第四章 デストロイ・ダブル

第25話 恥を知らぬもの

 年が明けて――


 いや、これはもう済んでるのか。とにかく綺麗に切り替わったわけでも無く、それでも正月というものは、あれこれとやることが出てくるものらしい。それでも一週間も経てば落ち着いてくるもので、七日がいわゆる「松の内」なんだろう、とやっぱりネットに依存してみると――

(関西では十五日?)

 と、大いに首を捻る情報が出てきた。

 やはり、ネットに頼りすぎるのは危険だな。そもそも関西での学校の冬休みは大体七日までだ。これが北国では勝手が違うわけで……その内、この情報も世情に合わせていくのだろう。

 そして僕は「宿題」を抱えたまま、実際の作画作業に入る。

 その間も、色々と修正していくことになるのはもちろんなんだけど、基本無言。

 いぶきもそんな状態らしく、黙々と作画して、進捗状況をLINEで確認し合って、それで日が暮れる、という感じの生活リズムを獲得していた。

 いぶきは日中は大学に行っているからだろう。速度がそれほどでは無い。僕も学生相手に無茶を言うつもり無いし――そもそも締め切りが無い――どうしたって背景を描くのは僕が中心となる。だから、これはこれで良いバランスだと思う。

 始まってしばらくの間は、いぶきは完成させた原稿を、ためつすがめつ――取り込んだ原稿相手にどうやってるのかは謎だけど――ひたすら感嘆の文字列をおくってきていたのだけど、その内それも収まってきた。

 多分……思った以上に大変なことに気付いたんじゃ無いかな? 今まで一本完成させたことが無いのなら。これはやってみないとわからないと思うけど、漫画は一ページ完成させるだけで思った以上に疲労する。一番堪えるのは、本当に飛んでゆくように時間が飛んで行ってしまったという……やっぱりあれは「後悔」という感情が一番近い気がする。

 ――なぜ、こんなに時間が経っているのか?

 と、一ページ完成させた喜びよりも、次第に追い込まれたような気持ちになるものだから。

 本当に週刊連載なんて、全部が“狂気の沙汰”である事は間違いない。

 僕は常々考えてることがあるんだけど、小学校あたりの図画工作の時間で、漫画を一ページ模写という授業があっても良いように思う。

 これを授業で体験することで「簡単に描けるんでしょ?」なんて言葉が使用される頻度は、かなり抑えられると思うわけだ。

 それでも理解出来ない人にはどこまでも理解できないだろうという“諦め”も確かに僕はある。そして、その諦めが通用しないのが――“身内”という物体だ。







 一月の間は、それでも順調だったと思う。

 だけど二月に入ってから、非常に困ったことになってしまっていた。

 いぶきの方では、環境にさほど変化がないようだから、問題になってるのは僕――というか安原家なんだけど。

 その問題は去年にはもう発生していたようだ。いや、もともと抱えていた問題が顕在化したと言った方が正確かも知れない。

 去年から僕は母さんの様子に違和感を覚えていたんだけど、思い返してみれば、この問題が根っ子にあったからなんだろう。

 ……僕が母さんにバレないように適当なことを並べただけでは無い。と、誰に主張しても虚しさだけが募るからそれは控えておく。

 それよりも、この頃には僕が漫画描いてることが母さんにバレているわけで、母さんは逆に問題を隠してくれていた――それに気付かなくてはいけなかったわけだ。

 年末年始にいぶきが来ることを母さんが歓迎したのも、多分この問題を先送りに出来ると踏んだからだろう。「問題」はそういう世間体的なものを気にするからな。

 ……そんなものを気にする前に、もっと気にすべき部分があると思う。

 そして、この「問題」が動き出していると気付いていたら、僕は間違いなく「続編」制作に携わってる余裕は無かっただろうと言うことだ。

 しかし、親戚一同が俄に連絡を取り合う年末年始も過ぎ去り、その反動で忙しくなる一月も過ぎ去った頃、その「問題」が蠢きだしたわけだ。

 最初はいかにも親切そうに。

 その実は――年度末という問題が間近に迫っているという、かなり切羽詰まっている事情もあるわけだ。それがバレバレなんだけど、それでもめげずに自分の正しさを疑いもしない「問題」。

 その問題は名前を「田無玲子」と言って――要するに父さんの妹だ。

 僕にとっては叔母だな。





 で、この人物の何が問題かというと……存在?

 とにかく徹底的にソリが合わない。

 これは僕だけの問題では無くて、父さんも合わなかった。その点では、血の流れを感じるけど、相手が叔母さんだけに、どうにも話がややこしくて困る。

 どう合わないかと言うと、まず――「叔母さんは漫画の読み方がわからない」。

 それは個人の特性だから、それだけなら僕としてもソリが合わないまでは言わない。ところが叔母さんが「問題」なのは、自分がわからないものを全部「悪いもの」として処理してしまう部分。

 これは叔母さんだけの問題じゃ無くて、父さんの実家は大体こんな家風らしい。むしろ父さんが異端児というわけだ。

 それで、随分酷い言葉を投げつけられた事があるみたいで、父さんはずっとそれを恨みに思っていた。……基本、父さんは大人げない人だったし。

 そんな父さんと実家との確執の防波堤となったのは――いや、防波堤にならざるを得なかったのは母さんだ。世間一般には“嫁”という立場だからね。

 そういった経験が、母さんに叔母さんへの苦手意識を植え込んでしまった。

 これならまぁ、接さなければ済む話になるんだけど――時候の挨拶ぐらい――叔母さんは、ある時点から積極的にこちらに絡んできた。

 その時点というのは、父さんが人気作家になった辺り。つまるところは“金”だ。

 父さんは、それでも両親には援助はしたらしい。僕にとっては「おじいちゃん、おばあちゃん」になるわけだけど、まったく覚えが無い。母さんの家とも繋がりが薄いから……「おじいちゃん、おばあちゃん」に縁がないんだな、僕は。

 それでも今は、父さんの両親は羞恥心をちゃんと持っていたらしくて、ちゃんと感謝して、ちゃんとこっちとは距離を置いてくれている。

 この距離感は、むしろ叔母さん対策だったみたいだけど、羞恥心の無い人間にはそんな「なんとなく」が通用するはずも無く。

 その上、この叔母さんもちゃんと結婚できたらしい。

 実に不思議な話だ。

 こうなるとこの叔母さんは「子供ためにも」なんて大義名分を手に入れたわけで、それにプラスして、すでに持っていた大義名分「兄妹でしょ」「親戚なんだから」も駆使して、こっちにプレッシャーを掛けてくる。

 漫画に対するスタンスはそのままで。

 これが叔母さんの中で、実際どう処理されているのか想像もつかない。叔母さんが欲しがっているお金。それは叔母さんが嫌っている「漫画」がもたらしたものなんだけど……

 父さんが無くなったときに、何よりも厄介だったのがこの叔母さんだ。

 あの時、母さんが自失状態だったことが、その点についてだけは幸運だった。

 何しろ、僕が対応することが出来たわけだから。

 もう理解してくれていると思うけど、僕はこの叔母さんの妄言を徹底的に無視した。

 あの時、叔母さんは凄い言葉の量で要するに「財産管理を任せてくれ」なんて言葉を「親戚でしょ?」という言葉で包んで訴えてきた。

 ところが僕はそんな叔母さんの苦心の訴えに対して、

「ネームが多いなぁ。これは失敗。全部ボツ」

 なんてことを考えていたから、よほど対応が無機質になっていたのだろう。

 何だか逆に、叔母さんは僕の事が苦手になったみたいで、どうやら漫画にプラスして、僕の悪口も随分言ってるらしいけど……だからと言って、僕がいくら無職でも、この叔母さんに付き合うほど暇では無い。

 それに結局、この叔母さんは相変わらず纏わり付いてくるわけで、僕への苦手意識はあまり意味が無いようだ。……鳥頭の可能性も捨てがたい。

 今度はいとこの進学について、援助を要求しているみたいだけど。

 でも、こんな叔母さんだから、彼女なりの世間体というものがあるらしくて、こんどは金を無心する前に、こんな事を言っている。


 ――「映里さんに、良い縁談はなしがあるのよ」

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