第166話~特別な幸せ、当たり前の不幸~

 私の母は元々夜の店で働いていたらしいです。若くして同僚の人と付き合い、私を身篭り、仕事を辞めて、デキ婚をして、私が生まれて……そして、私が赤ん坊の頃に父は母を捨てた。


 それから母は再び仕事を始め、私の養育費を稼ぐようになり……次第に荒れていきました。



「お、お母さん」


「何?」


「えっと、ね……明日、授業参観なんだけど、ね……」



 9歳の私が小学校からのプリントを両手で持ちながら、遠回しに来て欲しいことを伝えると、お母さんはギョロっとした目で私を見つめます。



「……そう。お母さん仕事で忙しいから行けないわ」


「ぁ、うん。……お仕事、頑張ってね」



 昼間は仕事の疲れを癒すために寝ている母さんはそう言い残して、仕事の準備を始めました。私はそれを笑顔で見送り、1人で冷めたご飯を口に運ぶ日々を過ごしていましたね。


 こんな光景も慣れたものです。これが日常……普通の、何も変わらない当たり前の出来事……。



*****



「初芝~、お前の親も当然来るよな?」


「来るわけないじゃん。初芝はお父さん居ないもんな~」


「今日もお前のお母さん、男の人とエッチなことしてんだろ~!」


「俺らにもおっばい触らせろよ~!」



 授業参観の当日。クラスの一部の男子たちが私を取り囲み、いつものようにお母さんの馬鹿にして、嫌なことを言ってきた。



「お母さんを……悪く言わないでっ……ひっぐ」



 悔しい……お母さんを馬鹿にされて、嫌な言葉を吐かれて……何も言い返せないのが辛い……! 嫌な言葉をひたすら投げ掛けられ、涙が溢れてくる。



「初芝が泣いた~!」


「あ~あ、お前が泣かした~」


「お前も言ったからお前が悪い~」



 うずくまり、顔を隠して涙を拭いた私を見た男子の反応がそれだった。本当は、学校には行きたくない。でも、それだとお母さんに叱られる。


 お母さんは親の都合で中卒だったらしい。そのせいで就職は失敗。私にはいつも、大学は絶対に卒業しなさいと、口うるさく言ってくる。だから……嫌でも、ここに居ないと……。



「こらぁっ、琴香ちゃんをいじめるな~!」



 すると学級委員長の女の子……陽菜ひなちゃんが私を庇うように現れる。陽菜ちゃんは掃除もキッチリとして、お勉強も出来る近所のすごい子なの。



「げっ、陽菜が来たから行こうぜ……」

 


 すると男子も学級委員長の陽菜ちゃんは苦手なのか、どこかへと行ってしまう。



「大丈夫、やっぱりちゃんと先生に言った方が良いよ琴香ちゃん」


「あ、ありがとう。でも、そしたらお母さんが学校来ないと行けないの。お仕事の邪魔しちゃいけないから……給食のお金とかをね、いっぱい稼がないといけないから……」


「でも……」


「お母さんにね、心配かけたくないの……。私は大丈夫。陽菜ちゃんもいるし」


「……分かった。でも、また男子に虐められたら私が守るからねっ!」


「うん、ありがとう陽菜ちゃん」



 渡されたハンカチで涙を拭きながら、陽菜ちゃんは笑顔でバイバイとどこかへと行ってしまった。



***



 授業参観が始まった。クラスの人達のお母さんが、席の後ろや廊下の窓から覗き見ている。先生もスーツを着て身だしなみにも気を付けているのが分かった。



「それじゃあこの問題がわかる人!」


「「「はい!」」」



 先生が簡単な問題を尋ねると、皆お母さんたちの前で良い格好を見せたいのか、あるいは親からの印象を考えて適当に上げているのかは分からないが、大きな声とともに沢山の挙手が上がる。



「それじゃあ……陽菜ひなちゃん」


「はい!」



 まずは学級委員長の陽菜ちゃんが先生に当てられ、手渡されたチョークを使い黒板に文字を書いていく。



「はい、正解です!」



 先生の言葉を聞きふふん、誇らしげな顔をした陽菜ちゃんが自分の席に戻る。よく見ると人一倍喜んでいる女性がいた。陽菜ちゃんのお母さんだろう……。


 それからも、いつもより多く問題の質問が先生から飛ぶ。クラス全員の手が挙がった。私も挙げている。



「それじゃあ……琴香さん」


「……はい」



 まさか当たるとは思ってなかったので多少驚きながらも、皆に見られて緊張しつつ答えを書いていく。



「正解です! よく出来ましたね!」



 先生の言葉で少しだけ嬉しくなり頬が緩む。すると何故か喜んでいる人がいた。私が正解したところで喜ぶような人なんて……。



「え……お母、さん?」



 そこにいたのはお母さんだった。仕事で来れないと言っていたはずの、お母さんがそこにいたのだ。



「琴香さん、どうかしましたか?」


「ぁ、い、いえ……」



 急に立ち止まった私を心配した先生の声で私は再び自分の席へと戻る。チラリと後ろを振り返ると、そこには確かにお母さんがいた……。



「お母さんっ!」



 授業が終わると、私はすぐに帰る準備をしてお母さんの元へと向かう。



「来てくれてありがとうっ! なんでっ? なんでいるの? お仕事大丈夫?」


「お仕事の人にお願いして、1時間だけ来れるようにして貰えたの。あんな難しい問題を解けるなんて、琴香は賢いわね」



 お母さんが私の頭を撫でながら説明してくれる。それだけじゃなくて、私が問題を解いたところを見ててくれたの。それも褒められちゃった……!


 私はこの思い出を一生忘れない。そう胸に誓った。



***



「お腹、すいた……。何か食べるもの、あったっけ……?」



 高校から帰ってきて、そのまま布団で寝ていた私が小さく呟く。先程まで見ていた小学生の頃の夢は、私が1番嬉しかった出来事だ。


 高校1年生。15歳になった私は布団から起き上がり時間を確認する。夕方の6時……お金、あったかな……?


 パカッと財布を確認すれば、そこには十円玉が3枚に一円玉が2枚。五円玉が1枚だけ残っている。……これじゃあ、う○い棒3本しか買えない……夜ご飯には、足りないよぉ……。


 お母さんは私が約4年前、12歳の頃からおかしくなった。いや、と言うより今までが異常だったのかもしれない。


 お父さんはいない。援助金もなく、1人で私を養ってくれていたのだ。私が中学に上がると同時に、仕事関係で出来た男の方に居座るようになった。


 しかも、それは1人ではない。この4年で私は既に3人ほど男の人が入れ替わっている事を知っている。ともかく、お母さんは男を作って私を放置中。


 それからは炊事洗濯なども私が全部している現状。お母さんは食費などと言い、1週間に1度、1000円札を何枚か置いていくだけだった。



「──って。ほら」



 ガチャリと扉が開く音がして、お母さんの声が聞こえる。久しぶりにお母さんが帰ってきたんだ……!



「お母さ──」

 

「あら、居たのね琴香。紹介するわね。私の新しい夫になる人よ」


「初めまして、琴香ちゃん」


「…………ぇ?」



 お母さんの横には知らないおじさんが立っていた。お母さんは目をキラキラとさせておじさんの腕に抱きつき、貧相な体の私にはない豊満な胸を押し当てている。


 私はなんとも言えない気持ちになった。お母さんに好きな人が出来て、笑顔になっているのは嬉しい。でもなんだろう……違和感というか、不快感? ううん……上手く言葉に出来ない。



「……ぁ、は、初めまして。初芝琴香です。よろしくお願いします?」



 お母さんの目が鋭くなっていることに気づき、慌てて簡単な自己紹介を済ませる。



「お母さんね、この人に運命を感じたの。琴香も早くこの人に慣れてね?」


「う、うん……」



 私は微笑しながら頷く。運命とかは信じていないが、お母さんが私にまで紹介することは今まで無かった。このおじさんとの結婚も、ちゃんと考えた結果なんだろう。


 ……だったら子供の私は祝わなきゃね。だってお母さんは、私をここまで育ててくれたんだから。


 その後はテーブルに着き、おじさんの買ってきたお寿司を食べる。お寿司なんて私が普段食べているような質素さは無い、まるで私のお誕生日かと錯覚するほどの高級品だ。



「こ、これ食べて良いの?」


「えぇ」


「お食べっ」


「頂きますっ!」



 2人して笑顔を浮かべて私が最初のひと口を食べるのを待つ。綺麗に割れなかった割り箸がサーモンへと伸びる。


 割り箸で優しく掴み、小皿の醤油に刺身部分をチョコンと付けて口に放り込む。



「~~っ!!!」



 少しだけ脂身の乗ったサーモンにキュッと締めた酢飯。それに醤油がすごく合う。あまりの美味しさに声にならない感嘆の声が口から漏れた。



「すっごく美味しいです! あの、おじさんありが──」


「琴香、お父さんと呼びなさい」


「あはは、出会ったばかりでそれは無理ってもんだよ。おじさんで大丈夫。いつかはお父さんって呼んでもらえるように頑張るけどね」


「ぁ、はい。すみません……」



 私は少しだけ気落ちする。でも2人の前でそんな顔を見せられないので、できる限り明るく振舞った。そのかいもあってか、お母さんは終始笑顔を浮かべていた。


 あぁ……本当のお父さんは、私がまだ1歳の頃に出ていって正直顔も覚えていない。でも、この感覚は分かる。


 働き詰めで冷凍食品を1人で食べたり、もやしにおからを中心とした自炊料理を1人で食べてた頃とも違う……これが、家族と過ごすって事なんだ。そう考えると、自然と頬が緩んだ。


 この時の私は忘れていた……。初めておじさんを目にした時に感じた変な感覚を。それが依然として、拭えていないことを……。



「ふぅ……」



 水道代やガス代などがもったいないので、普段の私はシャワーで済ませていた。しかし今日からはお母さんとおじさんも入るので、浴槽に貯めたお湯につかっている。


 体がポカポカと温かくなって気持ち良い……今日はなんて良い日なんだろう。もしかして、今日見た夢って正夢に似たようなやつだったのかな? 


 お風呂から上がり、脱衣所で水が滴る髪や体をバスタオルで体を拭く。その後に下着を履いてパジャマに着替えようとしていると、ガラリと扉の開く音がする。



「ひっ!」



 思わず悲鳴が漏れ、近くに置いていたバスタオルで体を覆い隠す。何故なら扉を開けたのはお母さんが連れてきたおじさんだったからだ。



「っ!? すまない! てっきりもう上がったと勘違いしたよ」



 おじさんは着替えを腕に抱えて入ってきたものの、私がいることを確認するとすぐに扉を閉めて謝ってくる。



「つ、次から気をつけてくださいね。おじさん」


「あ、あぁ、すまないね……」



 私は笑いながら脱衣所を後にした。本心ではとっても嫌だったし、悲しかった。それでも、お母さんが連れてきて今後はお父さんになるかもしれない人だ。


 これぐらいで文句なんて言ってられないよね。……でも、今度からはドアノブに『入浴中』って書いた札でも掛けておくようにしないと……。


 私は呑気にそんな事を考えながら、自分の布団に潜り込んだ。去っていく私の背中を、おじさんが恐ろしい目で見ているとも知らずに……。

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