第27話 破壊には破壊を
声は確かにいぶきのものだと思ったけど、その姿を僕が視界に収めたとき、思わず二度見してしまった。
まず格好が……良いように言えば部屋着然としていた。正直、この格好で飛行機なり新幹線なりに乗り込んだら逆に人目を集めそうな。
膝丈のブラウンのスカート。襟が立ったカッターシャツの上から柄物のセーター。さらにはピンクのカーディガン。いや組み合わせよりも、着こなしを放棄しているとしか思えないような、乱雑な有様がまず人目を集めると言うべきなのだろう。
乱雑なのは服だけでなく、先に注目すべきはぼさぼさの頭なのかもしれない。
一体、何があったのか。
いつの間にか玄関から陽の光が差し込んでくる時間帯になっていたらしい。結構な逆光で、その表情までは窺えないが……あれは“クマ”だよな。
原稿にかかり切りになって、睡眠時間でも削っているのか――もう、いぶきの担当分のペン入れは概ね終わってるはずで、そんな無理はしないで済むはずなんだが。
もしかして背景を何としようとしているのか? そうなると……
「朋葉さん。奥に座ってるのが邪魔者ね!」
声は元気なんだが、これはもしかして徹夜ハイになっている? 僕は答えを求めて、続いてやって来た小谷さんを確認してみると、随分困ったような表情を浮かべていた。まさに被害者という感じの様子だが、この場合、真の被害者は工事業者の人かも知れない。
呆気にとられているし。
「じゃ、邪魔とは何です!?」
一方で、被害者志望の叔母さんは、いぶきの矛先が自分であると即座に察したようだ。志望なだけに、自分への攻撃には敏感なようだ。そのまま自分を被害者にする算段まで組み上がっているに違いない。
でも、相手がいぶきだから――
「邪魔と自分でわかってるのに、どうしてそんなに偉そうなの!? 反省してさっさと出て行きなさい! 常識というものは無いの!?」
――こうなるな。
「じょ、常識って……」
まさか常識の有無で、自分が責められるとは思ってなかったのだろう。いぶきは僕の前を通り抜けて、叔母さんに詰め寄りながら、完全に上から目線で叔母さんを圧倒していた。
そうとなると、いぶきの婆娑羅な雰囲気も手伝って――もしかして、いぶきの演出?
「こうやって、あなたの相手してるだけ時間の無駄なのよ。さっさと出ていって絡んでこないで」
「わ、私は親戚として――そうよ! これは親戚同士の問題なんです。あなたの方こそ邪魔なんですよ!」
「親戚で……それが何だって言うの?」
心底不思議そうに、いぶきが答える。
「親戚がどうとかは全然関係ないでしょ! 親戚って事が切っ掛けになって、それで親しくなるかも知れないけど、あなたって全然親しくないでしょ? 本当に親戚ってだけで、偉そうに出来ると思ってたの? 本気のバカなの?」
そのまま追撃に移った。さらにいぶきは続ける。
「とにかく朋葉さんの……映里さんの邪魔はしないで!!」
だが色々限界だったらしい。肺活量というか……肩で息をしてるし。その隙に、と言うべきか、叔母さんの矛先がこちらを向いた。
「朋葉さん。一体どこまで、この方に話をしてるの? これは身内だけの話でしょ? 常識で考えなさい」
常識的に考えると、いぶきに内緒で済むはずが無い。
僕は詳らかに、いぶきに状況は伝えてますよ――進捗に併せて行っているので、僕も何を伝えているのか覚えてないんだけど。描く方に神経が行ってるからなぁ。
「朋葉さんは漫画で……」
「マンガですって? あなた、その方面のお知り合いなの?」
僕のフォローをしようとしたらしい、声を発したいぶきに向かっていきなり余裕の笑みを浮かべる叔母さん。“マンガ”関係の人間であると言うことで、こちらを塵芥ぐらいの認識にしてしまったらしい。
つくづく不思議な思考回路だが、それで心理的余裕を取り戻したんだから、これはこれで凄いのかも知れないな。
「これだから……私は親戚としての責任として映里さんに幸せになって貰うために、こうして手を尽くしているんです。関係ないあなたこそ――」
「あのねぇ。映里さんが躊躇ってるんだから、普通は引くの。本当に常識大丈夫?」
正論ではあるな。
「親戚としての立ち振る舞いも――」
「お金を寄こせって言うのも、その“立ち振る舞い”なわけ? とんでもない常識もあったものだわ」
いぶきが、叔母さんを煽るように肩をすくめた。
「それで映里さんに恩を売ろうって言うんだから――少なくともバカでは無いのかも」
「な!?」
あれ? この辺りほとんど僕の受け売りじゃ無いか。意識しない間に、随分といぶきに語ってしまったみたいだ。
……制作が遅れていることの言い訳も必要だったわけで。
近付いてきた、いつのようにシュッとした出で立ちの小谷さんが、何だか険しい表情で僕を見る。何か責められているような……心当たりは、やっぱりいぶきに話し過ぎの部分かな?
確かに、いぶきには話しすぎだと思うけど。それを言うなら……
再び、騒音レベルの工事の音が響いてきた。いや
「ば、バカって……そんなこと言われる筋合いはありません! 確かに、そういう援助があれば助かりますが……いいえ、やっぱりバカなのかも知れない」
そんな無関係な“観客”の前で、叔母さんによるショーが始まった。
一見、殊勝そうな告白が始まりそうだが、叔母さんはそういう人ではない。
僕は変わらず冷めた気持ちで叔母さんを観察し続けたが……いぶきはどうなんだ? もう背中しか見えないんだけど。
「でもね? 母親ってそういうものなの。傍目にはバカみたいな……それこそ常識外れに見えるかも知れません。でも、それでも子供達には幸せになって欲しいと考えるのが母親ってものなの。あなたはまだお若いんでしょう? この気持ちはまだおわかりにならないかも知れないわね」
なんだかんだで、しっかり最後にはマウント取ってくる叔母さん。
やはり習性の問題なんじゃ無いのかな、これは。
しかし、ここまで自信満々に言われると「そういうものかな」と、納得してしまいそうになる。
実際、母さんの表情に何だか揺らぎが見えるし。
ただなぁ……どうにも叔母さんの
それは叔母さんの「本音」じゃ無くて、母親ならこうなるだろうという「建前」を形にしただけだもの。それでは、どうにもならない――特に漫画に限らず創作物に多く接している者としては。
同じ「母親」なら、それでも自分の経験に引っ張られる可能性もあるかもしれないが……いぶきはどう判断するのだろう。
「――そうね。あなたが“常識的”ならね」
いぶきが今まで聞いたことがない底冷えしそうな声音で――何だか死刑宣告でもするような雰囲気なんだけど。
「ですから! 母親として、例えそれが常識的でなくても!」
叔母さんが必死になって言い募っているが、いぶきはそれに構わず首だけを動かしてこちらに振り向いた。形相がますますとんでもないことになってるけど……僕を見てない?
じゃあ、振り向いた理由は……小谷さん?
そんな僕の視線に気付いた小谷さんは、フゥ、とため息をついた。そして常識的な、それと同時に場違いな行動に移る。
「――初めまして、田無玲子さん。私は碧心社の小谷と申します」
名刺は出さないようだが……何だ?
いや、これもいぶきの手の内か? そうだ。いぶきが徹底的にやるとなったら、猪突猛進に突っかかるだけじゃない。状況を利用して何かを企むはずだ。
「それは……あなたは随分その……」
「それでですね。碧心社というのは出版社でして……と言うことは、私の職業は編集というものでして。現在は書籍関係なんですが……」
何だか随分と言いづらそうだけど。
「あなたもマンガの?」
途端に叔母さんが眉根を寄せる。これはもう病気なんじゃないか? 名前がまだ付いてないだけの。
対する小谷さんは、そんな叔母さんの表情に構うことなく、こう続けた。
「ええまぁ。それでご存じないとは思うんですが、編集というのは結構横の繋がりがあるんですよ。だからね。お話を伺ってるんですよ。英橋館から――ねぇ、安原玲子さん」
それは叔母さんの旧名……だよな?
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