第226話~ヴォルフとルプス~

『……っ! 今度は何をするつもりっす!』



 黒い毛むくじゃらの亜人が牢の鉄格子に掴みかかり、食い気味に奴隷商人を問い詰める。手下の護衛が居ないからだろうか、奴隷商人の豚人族は一瞬だけ怯えた様子を見せた。



『……っ、すみません、まだ少々躾がなっておらず。このっ、私に恥をかかせおって!』



 慌てて俺の方を見て謝り、徐々に湧いてきただろう怒りが足に込められる。何度も牢を蹴り続けた。……まだ12歳とかそれぐらいじゃなかろうか?


 子供であることは間違いない。こんな幼い子まで……しかも今度は、と彼? は言った。つまり今までにも何か酷いことを行ってきたのだろう。



『こちらはあの希少で珍しく価値の高い黒狼族の少年です。戦闘用や労働用としてはもちろん、愛玩用としても幅広く人気があります。……私たちの命を保証して下さるのなら、この子は格安でお譲り致しますし、今後もお客様を優遇させてもらおうと考えております』



 毛むくじゃらの亜人は獣人で、その中でも黒狼族と言うらしかった。人気の商品……らしい。奴隷商人の口も饒舌になっている。


 自分はこのレベルを用意し、融通することも出来ます。なので殺さないで今後とも仲良くしてくれると助かる……奴隷商人の思いはこんな所だろうか?


 ん? ……よく見ると黒狼族の少年の後ろにもう1人奴隷がいるな。守るように隠しているのでよく見えないが。



「そうか。分かったよ」


『はい、引渡しはウルガルスの街で行わさせていただきます』



 適当に返事をしておくと、恐らく最寄りの街と思われる地名が挙げられた。



『なっ!? ふざけるなっす! 奴隷なんて認めないっすよ! しかも妹と離れ離れだなんて冗談じゃないっす!』


『うるさいぞ! お前はこの人に売るが、妹は先約があるんだよ! 一々騒ぐな物の癖に!』



 それに異論を唱えたのは黒狼族の少年だった。しかし奴隷商人は手に持っていた鞭を叩きつけて無理やり黙らせる。だが、今度はその少年の言葉を聞いた俺が黙ってなかった。



「……妹?」


『っ!? え、えぇ……後ろにいる奴の妹のことですよ。残念ですが、断れば経営が傾きかねないほどの大口との取引が成立済みなのでご勘弁ください』



 豚人族の奴隷商人が頭を下げてくる。……ふーん、妹かぁ。この兄妹を、コイツらは奴隷にしたのか……。



「あぁ、別に構いませんよ」


『ありがとうございます』


「やっぱてめぇら全員ぶちのめすから」


『え? ぶばっ!?』



 俺は奴隷商人を思いっきり殴りつけた。地面に叩きつけられ、激しく痙攣している。そして手下同様に気絶したようだ。


 せっかくの情報源を殴ってしまった……だが、後悔はない。コイツらは幼い兄妹を奴隷にして売り払おうとしていたんだ。


 異世界ではそれは普通のことかもしれない。俺がやっていることは非常識なのかもしれない。だがそれがどうした? ただ俺が気に入らないから殴っただけだ。正論なんて聞きたくもない。


 妹……それだけで俺が動く理由になるのは自然の理だ。情報は牢に閉じ込められているこの子達から貰えば良いじゃないか。……うん、やってしまったぁぁぁ!?



『っ…………!?』



 さて、じゃあ次に兄妹の兄の方から警戒を解いていかないとな。俺が奴隷商人を気絶させたことに驚いているが、先程の奴隷商人の発言で今も鋭い目付きで俺をじっと観察している。



「君……このまま奴隷となって妹と離れ離れになるのと、俺と共に着いてくる……どっちが良い? 選ばせてあげるよ」



 元々、お金は何とか用意してこの少年は買い取るつもりだった。だが妹と離れ離れになるなら話は別だ。彼らに酷い目にあって欲しくない。


 選択肢のない選択問題を突き付ける。奴隷商人は倒れ、彼らを圧倒した男からの選択肢。当然自分にとって良い条件を選ぶ……それしか道はない。



『……あん、あんたの目的はなんすか?』


「水と食料、それと情報かな……」


『……?』


「不思議かな? 確かに君たちからしたら理解できない事を言ってることは認める。だから……俺たちに付いてくるなら教えてあげるよ。なに、酷いことはしない」



 うーん、自分で言ってて味方のフリして近づいたラスボスっぽい雰囲気がむちゃくちゃ出てる気がする。



『……1つだけ、約束してほしいっす』


「うん、良いよ」


『まだ何も言ってないっすよ!?』


「妹に関することなんだろ? 言ってみなよ」



 俺たちが信用できない存在なのは俺自身がよく分かってる。目の前にいる黒狼族の少年が妹を大切にしていることもな。



『っ……妹を見捨てないで欲しいっす。手を出さないで欲しいっす』



 俺の目をじっと見つめながら彼は言う。濁りなど1片たりとも感じさせない澄んだ瞳。彼の心の純粋さが見て取れるようだ。



「2つじゃねぇか。……まぁ良い認める。じゃあここは早めに立ち去ろうか。今出すよ」


『鍵は確か、さっき殴った人が持って──』


「必要ないよ。ふっ!」



 俺が牙狼月剣を振るうと鉄? 格子でできた牢屋はいとも簡単に切断できた。無駄にでかい音を立てないよう、地面に着くまでに手を伸ばして掴む。



『ぁ……すごいっす』


「ありがとう。それよりも早くこっちに。妹さんも」


『は、はいっす』



 俺は口元を綻ばせ、精一杯明るく彼とその妹さんを迎えるはずだった。でも妹さんの顔を見た途端、俺は思わず硬直してしまう。



『に、兄様……』


『大丈夫っすよ。少なくとも奴隷商人と一緒にいるよりはマシなはずっす』



 それは見た目の違いが理由だ。毛むくじゃらの兄とは違い、妹はケモ耳や尻尾は生えているものの、人間のような肌をしていた……そんな男女の違いのファンタジー要素に驚いた訳では断じてない。


 ……その妹さんには目がなかったのだ。無惨にも眼球は斬り裂かれ、血で眼球は漆黒に塗りつぶされている。普通の人間なら恐怖で叫びだしているとこだろう。血液が涙のように垂れた血の跡もはっきりと残っていた。



「それ……誰にやられたの?」


『ひっ…………!』


『る、ルプス。ご、ごめんなさいっす。うちの妹、今ちょっと人が苦手で……』



 俺の言葉が自分へ向けられた言葉だったからだろうか? いや、明らかに怒気を孕んでいたからだろう。反射的な速度で彼女は俺から遠ざかろうとして、足がもつれたように膝をつく。


 それを見た黒狼族の少年はぺこりと頭を下げてから、ルプスと呼ばれた少女に寄り添った。あぁ、仲良かったんだろうな……。



「君、名前は?」


『え、あ……ヴォルフっす』


「妹さんに傷を負わせた奴はここにいる人達かな?」


『そうっす。目が見えない方が良いとかで、嫌がる妹を無理やり……地面に与して、ナイフで泣き叫ぶ妹の目を、嘲笑いながら潰していったんすよ。俺がどれだけ叫んでも、頼んでも……今も妹の悲鳴は頭にこびりついて離れないっす。だから、どんな手段を使ってでもコイツらは殺してやりたいっす』



 拳から赤い液体が垂れる。爪が肉に食い込むほど強く握っているだろう。その心境は怒り、無念、負の感情がグチャグチャに混ざりあったドス黒いオーラとして周囲に放たれているようにも見えた。


 俺は改めてルプスちゃんの方に視線を向ける。そして吐き気を催した。えぐれた目の周りが気持ち悪かったからじゃない。同じ会話ができる人に対して、まともに行える所業とは思えなかったからだ。人じゃない、そう思った。


 妹さん……ルプスちゃんには同情した。目にナイフを突きつけられる痛み、嫌がっても続いた恐怖。それらを想像して、その行為を行った人達を人とは思えなくて、気持ち悪くなったんだ。



「……俺は仲間と一緒にウルガルスの街に行く。荷車とサンドリザードを奪ってな。ヴォルフとルプスは付いてくるよね。……こいつらは、どうしたい?」


『……目と耳と喉を潰してじっくりといたぶってから殺してやるっす』



 吐き気を抑えて問いかけると、ヴォルフは復讐の炎を澄んだ瞳にたぎらせて叫ぶ。殺したいほど憎い……その気持ちはよく分かる。だが、俺は復讐に囚われて欲しくないと言うのが心情だ。


 それをすれば心が荒む。使徒……北垣さんから教わったことなのであまり気分は良くないが、それは事実だ。だが、仇が目の前にいて何もしないというのはおかしい。



「ヴォルフ、何もそこまで手を汚す必要は無いよ。目と耳と喉を潰す。大いに結構。でもいたぶるのは止めておこう」


『じゃあ何をすれば良いっすか?』


「いたぶるんじゃない。何もできないまま、飢えに苦しんで死に腐らす。すぐに殺したんじゃ勿体ないだろ? 後悔にまみれながら、懺悔を乞う様を見ようじゃないか」



 だから俺は、ヴォルフが自らの手をできる限り汚さないように立ち回った。……すごいな、今更ながら自己嫌悪で1杯だ。


 なんで俺はこんな提案をしたんだろうか? 琴香さんや氷花さん……知り合いが見たら驚くだろうな。


 やはりこの4日ほどの放浪は凄まじく俺の精神を削っているらしい。


 彼が兄弟で、豚人族がエフィーや俺の敵となる事も理由に入っているのかもしれない。それならこの兄弟にも当てはまるが……分からない。俺は自分の事がよく分からないや。


 現実逃避なんだろうか? 向こうの世界に帰れるか不安だから、こうして知的生命体を殺すことでストレスでも発散しているのか? ……ダメだ、考えても分からない。早く……帰りたいな。



『分かったっす』



 俺が色々と今の自分について考えている間に、ヴォルフは俺の提案を飲んだらしかった。

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