第28話 崩れるものは

「田無さん。あなたが無茶やった事、聞き及んでますよ」

 そして呼び方が結婚後の苗字に戻った。

 ――いったい何の意味が?

「それ……は」

 ところが叔母さんには、今のだけで十分だったようだ。やっぱり青ざめてはいるんだけど、怒りで、と言うよりは普通に恐怖している感じ。そして追い込まれたように、叔母さんはこう続けた。

「それは内緒にする約束!」

「はぁ、でもそれは先に『やすはら先生に迷惑を掛けない』という約束が守られてこそ、のはずです。まさかお亡くなりになったから、もう時効だとか――そんなことをお考えになったんではないでしょうね? あなたは先生にどこまで迷惑を掛ければ気が済むんです」

 何だ?

 何が起こってるんだ?

 思わず母さんを振り返ってしまうが、母さんもよくわかってないみたいだ。

「この人はね、朋葉くん。英橋館に乗り込んで、兄の原稿料を寄こせとやった人なんだよ」

「え? ええ、それはちょっと……」

 英橋館と言えば大手漫画雑誌を抱える、かつての父さんの主戦場だ。言ってはなんだが、小谷さんが勤める碧心社とは桁が、もしかしたら四桁ぐらい違うかも知れない。

 いや、会社の大きさは関係ないか。どんな会社相手でも、そんな無茶が通るはずがない。

 ああでも叔母さんなら確かにやりかねない……でも、何でそんなにお金を?

「詳しくは知らないよ。でもこのトラブルに英橋館の編集、壁殿さんが間に入って、色々揉めたらしいんだよ。何せこれって『民事事件』の範疇だからね。身内である以上は。ただ、そちらの“田無”さんが、危うく“安原”に戻りかけたって言うんだから……単純にお金の使い込みなんだろう。生活費なのか旦那さんの会社関係なのか」

 つまり離婚されそうになったと。これは浪費癖がある感じか。となると、学費云々も全部嘘では無いにしても、自分で使う分も勘定に入れている可能性がある。それに……母さんを紹介した手間賃みたいなものまで懐に入れている可能性もあるな。

 この叔母さん、とにかく行動の中心に「金」を置くと途端にわかりやすくなる。そして本人が「世間の常識」と「親戚」というお題目でそれを糊塗してしまう――ただ「民事事件」とは。

 意識してのことだと思うけど、小谷さんは酷く淡々と説明してくれている。でもこれ小谷さんも随分怒っている気がするな。

 しかし……なるほど、それでか。父さんが事故に遭ったとき、小谷さんはとにかく叔母さんに気をつけるようにという忠告をしてくれたわけがわかった。

 僕は会ってすぐに「この人はかわいそうな人だ」という評価になって、ずっとそれが継続してたんだが……何しろ「遺産管理」について、わかりやしく食指を伸ばしていたからな。

 僕はわざわざ言いふらすこともないだろうって――僕はどうでも良くても、母さんは親戚付き合いが……あれ?

 もしかして僕たち母子おやこはまたやってしまったのか? お互いに遠慮し過ぎて、全然前に進めないという。

 これは母さんと確認――

「玲子さん! それは本当ですか!? また直樹さんに面倒を掛けていたんですか!?」

 ――そんな事を僕が考えている内に、母さんがいぶきの横に並ぶ勢いで叔母さんに詰め寄っていた。

 あ~~……これはもしかして叔母さん色々やらかしてるな。

 あんまりみっともないんで、英橋館の件は、さすがの父さんも母さんに内緒で処理してしまったんだろう。それで僕たちは……いや母さんはそれを知らなかった。でも英橋館でのトラブルの前にも、何かしらあったんだろうな、これは。

「ち、ちがうのよ、映里さん。それは誤解で――」

「そういう言い逃れを繰り返すものだから英橋館は、田無さんがお書きになった念書をお預かりしている様でしてね。今回、その存在を確認しました。そろそろ大人しくなってくれませんかね――それで朋葉くん」

「はい?」

 このタイミングで僕?

「その……学費云々を欲しがってるのは本人の口から確認したのかい? えっと、いとこで良いんだっけ?」

 ああ、そういう……それなら。

「いいえ。僕はいとこに会ったこともありません」

「やっぱりそんな状態か。とにかく君の叔母さんを間に入れちゃダメだ。直接話を聞いてみた方が良い。単に断っただけじゃ逆恨みされるかも知れないからね――奥さん、ということで良いですか?」

「ええ! ええ、本当にもっと早くこうしていれば良かった! 子供ためを思うなら、親戚付き合いが大事と言うなら、どうして交流させようとしなかったんです!?」

 これについては母さんも僕も答えは知っている。

 とことんまで“マンガ”に関わることを汚らわしいと思っているからだろう。それなのに漫画家である父さんに寄生しようというのは……やはり凄まじいな。

「あ、あなた、いきなりなんなんです?! こんな事、身内だけの話って常識的に考えれば――」

 何故か日本はそういうことになってるね。法治国家なのに。

 だけど、その理屈を持ちだしてしまうと――

「私も身内の話ですよ。そこにいる怖い女の子が私の姪でしてね。私は徹底的に姪に便宜を図ると決めてるんです。何せ身内ですから。で、その身内があなたを邪魔者認定してしまって、徹底的に排除しろと言うものですから、今回コネも使って徹底的に。私は姪に甘いので」

 堂々と小谷さんは宣言するけど、まったく理屈になっていない。ただ理屈が伴わなくても、実際に小谷さんはそういう方針で行動している。

 考えてみれば、叔母さんとあんまり変わらないな。

「それで朋葉さん!」

 機を見計らっていたいぶきが吠えた。

「もう映里さんの親戚付き合いを気にしなくても良くなったのよ!」

「わかってるよ。それなら僕の答えは最初から決まってる。そろそろ工事も始めて貰いたいし、叔母さんには出ていって貰おう」

 ……しかし、いぶきには僕が躊躇っていた理由も見透かされていたのか。

「朋葉さん、なんて事を!」

 今度は叔母さんが声を上げたけど、声が大きいだけだもの。でも良い機会だ。

「――至極真っ当なこと要求してるつもりですが。常識的でないと言うなら、あなたを恐喝の現行犯で警察に“届けない”という判断の方でしょう。もっとも、これで警察が動くかというとそんな事も無いはずで、となれば僕としては、別の方法を試さざるを得ない」

「べ、別って……」

 恐喝や警察といった不穏当な単語を並べたことで、叔母さんの目が泳ぐ。いや、これは理不尽な目に会っているという被害者根性の表れかな?

「僕たちは非常に迷惑している。ひいてはそれで、多くの人に迷惑を掛けている。いぶきはその筆頭でしょう。ですが叔母さんに話が通じないというなら――叔父さんはまともである事を祈りますよ。いやまともでなくても世間体があるなら、間違いなく叔母さんの事を良くは思わないでしょうね」

「ま、待って――」

「そちらは将来的な保険として、先にいとこ達には僕から話を付けさせて貰いますよ。いくらいるのか。どういう見積もりなのか。それぐらい把握して貰います。父さんが死んだとき、僕は子供と言っても良い年齢でした。それでも手続きをやり終えた。将来的にフラフラするような男でも、それぐらいは出来たんです。なら。自分の学費ぐらい把握する事は出来るでしょう。ですから連絡は絶対です」

 小谷さんの言葉に導かれた形だけど、確かにそのほうが良い。何故なら、こう繋げることが出来るからだ。

「これで、ご懸念の学費については将来さきが見えた。母さんは、再婚する気は無い――少なくとも叔母さんの世話ではね。何より、僕がイヤだ」

「だ、だから、それは世間の常識として――」

「常識ですって? あなたが? 漫画の一つも知らない人間が?」

 いぶきが完全に叔母さんを見下した。

「常識を知ってこそ、漫画が面白く感じられるものなのよ! そうやって人は自分の基準を見つけてゆくの。あなたは何? 自分にとって都合の良いものだけを見て、それ以外には目を向けてこなかった。だから、そんな事になる」

 凄く強引だけど、僕も概ね同意だ。だからこそ、僕はそのまま先を続ける事が出来る。

「もう叔母さんには常識を理解してくれとは言いません。でもこれだけは理解した方が良い。叔母さんの出る幕はない。出る必要も無い。それも理解出来ないというなら『民事不介入』を効果的に使うしか無い」

「それは、母さんがやるわ。息子にここまで言わせて、母親としてそれで済むはずが無い。今すぐ出ていって!!」

 母さんが、悲鳴のような声をぶつけた。

 そして再び訪れる静寂。工事の音が響く。玄関先の業者はいつの間にか出直しを決めたようで――


 ――その時、柔らかな音が僕の耳朶を打った。


 工事の音ではない。

 何かもっと、頼りなくて、軽い、今にも消えて無くなりそうなその音は。


 いぶきが……倒れた音だった。

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