第26話 工事の最中に

 母さんが再婚したいというなら、それは喜ばしいことだと思う。

 ……そんなに簡単に割り切れるとは思えないけど、割り切る方向を間違うつもりは無い。

 逆に言うと、母さんにその意思がないのに、強引に話を進めるというのは……一体どういう心境なのかな? 相変わらず叔母さんは謎の思考回路を持っているらしい。

 いや、本音は判明してる。僕のいとこ達の進学にあたって資金援助して欲しい、と言うのが大体のところだ。この大体、と言うのが曲者なんだけど……

 それはともかく、叔母さんはその交渉を有利に進めるために僕たちに「良いことをしよう」と思い立ったようだ。良いこととは、叔母さん基準であることは言うまでも無い。

 そんな自分本位の“正しさ”を纏った叔母さんは、最初は携帯で母さんに話を持ちかけていた。

 母さんはそれをやんわりと断っていたんだけど、もちろん“やんわり”なんかで止まるような叔母さんでは無い。それに加えて、僕は「続編」制作があるから、いつまで経っても叔母さんの前に姿を現さないわけだ。

 こうなると叔母さんの思考回路は、

「映里さんはただ遠慮をしてるだけ」

 ということになるらしい。

 これは根っ子に「どうしてもお金が欲しい」という欲望があるんだけど、叔母さんは当然ながらそれに気付いていない。何故なら、叔母さんはさらに進化して、

「どうしてこんなに親切な私の申し出を無下にするの?」

 という状態だからだ。このおかしな理屈を叔母さんは本気で信じてるっぽいんだよな。自分で自分を騙している、なんて説明が当てはまるんだろうけど、騙しているという自覚すら無い、かなり末期的な状態だ。

 こういう人種が存在する事を理解したときは、なかなか興味深かった。正直、漫画に出てくるフィクションかと思っていたんだが――漫画を読めない人は自分を客観視することについて深刻なハンデを抱えることになるらしい。

 けれど、これは基本的に母さんが判断するべき事で、その母さんの反応がどうにもあやふやなんだよな。そんなわけで、叔母さんが襲来するとなると、おちおちと原稿に取りかかれないし、逃げるために外出する必要も生じる。

 二月になってからは、どうにも僕の進行が遅くなって、その内にいぶきのペン入れが終わってしまった。出来るところは、だけど。そして、ラストはどうするのか? という僕の宿題はそのままに。

 つまり簡単に言ってしまえば――今は危機ピンチだ。





 やたらに工事の音が家の中で響いている。それもそのはずで、このマンションは配管全体の整備工事中だ。こういうメンテナンスは欠かせないし、有り難くはあるのだけどうるさいことは間違いない。

 それでも、このうるささが叔母さんを少しでも辟易させているとしたら、メンテナンス以上に有り難がっても良い。

 ただ、その工事のために「四日間外出を控えてください」なんて言われるとは思わなかった。

 そのために僕ら母子おやこは逃げることも出来ず、まるで家の主のように居座る叔母さんから逃げることも出来なかったわけで。

 窓から差し込む、午後の光を背負いながら叔母さんは、母さんを睥睨していた。

 切り揃えられたボブに、スミレ色のスーツ。さすがに世間体を気にするお方は、身だしなみもキッチリしている。それに加えて僕はさっぱり気付かなかったが、どうやら美人という評価が当てはまる容姿の持ち主らしい。

 ……それで更生の機会を逃したんだな、きっと。

「どうなの映里さん? 良いお話だとわかってくれたはずよね?」

 あくまで居丈高に叔母さんは、そんな台詞を飽きずに繰り返している。

「はぁ……」

 その叔母さんの対面に座る母さんは、シャツの上からトレーナーという部屋着然とした出で立ちだ。叔母さんに、お茶を提供するために使った丸いお盆を抱え込んだままで。

「だから……!」

 そんな母さんに向けて、叔母さんが苛ついたように腰を浮かそうとする――が。僕は黙って、そんな叔母さんを見下ろした。

 その僕が何をやっているかというと、居間の壁際に背を預けて、母さんを上から見下ろしている叔母さんを、さらに上から見下ろしている状態だ。別に睨みつける必要も無くて、ただひたすら叔母さんを観察。

 基本的には僕の意思より先に、母さんの意思を確認しなくちゃならないことだと思う。だから僕も母さんの煮え切らないに返事にはヤキモキしてはいるんだが……何より母さんの返事を待つって事をしないからな、叔母さんは。

 僕の視線に気付いた叔母さんは居住まいを正して、直接的な交渉を始めた。本命の資金援助の話だ。でもそれが望みなら――

「それでね。うちの子が今度高校に上がるんだけど」

 面白いぐらいに何の脈絡もない。叔母さんの中では「親戚同士の話し合い」でざっくりとカテゴライズされてるみたいだ。それでも本命の大学への進学については、後回しにするぐらいの……いや、そんな事考える人だろうか?

 単純に、娘の方が先に頭をよぎったからなんだろう。

 ちなみに僕は、いとこ達の名前は覚えてない。会った事も無いから。何しろ、叔母さんには「マンガ一家には関わりたくない」という事を遠回しに言われた覚えがある。

 それで無心に来るんだから……それでも叔母さんにしてみれば「悪の巣窟」に乗り込んでくる心持ちなのかも知れないな。

 ただ話がそちらに行くなら僕も口を出せる。

「それで?」

 そうすると、叔母さんは僕をキッと睨みつけてきた。

 “正義は我にあり”という感じだな。僕がこの言葉を初めて知ったのはもちろん漫画からで、その時のキャラクターは、こんなに自己肯定をしまくっている台詞なのに、何だかとても哀しそうな――どこか厭世的な表情だった。

 この言葉の危険性を、僕はこうやって客観的に知ることが出来たわけなんだけど、漫画を読めない人には。その機会も巡ってこなかったらしい。

 可哀想なことだと思うよ。

 僕はこの時、それこそ厭世的な表情を浮かべていたんじゃないかな? それがまた叔母さんを苛つかせるみたいだけど。

「いい年して、働きもせずにフラフラしている貴方にはわからないかも知れませんけどね。これはもう“世間一般の常識”という問題なのよ」

 ……ここで、止めてしまうのが叔母さんの狡さだよなぁ。

 自分の欲望を社会的通念「親戚は助け合わなければならない」「子供を助けようとする母親の心情は絶対正義」に置き換えて、こちらが自発的に動くことを要求する。

 それに併せて「真っ当な家庭」を構築するための世話までしてあげるんだから、むしろ何故、この無職は自分たちの世話を出来ることを喜ばないのか? それがイーブンというものでしょ?

 ……というぐらいの理論武装は行っているのだろう。

 しかし自分から「金を出せ」と言わないのだから、その理論は初めから破綻している。僕はその弱点を、同じように肝心な部分を口にしない手法で突いてやった。

「――で?」

 つまりこういう感じに尋ね返す手法。

 叔母さんは、何だか青ざめてしまったようにも見える。その上で、唇を噛んでいるんだから……これは自分を被害者だと思っているんだろうな。

 期せずして、何だか静寂の時間が訪れてしまった。変わらず工事の音が響き渡っている。何しろ「壁を壊して工事します」――なんて事が回覧板で回ってきたから、納得の音量ではあるな。

 そして、まるで今の安原家の状態を見越したように、呼び鈴が鳴った。

 即座に反応してインターフォンに飛びつく母さん。逃げた、ということになるのだろう。僕は叔母さんの牽制で動けないし。

 ……というかそろそろ帰って貰えないものか。今日は不退転の決意でも固めているのか、叔母さんは随分と粘り腰だ。

「どうも失礼します。そろそろ工事にかかりたいと――」

「はいはい。聞いてますよ。こちらに――」

 玄関では扉を開けた母さんと、工事業者が打ち合わせを確認し合っているようだ。

 これで「親戚内でのお話」をする環境では無くなるはず……完璧な部外者がどうしようも無い理由で、家に逗留することになるんだから。

 だからこそ留守に出来ないというハンデを逆転させるなら、このタイミングになるはずだったんだが……動かないね、叔母さん。

 これはこっちから「帰れ」といって、叔母さんの被害者欲求を満たさないことには、ずっとこのままかも知れない。

 さて、どうしようか、と僕が天を仰ごうとしたとき――


「都合よく開いてるわ。お邪魔します、映里さん。叔父さんも、一緒に来て」


 ――いぶき!?

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