う俺たちのような存在がこんな犯罪的な事を犯しているのかよ、ここは……。俺は言葉が出ず、ただ悲しくなってしまった。



『まず2人がさっき姉と呼んでいた人も含めた3人に、本当に血縁関係があるかも怪しいっす。それにあの四肢、同情を引くためにわざと斬り落としたんすよね? よくある手口っす』


「っ……!?」


『待っ、て……』



 ヴォルフからの追撃の言葉に絶句していると、小さな声から発せられた言葉でふと我に返る。その言葉の持ち主は俺が先程回復を掛けた、今押さえつけている少女の姉だった。四肢の無い体で、それでも僅かに残った突起を使って這ってきたのだ。


 舗装された訳でもない荒れた地面。当然擦り傷だらけだった訳だが、その傷を負った彼女は痛みを堪えながらも頭を下げた。



『どうか、お願いします。見逃してください……。本当に、家族なんです……』



 惨めで、哀れで、無様な姿だった。……人を襲っておきながら、それを許して身内の怪我を治してもらいながら、財布を盗んで指摘されれば逃げて、それを捕まえれば許して下さいと頭を垂れる……。


 どこまで俺を馬鹿にすれば気が済むのだろうか……。そんな気持ちも少しはあった。だがそれ以上に……こんな世界なんて大嫌いだと俺は心の底から思った。



『……で、ソラの姉貴は本当にお人好しっすね』


『ソラお姉様、あれじゃ味を占めちゃうと思うわ。ハッキリ言って、私も反対よ』



 あの後、俺は少女の姉の怪我を治して何もせずその場を去った。彼らは悪い事をしたが、だからといって殴ったり警察のような場所に引き渡すような事もしてない。ただ……あれ以上関わりたくなったのだ。



「主……済まぬのじゃ」


「気にすんな」



 妖精姿のエフィーの姿を見られる訳にはいかない。だからと言って急に大きくなって現れるの不自然。よってあの場にエフィーは現れられなかった。


 俺が現実に打ちのめされている所を見ていることしかできなかったらしい。彼女も責任を感じているのだろう。



『兄様とソラお姉様が、私の目の代わり。えへへ』



 彼女も同じく気を使ってくれたのだろう。ルプスちゃんの両手を俺とヴォルフで取り合う。少しだけ心が和らぎ、周りの景色にも集中できた。



「……美味いな」


『そうっすね……』



 ただその後食べたご飯もメニューは覚えていたが、味の方はさっぱりだった。



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最近ずーっと難産。期末テストもあるので更新落ちたりするかもです

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