第3話 銃、ロング缶、マルボロ

「旭川さーん」

 今日は一日旭川が捕まらない。十三課の誰に聞いても「行き先を告げずにフラっと出かけた」と答えられるし、旭川さんの知り合いには大体声をかけたが「声をかけても気づかないようだった」以上の答えは返ってこなかった。ということは来ているのだ。携帯は「用事がないときにはかけるな」と言われているし。ああもう。

「ここにいたんですか」

 ビル屋上。彼女はフェンスの向こうをじっと見ていた。彼女はここから飛び降りるかもしれない。そう思ってしまうほどに、その背中は孤独だった。

 彼女は一人で真新しいタバコを吸っていた。

「タバコなんて吸うんですね」

「・・・・・・今みたいに心の調子が悪いときは、体の調子も悪くするといいんだ」

 どういう理屈だ。そう思ったが、彼女が言葉を返してくれたことにほっとした。

「日野本。お前、人を殺したことはあるか?」

 人を殺す?この人は悪い冗談を言っているのだろうか。

「いえ、ありません」

「そうか。私は、ある」

 ぎょっとして彼女の横顔を見た。

「刑事の宿命とでも言うべきだな」

 心底ほっとした。

「なんだ。刑事である以上、犯人を射殺しなければならない場面はありますよ」

「子どもだった」

「誰がですか?」

「殺した相手」

 頭に血が上った。

「いい加減にしてください!こんなところで油売る暇があるなら十三課に戻って」

「まあ、お前も一本やれ」

「タバコなんか吸いません」

「じゃ、こっちはどうだ?」

 コーヒーの缶をどこからともなく取り出して、渡された。甘ったるいロング缶のタイプだ。まだ少し温かい。

「・・・じゃ、一杯だけ」

「すまない。お前も刑事なら一度は聞いておいてほしい話だったんだ」


 あれは、私がまだ理想に燃えて刑事人生を歩んでいたころ。銃規制緩和が始まったころかな?

 祭りの夜だった。かなり大きなイベントだったもんで、警視庁のいろんな所から人が引っ張られてきた。私もその一人だった。凄まじい人出だったので、誘導するだけで大変だったし、それに祭りの日はどうしてもタガが外れるもんだろ?小さいところでは自転車やバイクのサドルをカッターで切ったり、荷台曲げたり。酒飲んで大ゲンカして、警察相手に頑張るのならまだいいけど、相手を酒瓶で殴ったり。川に飛び込んだり。まあ、ハレの日は多少はそういうもんだ。

 私は、屋台が並ぶ広場でパトロールをしていた。まあ、多少騒いでいても大目に見ていた。

 そんなとき、ひときわ騒がしい声が聞こえてきた。屋台の裏側に回ると、制服を着た中高生が円座になってしゃがんでいたんだ。そして、彼らは全員タバコをくわえるかチューハイを飲んでいた。私は彼らに声をかけた。

 学校名を聞いてみると、ニヤニヤして誰も答えない。名前を聞いても分からない。困ったものだな。とりあえず、応援でも呼んで署に引っ張ろうと思ったそのときだ。

 彼らの一人。金髪の痩せた男が私に銃を向けていた。

 私はそれを屋台の景品か、射的の屋台から拝借したものだと思って、「それをしまいなさい」と言った。すると、彼は引き金を引き、つんざくような銃声が鳴り響いた。あたりは騒然となった。近くの屋台の親父たちは持つものも持たずに逃げてしまったし、家族連れは屋台で買ったものを道に捨てながら逃げて、ノリのいい若者たちは遠巻きにこちらを見ていたかな。金髪の男の取り巻きは、そいつを尊敬のまなざしで見つめているか、腰を抜かしているかに二分された。

 私は「それを捨てなさい」と言った。男はヘラヘラしながら、私に照準を合わせてきた。「捨てなさい」私はもう一度警告した。男はそれに従わなかった。私はホルスターから銃を抜いた。男はさすがにひるんだ。だが、取り巻きどもが「ポリにビビったのか!」「情けねぇぞ!」とヤジを飛ばすと、男は踏みとどまって引き金に指をかけた。銃弾は私の耳の側を掠めていった。

 私の心は悩んでいたが、身体はなすべきことをしていた。


「・・・・・・それって問題にならなかったんですか?」

「まあ、多少はな。だが、相手が未成年ということ以外に、私が責められるべき点はなかった。二度射撃していたし、他の客に被害が及ぶ可能性もあった」

「・・・・・・じゃあ、なんでそんなに引きずっているんですか?」

「なんでだろうな。その事件以来、日本は変わってしまったように思う。その時以来「お巡りさん」は「警察」でしかなくなった。不良やチンピラがいれば、完全に無視するか、完全に制圧するかになった。なにせ、向こうが銃を持っているか分からないし、向こうもこちらが撃ってくることを前提に動く」

「旭川さんは「お巡りさん」になりたかったんですか?」

「そうかもしれない。だが、今の日本でお巡りさんになることほど難しいことはない」

 お巡りさんか。迷子の子猫ちゃんを助けようとする優しい犬のお巡りさん。私は、苦さを甘ったるさでごまかしているコーヒーをごくりと飲んだ。

「旭川さんは、なれますよ。お巡りさんに」

「・・・」

「だって、ずっとそれを引きずっているんですから。完全に諦めた人はそんな風に思い出して落ち込みませんよ」

「・・・ああ、そうだな。そうかもしれない」

 旭川さんは、ため息のように煙を吐くと、携帯灰皿に入れた。

「なあ、日野本」

「なんですか?」

「お前もこの仕事をしている限り、必ず犯人を仕留めるとき、殺すときが来る。必ずな。そういう時は、これを吸え」

 旭川さんは、まだたくさん入っているタバコの箱をくれた。

「もう、だからタバコなんか吸いませんって」

「私も普段は吸わない。タバコは、思い出したときにだけ買うんだ」

「じゃ、最後まで吸ってくださいよ」

「その銘柄な。私が撃った少年が吸ってたやつなんだ」

「えええええええええ?!」

「ま、大事に吸ってくれ」

 旭川さんは踵を返して屋上の出口に向かう。

「ちょっと待ってくださいよ!」

 私は、ロング缶とマルボロを持って彼女の背中を追った。

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日本は銃社会になりましたが私は元気です 哲学徒 @tetsugakuto

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