第2話 警察官とドーナッツ

「腹が減ったな」

「私もです」

 既に何時間もこの姿勢でいる。いつまで待てば良いのだろうか。固いソファーに座らされ、ピカピカの照明で照らされ続け幾星霜。どうしてこうなったかには深い訳がある。


「犯行予告ですか?!」

「ああ。この近くの銀行だ」

 例の通り、「行くぞ」とだけ言う旭川さんについて行くと今回は大事件だった。

「しかしまたなんで犯行予告なんか。急に襲った方が成功するでしょうに」

「怖いこと言うなよ。たとえイタズラでも行かない訳にはいかないんだ」

「まったく・・・犯人が刑務所に入ったら飯抜きの刑にしてやりましょうよ」

 お陰で今日も昼ごはんは食べられず、ゲンさんのくれたカップ麺も机の底に居る。

「刑を決めるのは私たちじゃないぞ。ほら、着いた」

 旭川さんは道路の脇に車を止めると、さっと降りてコートを羽織った。私も急いで着いていく。

 自動ドアが開くと、旭川さんは案内に従い番号札を発行した。

「ちょっと旭川さん」

「なんだ」

「案内の人に手帳見せれば良かったじゃないですか」

「この場に犯人がいたら?」

 背筋を冷たいものが走った。犯人がどう動くか予測できなくなる。

「案内のカウンターにはパーティションが置いてある。そこでこっそり手帳を見せる」

「・・・そうですね」


 それから何時・・・いや何日・・・いや何年経ったのだろう。一向に呼ばれる気配がない。私たちは溜息でハミングした。腹時計は昼食を通り過ぎておやつの時刻になっていた。

「なぁ、この近くにドーナッツ屋があったろう。買ってきてくれないか?」

「いいですよ!あ、でも行内って食事禁止でしたよね」

「交代で外に出て食えばいいさ。ドーナッツは2人で4個あればいいだろう。ミルクのみ入ったホットコーヒー付けてくれ」

 旭川さんは財布をよこした。

「了解いたしました!」

「早く」

「はい」

 よほど疲れたのであろう。旭川さんは敬礼に反応する余裕もないようだ。


 警察になったらやりたいことが一つだけあった。それはタダドーナッツだ。アメリカの警察はなんとタダでドーナッツ屋のドーナッツが食べられるらしいのだ。防犯目的でやっているらしいが、なんともありがたいことだ。さあさあ自動ドアが開きました。落ち着いて天下御免の警察手帳を見せましょう。

「警察です!ドーナッツはタダにして欲しいんですが」

 スッとスマートに手帳を見せると、店員は苦笑した。

「お客様申し訳ございません。それはアメリカの店舗のみでございまして・・・」

 店内からはさざなみのような失笑が起きる。私は震える手で手帳を胸ポケットにしまって「すみません。2000円以内で適当に。持ち帰り。ドーナッツ4つ、コーヒー温かいのミルクだけ、2つ」と震える声で言った。


 失敗した。私はカウンターに突っ伏している。カウンターと歩道はガラスで隔てられている。寒い寒いと震える人々を見ながら、温かい店内で美味しいドーナッツと熱いコーヒーを楽しむための仕掛けだろう。ひどい話だ。

 

 じっと店の外を見ていたが、ガラスの反射で挙動不審な男がレジ付近にいることに気が付いた。ダウンジャケットを着て、ニットの帽子を被り、マスクにサングラスをつけている。ボストンバッグを肩にかけて、周囲を窺いながら携帯で話をしている。


「変な奴がいてな・・・ああ・・・警察にそんなバカはいない?・・・まあそうだな」

 

 失礼な。これでも警察学校では首席だった。


「お客様、ご注文はお決まりでしょうか?」

「ああ。もちろんだ」

 男はポケットに手を突っ込んだ。

「金だ!ここに入るだけ詰めな」

 男は銃口を男の子に向けながら撃鉄を上げて、ボストンバッグをカウンターに置いた。

「ひええええええ!!!!てんちょう!!!!!」

「騒ぐんじゃねぇ!」

 男は銃を天井に向けると威嚇射撃をした。店の中は悲鳴で満ちた。

「オラ、早くしねぇか」

「はひ、ひいいい・・・」

 バイトの男の子は、震える手でレジを開けてボストンバッグにお金を詰める。

 私は慌てて旭川さんに連絡を取ろうとする。通話ボタンを押した瞬間、男はこちらに銃口を向けた。

「怪しい動きをするんじゃねぇ!このニセ警察が!」

「に、ニセ警察?!」

「本物のおまわりがあんなドジする訳がねぇだろうがよ。あん?警察です!ドーナッツはタダにしてほしいんですが!じゃねぇんだよ。なぁ、お前。そんなこと言う客に当たったことあるか?」

 急に話しかけられたバイトの男の子は、「ありません!」と反射的に答えている。ないのか・・・・・・はぁ。

 

 バイトの男の子は金を詰め終わったようで、ボストンバッグのジッパーを閉めている。

「変なもん入れてねぇだろうな?新聞紙とかよ」

「ハハハ、今どき新聞を紙で読む人なんか居ませんよ」

「それもそうだな。ガハハハ」

「アハ、アハハハ」

「笑うんじゃねぇ!!!」

 男は銃口を向けた。

「ひいいいいいいい!!!!!!!」

「じゃあな!あばよ!」

 挨拶がわりに天井に威嚇射撃をした男は高笑いをしながら出て行った。と、男が店を出た瞬間、旭川さんの横タックルが決まり、犯人を取り押さえ、あっという間に手錠をかけてしまった。


 いつもの十三課に戻った時に、旭川は鼻歌でも歌いそうなぐらい上機嫌で話しかけてきた。

「犯人は常習犯。銀行に犯行予告を仕掛けたあと、警戒が手薄となった周辺の店舗を襲撃していたようだ。被害を受けた店舗の報告が遅くなったため、警察も認知できていなかったようだ・・・お手柄だぞ日野本」

「どこがお手柄なんですか・・・私は何もできなかったんですよ」

「お前が偉いのは、犯人に油断させたこと。私に電話をして通話ボタンを切らなかったことだ。お陰で犯人が動き、私は犯行に気付けた」

「でもそれって私が警察に見えなかったってことですよ」

「すねるな。また今度ドーナッツを奢ってやる。」

「はぁ・・・」

 結局取調べの間にドーナッツは忘れ去られ、レシートは紛失してしまい、私のタダドーナッツへの淡い夢もいずこへと消え去ってしまった。

「ああ、そうそう。あのドーナッツ店だがな。今回のことを反省して、防犯システムを強化するそうだ。その一環として、警察はドーナッツをタダにしようという声もある」

「本当ですか?!」 

 思わず立ち上がる。

「あ、ああ・・・まだ決定ではないらしいが」

「そうなったら毎日行きましょうね!」

「うむむ・・・」

 旭川さんは困ったように薄いコーヒーをガブガブ飲む。

 ああ、明日にでもドーナッツがタダになりますように!私は手を合わせて神に祈った。

「・・・そういえば、日野本。被害に遭った店からの報告がなぜ遅れたか分かるか?」

「・・・いえ」

「そういう店は、警備員を雇ったり銃をレジに置くようにしたそうだ。警察よりその方が早いからな」

「そんな」

「私の時代は3分と言われていた。今は10分・・・通報してから警察到着までの時間だ」

「そこまで遅くなっているんですか」

「警察も自助努力を推進するようになった。昔は正当防衛の要件が結構狭かったんだけどな・・・今はハロウィンに知らない酔っ払いが家に押し入ってきたら、撃ってもいいらしい」

「なんのことですか?」

「昔の事件だ・・・・・・なあ、マグカップ新調しないか?あのドーナッツ屋でオマケとして付けてくれるらしい」

「え!?本当ですか!すぐに行きましょう」

「ドーナッツがタダになってからな」

「ええ・・・」

 窓の外には雪がちらついていた。





 

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