第17話 麺鉄は開いているか?

 「麺鉄」――


 それは豊中市における伝説のラーメン店。

 場所は判明している。阪急豊中駅と岡町駅の間に存在するその店は、まずいつ開店しているのかよくわからない。僕が最初に訪れたときは、本当にアテの無い噂話を無理矢理、現実世界に当て嵌めて、何度も豊中-岡町間を彷徨ったものだ。

 僕がラーメン店を訪れるという趣味というか習性を身につけてしまう元凶たる友人が、これほど苦労したわけであるのだから、その幻具合もわかって貰えると思う。

 ただ友人の恐ろしいところは、ようやく発見した「麺鉄」のシャッターを閉めようとしている店員に――ラーメン店としては珍しくない深夜ではあったのだけど――頼み込んで、僕の分も含めて用意してくれる段取りを取り付けてしまった。

 間違いなく、おかしな話だと思う。

 普通、スープが底をついたから閉店になるのではないだろうか? それなのに何故、僕たちの分が用意できたのか? まずこの時点で、どうにもおかしな店である。

 そして、さらに異常事態は続く。

 シャッターを閉めていた店員は実は店長であり、用意してくれている間に「濁ったスープなどあり得ないから」「化学調味料は敵」という主張をひたすら繰り返すのである。この繰り返しに関しては、如才なく、ではなく幾分かの後ろめたさがあったのか、友人が太鼓持ちよろしく、煽ったせいもあるだろう。

 さて、この段階で僕は「麺鉄」を随分胡散臭く感じていた。何より、この店に辿り着くまでの疲労もあり、さらに無茶を強いているという後ろめたさが心理的に逆転して、店長に恨むような心持ちを抱いてしまっていたのだ。

 しかし「麺鉄」の恐ろしさはここからで、その「麺」の旨さが、まさに暴力的な力を持っていたのである。あれだけスープに蘊蓄を並べていたのに、この店のラーメンは、まず麺! なのである。

 だからこそ屋号が「麺鉄」なのであろう。

 そんな旨さの暴力に蹂躙された僕は、すっかり満足して帰路についたわけだが、その余韻が収まってくると、やはり首を捻る。

 ――なぜ、店長は用意できたのか?

 ――なぜあの時、スープの蘊蓄に傾倒していたのか?

 未だにさっぱりわからない。ちなみに友人もわかっていない。

 そんなわけで「麺鉄」は未だに謎多き店の座を明け渡しはしていない。

 その圧倒的な「麺の旨さ」を豊中で今も振るいまくっている――はずだ。




 ――さて。

 なぜ「麺鉄」の解説から始めたかというと、恐らくその方が手間が省けるからだ。

 「続編」についてのアドバイス――これを細分化すると「アンドレアがさっぱり動こうとしないんですけど、どうしたら良いんでしょう?」という身も蓋もない訴えになる。

 その矛先が向けられたのは稲部さんだ。決して暇では無いはずなんだが、たまたまタイミングが合ったらしい。今回は昼では無く、結構深夜に近い状態の会合になったけど。

 ……それでもぼさぼさの髪とか、無精ひげとか、目のクマとか。

 割とわかりやすい締め切り明けの状態であったから、タイミング“だけ”が合ってしまったと考えるべきかも知れない。

 ただ稲部さんの精神状態が、随分とささくれ立っていたのは、話が混乱した原因に数えても良いだろうな。それでも稲部さんが相談に乗ってくれたのは……ネタ探しの一環だろう。

 漫画家は、そういう習性を獲得してるからな。

 それでも最初は割とまともに相談に乗ってくれてはいた。

『それは……要するに真っ正面から行くのが悪いんだろ? 最初は真っ正面から行くかも知れないが、次は別の手を考える。それに朋葉くんもいぶきさんも見失っている』

「何をですか?」

『ルッコラは、女性という要素だ』

 何だかコンプライアンスに引っかかりそうな予感がするが、その前にこれっていぶきにケンカ売ってることにならないだろうか? 女性に向かって、女性らしい様子が無いと言っているわけで……

『あの~それって、当時の女性、みたいな事ですか?』

 だが、いぶきは僕よりも冷静だった。

 いや稲部さんの状態を目にして、若干引き気味だったのが良い方に転がっただけかも知れない。

 それでも、確かにいぶきの確認は有意義だった。稲部さんも言葉足らずだったことに気付いたようで「そうそう」と熱心に頷いている。持っていたマグカップが盛大に揺れているが中身は……珈琲だよな?

『当時の資料を見る限り、確実に女性達はコミュニティを形成していたはずだ』

『あ、それわかります。衣装起こすときに、襟のレースの粗末さとか……この辺り、お互いに手作りの物を贈り合ったりしてたんだろうなぁ、とか』

 それを聞いて、僕は集めた資料をモニターに並べてみた。確かに襟はレースだったけど、そこまで読み取るとは……いぶきは良い漫画家になるんじゃ無いかな。漫画だけには留まらないかも知らないけど。稲部さんも満足そうに頷いていた。そのままさらに続ける。

『そして、イタリアといえば食事なんだよ』

『そうなんですか?』

「ああ、それは本当。食事への執念をダイレクトに描くと、キャラ崩壊しそうな勢いだったから、割と控えめにしてたけど」

 「海と風の王国」でも結構、食事シーンは描いてきたはずだ。それこそ無意識に。

 そしてイタリア人の食への執念を説明する内に――


『本当に、それ以外何もわかってないの!?』

「営業時間はわかった。十八時から、〇時半」

『十八って……夜の六時? そんな時間?』

 何故か「麺鉄」の説明大会になってしまったわけだ。食事の説明からだから、まったく関係がないわけではないのだけれど、あまりにも逸れすぎている。それはわかっていたので、土日は営業時間は変わることは黙っておいた。

 だが、すでに手遅れになっている。

『麺鉄か~。あそこ旨かったけど、まず狭すぎるだろ? その上、なにか生臭くて――』

「あの店は、そういう運試し要素もあるんですよ。それより最悪なのは、賑やかしで来る連中ですよ。麺を啜ったら速やかに入れ替わってくれないものか」

 本当の「麺鉄」とは厳しい店なのだ。問題の大部分は、その狭さにあると思うんだけど。それに加えて店の形が限りなく直角三角形に似ている――多分直角ではないと思うのだけど。

 そして稲部さんの言う通り、席はカウンターのみで八席。さらには肩を触れあわせる、では無くて、肩で押し合いながら場所を確保する必要がある。恐らく、適切な広さは六席なんじゃ無いかな? その上、キッチンの排水溝に近い場所に座ることになると――

『それ、営業して大丈夫なんですか?』

 確かに、これだけの説明だといぶきがそんな疑問を覚えるのも当然だと思う。

 だが――

『旨いんだよ! もうどうしようも無いほどに!』

「そう! 圧倒的なんだよ!」

 ラーメン店にそれ以外に必要な事ってあるか? と言わんばかりの佇まいなんだが、その高飛車が当然に思えるほど旨い。

 ちなみにあの時の店長は他でも店を開いているみたいで、現在は別の方が切り盛りしている。ちなみに、というか接客は当たり前に丁寧なんだけどね。

「稲部さんは、あれから何回行きました?」

 稲部さんに紹介したのは当然僕で……二年前ぐらいだったかな?

『いやそれがさぁ。あんまり行けてないんだよ。交通の便も悪いし、何となく敷居も高いし。繁盛店だから潰れることも無いだろうから、何となく敷居が高いんだよね』

「わかります」

 正直、あの旨さを味わった時の感動を高めるためにわざと行かない、という側面もあると思う。

『――なるほど、そういう事情で私を連れて行かなかったんですね』

 「麺鉄」を経験していないいぶきが冷めた声……いや、これは……

『何で、紹介してくれなかったんですか!? 思いついていたのに! 冷やしラーメンの時に名前出てたでしょ!』

 怒りが頂点に達していたらしい。言葉の繋がりがおかしいし。

「それこそ自分で言ってたじゃ無いか。営業時間がまったく合わないんだよ」

 ちなみに平日だったので、十八時オープンであることは間違いない。

『そんなの、いくらでも調整出来るでしょ! 出し惜しみしたんだ! それで言い訳のために!』

「待て待て待て」

 何だか、とんでもない恨みを買ったらしい。でもこれ、僕が悪いのか? 大体、小谷さんが――

『それだよ』

 突然に稲部さんが、割り込んできた。

『何がですか?』

「麺鉄は持ち帰りはやってませんよ」

 僕といぶきは、同時に言い返す。僕なんか先回りして稲部さんの考えを読んだつもりだった。

『違うよ。アンドレアとルッコラのことだよ』

 疲れた表情に、稲部さんが苦笑を浮かべて、からかうように僕たちを止める。

 そう言えば……確かにそんな話だったはずで……


『いきなり仲良く、は無理なんだよ。だから、とりあえず二人はケンカさせれば良い。幸いイタリアの話だし、食事でどうとでもなるだろう?』


 ――さすがプロ、というべきなのかな? これは。

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